![]() |
ブルックナー:交響曲第7番 |
| ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 カラヤン(ヘルベルト・... 2007-09-05 - ユニバーサル ミュ... 価格 ¥ 1,610 | |
| home|書籍|CD|DVD|ゲーム|ソフトウェア|家電|キッチン|おもちゃ・趣味 |
![]() |
ブルックナー:交響曲第7番ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 カラヤン(ヘルベルト・フォン) ユニバーサル ミュージック クラシック 価格(new/used): 1,610 円 / -- 円 より 発売日: (2007-09-05) アマゾン売上ランキング: 1175 位 CD / 通常24時間以内に発送 [ユーザーによる評価] 平均評価: 5.0 / 総数: 2件 カラヤンの「白鳥の歌」カラヤンは最初期のはつらつたる演奏と、最晩年の諦観しきった演奏(ある意味両極端だけどね)が特に感銘をうける。 「カラヤンの演奏は響きは美しいが、中身が薄っぺらで聞くに堪えない」と思っているアンチ・カラヤンのリスナーにこそこの演奏をオススメしたい。 天空に響く白鳥の歌ヘルベルト・フォン・カラヤンはオーストリア出身の知らぬ者はいない程のあらゆる方面に対し多大な影響を与えた二十世紀を代表する大指揮者である。単なる指揮者にとどまらず、録音メディア、映像メディアに対し積極的に関心を持ち、取り入れ、数々の先駆的とも言える事をクラシック音楽界にもたらした。語弊がなければ、この指揮者なしでは今現在までの発展はなかったと言えるだろう。また、クラシック音楽になじみのない人に対しても、関心や興味を持つきっかけを与えた点でも他の指揮者よりも抜きん出ていたと言える。その一方で、彼が作る音楽に対しては嫌悪感をもよおす鑑賞者も多い。音楽に対する姿勢や態度が表面的で独善的だと指摘する人もいるし、彼の作る音楽自体が作曲者の意図を無視して、単に感覚的な美しさのみを追及したバックグラウンドミュージックのようなものだとその音楽に対するアプローチの浅はかさを非難する人もいる。確かにそれら数々の指摘は私も最もな事だと思うが、カラヤン以前のドイツ的芸術や過度なロマン的演奏とは一線を画す、現代の演奏に道を開いた演奏と肯定的に評価できる部分もたくさんあるだろう。また、彼のように年代によってその作る音楽が大きく異なる指揮者というのはそうはいない。むしろ、これほど変化した指揮者は彼を除いて皆無と言って良いのではなかろうか。この事実は彼がいかに優れた指揮者であったかを物語っている。私は彼の演奏がすべて嫌いなわけではないし、クラシック音楽界に汚点のみを残した劣悪な指揮者であるとも思わない。彼の残した素晴らしい遺産は私たちも客観的に評価せねばならないだろう。その遺産の中で最も光り輝いているのが、このカラヤン最後の録音である、ブルックナー交響曲第七番である。 私は今までこれほど「美しい」演奏は聴いたことがない。ここで言う「美しさ」とは、奥深い、崇高、精神性といった観念的なものでなく、また単なる表面的な美しさとも異なる。的確な形容かは分からないが、白鳥が太陽の光をきらきらと反射する澄んだ水辺から純白の羽を広げて天空に飛び立つ瞬間のえもいわれぬ輝きに満ちた美しさというべきものであろうか、その人知を超えた自然界の営みの神秘的な美の世界がこの演奏を通じて私の脳裏に浮かんできた。 第一楽章の絶妙のテンポ設定の上に運ばれる美しい響きの連鎖。第二楽章のいっさいの邪念を捨て去った無心の祈り。ここには以前のカラヤンの意図や作為性といったものが感じられない。ただすべてをあるがままに受け入れて、自然に心から湧き上がる想いを音に託したと言ってよいかもしれない。クライマックスの所ではシンバルが用いられてはいるが、その想いをぶち壊す刹那的華美には陥ってはいない。第三楽章も晩年にしては力強く、統率された演奏で、トリオの美しさはさすがである。第四楽章も前三つの楽章に比べれば平明なものであるが、第二主題の美しさや、最後のきっぱりと余韻を残さず終わるアプローチは彼独特ものであろう。また、ウィーンフィルがすべてを通して、彼の想いに誠心誠意答えているのが良く分かる。 最後の最後に到達した演奏が以前までのカラヤンとは全く異なるものであったというのは皮肉な事であるが、私はあえて神が与え給うたカラヤン辞世の句として受け取りたい。決して、以前の演奏がこれに劣るとは思わないが、この演奏には以前の人間的作為による結果得られた人工的美しさではなく、神が与えた霊感を通じて、音楽にたいする心からの共感が生み出した特別な賜物と私は受け取りたいのである。あたかも白鳥が死ぬ間際に最後の辞世の句を天空に響かせる機会を神に与えられているが如く。 同じテーマの商品を探す
|