![]() |
マーラー:交響曲第10番 |
| ジークハルト(マルティン)2008-04-23 - エクストン 価格 ¥ 3,800 | |
| home|書籍|CD|DVD|ゲーム|ソフトウェア|家電|キッチン|おもちゃ・趣味 |
![]() |
ジークハルト(マルティン) エクストン 価格(new/used): 3,800 円 / 3,200 円 より 発売日: (2008-04-23) アマゾン売上ランキング: 184325 位 CD / 通常24時間以内に発送 [ユーザーによる評価] 平均評価: 4.5 / 総数: 2件 マーラー10番論議ベートーヴェン、ブルックナーの系譜に漏れず「第9番」まで完成させて世を去ったマーラーの「第10番」は、未完成作品ということになっている。しかしながら、マーラーが4段総譜までほぼ完成させたこの10番は、モーツァルトのレクイエムやプッチーニの「トゥーランドット」とは本質的にまったく異なる。未完成の後半4楽章についても、「隅から隅までマーラーの音楽」であることは間違いないのである。 このあたりの事情がやっとここ数年周知されてきたこともあり全曲盤が多くリリースされることになったのは、無条件によいことだ。そしてすると今度は「誰がどう補筆完成させたか」という「版」の問題がクローズアップされるのは、当然のことであろう。 こちらも周知の通り、クック版は「演奏可能な状態を再現する」ことを至上目的としているので、明らかな冒険が皆無で面白味に欠けるのは事実。しかしながらカーペンター版ともなると、勝手にマーラーの他作品からの引用を連発するなど、明らかにやりすぎ(ただ、部分的にメンタリティを共有する第6番を引用したのは、卓抜した見解だとも言えるが。。。しかし世論の賛同を得ることができないのは、当然と言えば当然)。するとこれ以降の完成版は、これら2つの版の範囲内で、どの程度オリジナリティを出すか、ということになる。 私も個人的にこの曲は大好きなので、入手可能なあらゆる版を聴き重ねてきた。そして今回のサマーレ・マッツーカ版。日本盤の解説はあの金子建次氏がクック版との詳細な比較を行っており、これはこれで大変な労作なのだが、私にはむしろ一つの疑問がクローズアップされてしまった。 それは、「マーラーの自筆譜ではどうなっているのか?」ということである。例えば以前から気になっていたのだが、この10番では印象的な旋律をフルートに担わせる場面が多々ある。これはしかも、どの版でもあまり変わらない。とすると、「ここはマーラーがフルートと指定したのか?」という大きな疑問が生じるわけである。でなければ、「マーラーにとってフルートがそこまで大切な楽器であったのか?」「これほど悲哀に満ちた旋律であれば(「大地の歌」でそうであったように)オーボエを使用するのではないか?」という疑問が生ずるのは至極自然なことであろう。 もしもマーラー本人がそれを指定したのであれば、誰が補完したとしても、その指定までをも無視することは許されないわけである。だから問題となるのは、「果たしてマーラー本人が指定したのか?」ということになる。しかし現時点で、このマーラーの自筆4段譜を入手することは、ほぼ不可能。そうなると、本質的な評をすることは困難で、結局のところ僅かなオーケストレーションの違いを針小棒大に取り上げて論議をするしかなくなってしまうのである。 というわけで、実際に聴いてみるしかない。ところが結論から言うと、至って常識的な「クック版の延長」であるという印象は拭えず、しかも聴き手には「どこまでが常識的なのか」という論拠もない有様。と言うわけで、結局は好き嫌いで評せざるを得ないという低次元のことになってしまった。 その好き嫌いで論じると、多くの刺激を期待しすぎたこともあり、星4つにとどまってしまい残念(値段の高さも理由の一つ)。ごくごく個人的には、そのあたりのシガラミがまだ稀薄であった頃のマゼッティ版のほうが、よほど面白く聴けたし、いまでも私の中ではこれがNo.1だ。「マーラーが生きていたら、こういうオーケストレーションをしたであろう」という説得力が最も強く、しかもそれらが本当にマーラー的(と言うのには、むろん語弊があるかも知れないが)で、カラフルなのである。打楽器や弦ソロの扱い、管楽器の選択が絶妙。バルシャイ版はマゼッティ版と基を同じくするが、カラフルさで劣るし、「マーラー特有のウィット」の質が低い。 クック版をはじめとして、「カーペンター版がやりすぎ」という呪縛・反動が大きすぎるのはもはや明らかだ。もしもマーラーが生きて全曲を完成させていたとしたら、クック版のように無難な作品には決してならなかったはずだし、クック版とてそんな使命をもって作られたわけではない。 「マーラーが楽器指定をしていない部分の自由なオーケストレーション」(これは補完者に許される)と「勝手な旋律の作成や引用」(許されない)の境界線が曖昧になってしまっており、カーペンター版への反省から、本来なら後者のみ自粛すべき所、クック版以降は前者も自粛してしまっているのである。だから面白くないのだ。「マーラーの大胆で美しいオーケストレーションを独自に再現しよう」という姿勢は、いつの間にかタブー視されるようになってしまった。 そんなわけで結果として、クックの決定稿以後の版は、なんだかんだ言ってその呪縛にかかりざるを得なかったわけであり、「(クック版の延長線という)たった一つの方向性だけでよいのか?」という疑問を強烈に持たざるを得なかった。従って私的にはマゼッティ版がNo.1なのだし、この路線を継ぐ他の版の出現を心待ちにせざるを得ないのである。このままではマーラーの10番は、結局のところクック版の延長線上で水飴の先っぽのように収斂してしまうだろう。それでよいのだろうか? 最新の10番マーラーの10番には様々なバージョンがあるので、『新作』が出るたび聴き比べてみるという楽しみがある。その一方で、溺れて浸れるほどのめり込むことのできる演奏が少なかったのもまた事実。カーペンター版はやり過ぎなので論外だが、版を重ねて『最終決定稿』が発表されたクック版でさえ、『マーラー風』をいかに再現するかという人工的な部分が見え隠れしていた。そんな中で、ブルックナーの9番のフィナーレを完成させたサマーレ&マツーカによる『最新の10番』はホィーラーの簡素な潔さ、マセッティの芳醇さを足してなおかつスケッチにも忠実な、完成度の高いものに仕上がっている。もちろん誰が補筆を試みるよりも、まずマーラー自身に完成してほしかった(そうすればおそらく大地の歌や9番以上の傑作になったはずの)作品ではあるのだが、それでも作曲家の死後百年にして、ようやく行けるところまで行ったという感じなのだろうか。 |