バッハ:ヨハネ受難曲

テッパー(ヘルタ) リアー(イブリン)1991-10-25 - ポリドール 価格 ¥ 3,500
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バッハ:ヨハネ受難曲

テッパー(ヘルタ) リアー(イブリン)
ポリドール

価格(new/used): 3,500 円 / 2,999 円 より
発売日: (1991-10-25) アマゾン売上ランキング: 66003 位
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収録曲のリスト
  1. ヨハネ受難曲
[ユーザーによる評価] 平均評価: 5.0 / 総数: 5件

清く烈しい音楽。
清冽。

同じバッハでも『ヨハネ』は『マタイ』に比べて知名度も世間的な評価も低いようであるが、私はヨハネの方が好きです。
いろいろ理由はあるけれども、マタイはレチタティーヴォが多く、音楽がところどころ足踏みするのに対し、
ヨハネは澱みなく進んでいくところにあるでしょうか。
また、マタイが劇性が富んでいるぶん血なまぐさくもあるのに対し、ヨハネは全体的に清浄な空気が漂っているところにもあります。
そのことは、マタイのクライマックスが磔刑〜復活に当てられているの対して、
ヨハネのクライマックスが「死」そのもの(「すべては終わった」というアリア)に当てられているところに現れているでしょう。
実際このリヒターのヨハネではイエスの死は、一個の人間身体の生命活動停止ではなく、
世界全体が何か意味を喪失したような、そのような静けさを湛えています。
ペテロの否認〜嘆きも、単に悲痛なだけではなくそこにすでに幾らかの救いが顔を見せている。

付け加えると、第二部での合唱フーガの充実度も素晴らしい。ヘフリガーやテッパーの歌唱も、言うまでもなく美しい。
何度聞いても飽きることのない名盤です。まだ聞いたことのない人はぜひどうぞ。
本当に素晴らしいの一言
ヨハネよりマタイの方が良い・・・とよく聴かずに思い込んでいた私が馬鹿でした。ヨハネ受難曲、聴き込むほど本当に素晴らしいです!マタイの曲の方が有名な気がしますが、ヨハネの純粋な祈りのような美しさにはもう、ただただ感動です。魂が浄化されるような気がします。個人的な感想ですが、マタイの根底は(人間)、ヨハネの根底は(神)のような気がします。もちろんマタイもとてもとても素晴らしいので、どちらも甲乙つけがたい!とにかくヨハネの素晴らしさを今頃になって気がつくなど、遅すぎた・・という感じで、しまったと思いました。とにかく本当に素晴らしいの一言です。マタイと一対で是非聴いてほしい。
一心に祈りを込めた歌唱が胸を打つ
1964年に録音されたリヒター唯一のヨハネ受難曲。1958年に録音されたマタイ受難曲の旧盤と較べ、リヒターの演奏速度がより一層速さを増しているのが分かる。アリアが重くもたつかないので、聴きやすい印象だ。
最近の古楽器演奏の非常に洗練された録音に耳慣れてしまうと、ミュンヘンバッハ合唱団の力一杯声を張り上げるような歌い方には古さを感じざるを得ない。しかし、その一心に祈りを込めた歌唱こそが胸を打つのも事実だ。エヴァンゲリストのエルンスト・ヘフリガーの言葉と旋律が完璧な親密さをみせる歌唱はとても素晴らしい。アルトのヘルタ・テッパーの情感豊かで温かみもある歌唱は、並みのカウンターテノールではまだまだ太刀打ち出来そうもない程の素晴らしい出来だ。
古楽器による演奏が主流となった現在では、この録音よりも音響美として優れた録音は沢山あるだろう。しかし、演奏がもたらしてくれる感動の大きさという点では、今でもこの録音の持つ価値は全く色褪せてはいない。
バッハ。
~個人的には、リヒター指揮の方が馴染みが深いので、そう云った部分、主観的な点で、星ひとつ減点させて戴きました。~~昔、生前の澁澤龍彦氏が、「本を読まない人間は信用しない」といった類いの御話をなさっておりましたが、同じように、バッハの、「ヨハネ」「マタイ」、そして何より「フーガの技法」の三つは、ある人間が精神的インポテンツか否かを問う為の、手っ取り早い試金石になるのではないかと思います。魂のない現代美術や音楽と、決別する為にも是非。~
冒頭から異常な緊張感を漂わせるバッハの熱祷に捧げられた名演奏!
 リヒターのバッハ演奏には、バッハに対する特別な畏敬とそれから発する緊張感が感じられます。
 マタイ受難曲の新・旧それぞれの録音では、この緊張感の違いを体験することができます。音楽的には新盤が優れているといえるかもしれません。迫真性や宗教的には、旧盤を推す向きが多いでしょう。私はどちらも甲乙つけがたく楽しんでいます。

 しかしこのヨハネではどうでしょうか。ヨハネ受難曲はマタイに比べると演奏時間も少なく、演奏される回数も少なく、またリヒターも一種類しか録音していません。

 そもそもヨハネ受難曲は、その冒頭から異常な緊張感をもって始まります。その出だしからこれほどの緊張感を強いる曲は他にちょっと考えられません。例えば、かの有名なロマン派をこじ開けたとちがう“ダダダダーン”のベートーヴェンの5番でも、意表は突かれますが、感情的・心情的なレベルまでの緊張感を強いることはありません。

 バッハはこのヨハネ受難曲の冒頭によって、聴衆者をしてキリストの受難に立ち会わせているのだと言えます。
 このようなバッハの熱祷と苦悩を余すことなく汲み、表現しようとしているのがリヒターのこの演奏なのだといえます。そうした意味で、このリヒターの演奏は、マタイの旧録以上の存在意義を輝かせているといえるのではないでしょうか。