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埋もれ木
松竹
価格(new/used):
4,293 円 /
3,780 円 より
発売日:
(2006-07-29)
アマゾン売上ランキング:
24371 位 DVD / 通常24時間以内に発送
[ユーザーによる評価] 平均評価: 4.5
/ 総数: 7件
傑作ファンタジー映画
綺麗な風景の描写 映像が徹底的に美しく映画からもれでる独特の空気に圧倒されます
音楽と風景がマッチしていてとても心地が良い 浅野忠信の演技もとても良かった
日本映画の素晴らしい傑作だと思います
鯨が飛ぶ
初夏の自宅で一人でゆっくり見た。クーラーをつけず 窓を開けて 網戸から送り込まれる風を楽しみながら。
「眠る男」という 筋がほとんどない映画が小栗の前作だが 本作では 更に筋が無い。一つ一つの挿話は美しいが 小栗は説明することを拒む。
但し そんなばらばらだった挿話が 最後の祭りの場面に集約されていくシーンは息を呑むような 鮮やかさである。個人的には 鯨の風船が おそらくは家具職人の亡くなった娘のハンカチを乗せて ふわりと浮き上がる場面で ちょっと目頭が熱くなった。
登場人物は皆 正しく「埋もれ木」のような人生を送っている。そんな「埋もれ木」の中を カーニバルのごとく 駱駝が歩き 鯨が空を舞う場面は 小栗が言っている「ファンタジー」そのものだと思う。
こういう映画を創っている邦画というジャンルは 世界に誇ってよいと思う。
耳をすまし、凝視する世界の「夢」
この映画の「ファンタジー」という言葉に誤解が生じるとすれば、それは観客側の固定観念としての「ファンタジー」を見つめ直すという意味で、もっぱら自らに挑戦すべきものであるものだからだ。幾多の映画を観て、登場する主人公に寄り添い、展開される場面、心情を、疑似体験して楽しむことを期待しても提供されない欲求不満でもあるだろう。しかしこの映画を幸いに体験する観客にとって、それは映画を見るという意味の問い直し、習慣化した姿勢、概念の解体でもある。
たとえば映画を観て、楽しみ、おもしろがり、興奮し、映画館を出て行楽地から帰る時のようにぐったりし、ぼんやりし、現実の日常が色褪せて見えるなら、それはぼくらが娯楽と言う麻薬を味わったのである。
しかし「埋もれ木」を観終った後、日常の光景、できごとが、たとえば台所で皿を洗う時、皿のぶつかりあう音は生き生きと聴こえ、自身の手の動きを不思議に思うかもしれない。または蛇口から流れる水の音に耳をすますかもしれない。そこに生活の細部に気づかれずに眠っている驚きがあることを。それはなんと、ふだんの日常のなかに「ファンタジー」は埋もれていたということに気づかされる瞬間だ。デコレートされた魅力的な作り物を与えられ、物語「ファンタジー」を掘り出す力を失ったぼくらには、自らの現在の地層から、それを能動的に掘り起こす作業、決意が必要なのだろう。
この映画は「ファンタジー」を創造する能動的な力を誘発しようと働きかけるが、かといって襟をただし緊張して観なくちゃいけないということではない。
それは、たとえば河合隼雄さんがクライアントに対するときの聴き手としての姿勢のように、「いわば、ぼーっと・ただ聴く・しかし身体ごと聴いている」とも表現される受動的な状態で、観客はいたってくつろいで鑑賞すべきものであり、耳をすまし静かに見つめることがただただ必要とされることなのだ。
ビジュアルファンタジー?
小栗監督の作品は難解である。かと言って観念的かと言うとそうでもない。しっかりとクールに人間を見つめている。私はCGが嫌いだ。安易な表現だからだ。ところがこの作品の埋もれ木が現れるCGには圧倒される。あの大木があってこそ、この映画がビジュアルファンタジーになったのだ!上手い。
浅野氏が出演しているので拝見
個人的な感想を言わしてもらえば、よく分かってないのに、何を伝えようとしているんだ凄いと掘り下げるつもりはありません
台詞を聞く、映像を見るというよりは体に自然に流れ込む的な作品
『右から入って左からぬけていっきょんちゃうんかえおまえ』
と、人の話をうわべだけで聞いてる様を、昔よく先生に叱られたが
時にはそのすり抜ける快感に酔いしれるべき時が日常に在することを決定付けた
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