ドビュッシー:前奏曲第1巻(全

ポリーニ(マウリツィオ)1999-11-22 - ポリドール 価格 ¥ 2,170
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ドビュッシー:前奏曲第1巻(全

ポリーニ(マウリツィオ)
ポリドール

価格(new/used): 2,170 円 / 1,750 円 より
発売日: (1999-11-22) アマゾン売上ランキング: 125482 位
CD / 通常24時間以内に発送
収録曲のリスト
  1. 前奏曲第1巻(全12曲)
  2. 喜びの島
[ユーザーによる評価] 平均評価: 4.5 / 総数: 5件

玄人好みの演奏
1998 年 6 月、ポリーニ 56 歳でのデジタル録音。
こういうのを玄人好みの演奏というのだろう。いろいろなことを考えて演奏しているのがよくわかる。しかし素人の私がどう感じるかはまた別の話だ。
正直言って特別聴きたいレコードではない。玄人の方にはよろしいんじゃないでしょうか。
身を切るような 鋭い演奏が好きな人へ
今朝は
久しぶりに
ドビュッシーの前奏曲集第一巻を
ミケランジェリの演奏で聞きながら
朝風呂に入りました。

最高でした。

均整の取れた 美しい 演奏です。
しかも 浸透圧が 等調であるような
全く 違和感の無い 
音調・リズム・抑揚・和音・響き・・・・
どれを取っても 
細胞一つ一つに 自然に染み入る 
美しい 演奏でした。

その点
マウリツィオ・ポリーニの演奏では
硬く。冷たく。研ぎ澄まされているが、
違和感のある、
そう、
鋭い 冷たい 硬い
ナイフを 肌に 当てるような
不自然な演奏だった。

確かに切れは良く
出血するくらいだが、
細胞は 喜ばない演奏だった。

そういう意味で
私は ミケランジェリの演奏が好きだ!

まあ、刷新するという意味では 
ポリーニの演奏は 目の覚める心地がして 良く。
たまーに
エスプレッソ・コーヒーを飲むように
聴くことがある。

リズム・音調・和音・響き・・・・
どれを取っても
するどく トガッテいる。
突然 切れ込んでくる 変調
ピアニッシモから フォルティッシモへの
変化の 激し過ぎること・・・・・
完璧な演奏ではある。

ヘビメタ級だ。
深い輝きと精神性に満ちて
1998年6月ミュンヘンで録音。ポリーニはベートーベンのディアベッリ変奏曲を1998年9月4-9日同じミュンヘンで録音しておりその前の録音がこれということになるだろう。
ジャケットのポリーニは齢を重ね、昔の若々しい風貌はもはや想像することも難しい。サントリー・ホールに演奏を聴きに行った時もジャケット写真さながらで好々爺という感じになってしまっていた。学生時代に聴きに行ったアルフレッド・ブレンデルの背の高い偉丈夫な風貌はジャケットのイメージと大きく違っていて驚いた覚えがあるが、ポリーニの好々爺姿は哀しい意外さだった。年齢の重力だけは天才にも凡人にもひどく平等だ。
そしてピアノというのは多く力技を要する。僕に言わせれば男性専用の打楽器である。故に完璧な10指のコントロールを誇る、ヴィルトーゾ、マウリツィオ・ポリーニであっても若きエネルギーを持って表現し得る曲というものが間違いなく存在した。それがショパンのエチュードであり、シューベルトのさすらい人であったと思える。
かくて若きエネルギーを失ったヴィルトーゾはエネルギーでない輝きを放つ曲を探し始める。それがこのドビュッシーでありディアベッリ変奏曲なのだと僕は思う。ドビュッシー演奏というとすぐにワルター・ギーゼキングの演奏が思い浮かぶ。しかしながらこの演奏はギーゼキングの何万倍も深い輝きと精神性に満ちて聴こえる。それはポリーニが自ら演奏すべきものを妥協なく選び、到達したものだからなのだと思う。
この希代のヴィルトーゾ、マウリツィオ・ポリーニと同じ時代を生き、演奏を体験出来た幸せは何物にも勝るものだと思えてならない。
深い輝きと精神性に満ちて
1998年6月ミュンヘンで録音。ポリーニはベートーベンのディアベッリ変奏曲を1998年9月4-9日同じミュンヘンで録音しておりその前の録音がこれということになるだろう。
ジャケットのポリーニは齢を重ね、昔の若々しい風貌はもはや想像することも難しい。サントリー・ホールに演奏を聴きに行った時もジャケット写真さながらで好々爺という感じになってしまっていた。学生時代に聴きに行ったアルフレッド・ブレンデルの背の高い偉丈夫な風貌はジャケットのイメージと大きく違っていて驚いた覚えがあるが、ポリーニの好々爺姿は哀しい意外さだった。年齢の重力だけは天才にも凡人にもひどく平等だ。
そしてピアノというのは多く力技を要する。僕に言わせれば男性専用の打楽器である。故に完璧な10指のコントロールを誇る、ヴィルトーゾ、マウリツィオ・ポリーニであっても若きエネルギーを持って表現し得る曲というものが間違いなく存在した。それがショパンのエチュードであり、シューベルトのさすらい人であったと思える。
かくて若きエネルギーを失ったヴィルトーゾはエネルギーでない輝きを放つ曲を探し始める。それがこのドビュッシーでありディアベッリ変奏曲なのだと僕は思う。ドビュッシー演奏というとすぐにワルター・ギーゼキングの演奏が思い浮かぶ。しかしながらこの演奏はギーゼキングの何万倍も深い輝きと精神性に満ちて聴こえる。それはポリーニが自ら演奏すべきものを妥協なく選び、到達したものだからなのだと思う。
この希代のヴィルトーゾ、マウリツィオ・ポリーニと同じ時代を生き、演奏を体験出来た幸せは何物にも勝るものだと思えてならない。
夜の音楽
久しぶりに聴いた名演!
ゆったりとしたドビュッシーの夜の音楽に出会えたのは本当に久しぶりでした。
“西風の見たもの”では
思わずポリーニの唸りを上げる声まで聞こえてしまいますが、
他の曲ではドビュッシーのゆったりとした深さに出会うことができました。
(サントリーホールで第2巻を演奏していたので)続きを期待しています。