ブザンソン音楽祭における最後のリサイタル

リパッティ(ディヌ)2007-10-24 - EMIミュージック... 価格 ¥ 1,358
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ブザンソン音楽祭における最後のリサイタル

リパッティ(ディヌ)
EMIミュージック・ジャパン

価格(new/used): 1,358 円 / 1,348 円 より
発売日: (2007-10-24) アマゾン売上ランキング: 20210 位
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収録曲のリスト
  1. 拍手
  2. パルティータ 第1番 変ロ長調 BWV.825 I.前奏曲
  3. パルティータ 第1番 変ロ長調 BWV.825 II.アルマンド
  4. パルティータ 第1番 変ロ長調 BWV.825 III.クーラント
  5. パルティータ 第1番 変ロ長調 BWV.825 IV.サラバンド
  6. パルティータ 第1番 変ロ長調 BWV.825 V.メヌエットI&II
  7. パルティータ 第1番 変ロ長調 BWV.825 VI.ジーグ
  8. ピアノ・ソナタ 第8番 イ短調 K.310 第1楽章:アレグロ・マエストーソ
  9. ピアノ・ソナタ 第8番 イ短調 K.310 第2楽章:アンダンテ・カンタービレ・コン・エスプレッショーネ
  10. ピアノ・ソナタ 第8番 イ短調 K.310 第3楽章:プレスト
  11. 即興曲 第3番 変ト長調 D.899-3
  12. 即興曲 第2番 変ホ長調 D.899-2
  13. 13のワルツ 第5番 変イ長調 作品42 ≪大円舞曲≫
  14. 13のワルツ 第6番 変ニ長調 作品64-1 ≪小犬のワルツ≫
  15. 13のワルツ 第9番 変イ長調 作品69-1 ≪別れのワルツ≫
  16. 13のワルツ 第7番 嬰ハ短調 作品64-2
  17. 13のワルツ 第11番 変ト長調 作品70-1
  18. 13のワルツ 第10番 ロ短調 作品69-2
  19. 13のワルツ 第14番 ホ短調 遺作
  20. 13のワルツ 第3番 イ短調 作品34-2 ≪華麗なる円舞曲≫
  21. 13のワルツ 第4番 ヘ長調 作品34-3 ≪華麗なる円舞曲≫
  22. 13のワルツ 第12番 ヘ短調 作品70-2
  23. 13のワルツ 第13番 変ニ長調 作品70-3
  24. 13のワルツ 第8番 変イ長調 作品64-3
  25. 13のワルツ 第1番 変ホ長調 作品18 ≪華麗なる大円舞曲≫
[ユーザーによる評価] 平均評価: 5.0 / 総数: 1件

リパッティ最後の輝き
 どの世界にもずば抜けた才能を持ちながら夭折した者たちは数多くいる。西洋音楽の世界でも、指揮者のイシュトヴァン・ケルテス、フェレンツ・フリッチャイ、ヴァイオリニストのジネット・ヌヴー、チェリストのジャクリーヌ・デュ・プレ、テノールのフリッツ・ヴンダーリヒなど錚々たる人物ばかりである。才能を持つものが早世するのは神が定めた宿命なのだろうか。それは私には計り知れない事だが、しかし、それゆえに偉大な芸術家として後世に語り継がれるのかもしれない。その一人で、今では伝説的とも言えるピアニストがディヌ・リパッティである。
 ディヌ・リパッティはルーマニア、ブカレスト生まれの夭折した天才ピアニストである。かのコルトーにピアノを学んだ経歴を持ち、コルトーも彼が亡くなった時には大変な逸材を無くしたと悔やんだそうである。それほどの才能を持ちながら夭折してしまったのは私たちにとっても大変惜しい事であった。しかし、その短い人生の中で、後世に数としては少ないが、かけがえのない遺産を残したくれた。彼の常に凛として格調高く、音楽そのものに敬意を持って接する態度はこの数々の録音の中に窺い知れる。彼が単に抜きん出た才能の持ち主でなく、その与えられた才能を弛まず努力し、磨き上げ、妥協を許さずに音楽と向かい合ってきた事は彼を直接知らない聴き手の私たちにさえ、その音楽に耳を傾ければ理解できるだろう。その彼が生涯最後の演奏会として舞台に立ったものが、この「ブザンソン告別リサイタル」である。
 この時期は彼の症状は悪化し、特効薬を投与する事も止め、もはや演奏ができるような状態であった彼は、医師からこの演奏会をキャンセルするよう勧められたにもかかわらず、それを振り切って「僕は約束した。僕は弾かねばならない」と言って、この演奏会に臨んだそうである。この不屈の意志と気高き精神にはただ心を打たれるのみである。演奏曲目は彼が得意としたレパートリーばかりで、シューベルトを除いては他に正規のスタジオ録音としても残されており、全体的な完成度としてはそちらの方が高いと言える。けれども、この録音にはライブ特有の起伏やテンポの揺れがあるだけでなく、この生涯最後の演奏会に臨む一芸術家としての使命感や鬼気迫るものが感じられる。決して演奏自体が深刻さを持っているわけではない。むしろ、リパッティの清澄で格調高い音楽に終始貫かれている。しかし、巨匠と言われる芸術家の最後にありがちな神秘性や抑えてきた自己の想いの告白さえも自制して、最後の最後まで芸術家として音楽を伝えようとする使命感にはただ私たち聴き手の心に深く迫る感動を呼び起こすのである。彼の唯一の録音であるシューベルトの即興曲での美しい流れと底から湧き上がってくる感情はそこらの澄ました演奏とは一線を画している。これだけでも貴重なものである。また得意とする、バッハ、モーツァルト、ショパンの演奏も輝きを放っている。ただ、唯一惜しむらくは、リパッティの十八番であるショパンのワルツ第二番が演奏できずに収められていない事である。最後にこの曲ですべてを終えて欲しかった。
 近年、芸術が商業化され、コンサートでも演奏者と聴衆が二元化された構造の中、何ら深い感動なしに日々一種の習慣のように演奏行為が営まれているが、このような図式が果たして本当に良いのであろうか。芸術はただ耳で聴いて、その美しさに浸って、満足すれば良い、ただそれだけのものであろうか。戦前、戦争直後は芸術が生きる人間の魂に深く響き、人々に生きる勇気や励ましを与えていたのではないだろうか。むしろ、芸術が生きるのに不可欠なものではなかったのではないだろうか。そこには演奏者と聴衆との間には精神的な隔たりは存在せず、むしろ双方が一体となって音楽という芸術を作り上げていたのではないか。音楽は本来そのようなものであると私は思う。メディア業界が進歩した現在はそれがむしろ文明の進化に伴って、希薄化してしまった。これが良い事か悪い事かは人それぞれ思うところが異なるだろうが、ただ、音楽に命を賭けたリパッティのような芸術家の演奏を聴くと、音楽の意味を改めて考え直させるきっかけを与えてくれると同時に、音楽と人間との精神的結びつきを決して忘れてはならない事を学ぶのである。