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秋日和 [DVD] |
| 松竹2005-08-27 - 松竹 価格 ¥ 3,487 | |
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松竹 価格(new/used): 3,487 円 / -- 円 より 発売日: (2005-08-27) アマゾン売上ランキング: 60180 位 DVD / 通常24時間以内に発送 [ユーザーによる評価] 平均評価: 5.0 / 総数: 4件 「ねえ、そろそろよ!」ごく平凡なエピソードが描かれている小津作品は、 それを見るものに深い驚きをあたえる。 なぜなら、その作品は、 それ自体は凡庸である出来事同士が時空を越えて共鳴しあう場だからだ。 例えば、『秋日和』(1960)には母の原節子と、 結婚することを決めた娘の司葉子が旅先でゆで小豆を食べ、 窓から榛名富士の見える景色を一緒に眺めるシーンがある。 この充実したひとときに、 画面の左から右へ一艘の船が湖の上をすーっと滑走していく。 この船の滑走は、前のシーンで司葉子がビルの屋上から見た 列車の走行と反映しあっていると思う。 ――問題の屋上シーンとは次のようなものだ。 「ねえ、そろそろよ!」 丸の内のオフィスで司葉子が腕時計を覗き、 隣に並んで仕事をしている岡田茉莉子にささやくように声をかける。 新婚旅行に出かける同僚の女友達の乗った列車を待ちあわせるため、 二人は秋日和の屋上にあがりやがて走ってきた列車に手を振る。 しかし、女友達は約束していたように列車の窓から花束を振ってくれない。 「女の友情ってこんなものかしら!?」 二人は、寂しそうに職場に戻る。 列車の走行が女友達との友情の終わりを導いたように、 「ゆで小豆」のシーンの船の滑走が母娘の別れを導くと考えることは 不思議ではない。 なぜなら、『秋日和』では司葉子をとりまく周辺の事象が 不自然なまでにシンクロナイズしているせいだ。 実際、上記の屋上のシーンでは、 司葉子と岡田茉莉子の動作が美しくシンクロナイズしている。 屋上の手前に向かい合わせに空のベンチが二つ据えられている。 青空に赤いアドバルーンが二つ浮かんでいる。 列車と都電が並んで走っていく……。 さらに、上記を含め全部で三つある屋上のシーンを比較すると、 外界をシンクロナイズさせているのは 司葉子が不思議な力をおよぼしているからと考えたくなる。 昼休み、たくさんの人がいる二番目の屋上のシーンでは、 司葉子はひとり離れて立っている。 そこではあいかわらず列車と都電が並走し、アドバルーンも二つあがっている。 ベンチは今度は空ではない。 女が左に二人右にも二人座っている。 おまけに、 このシーンの直後に司葉子と佐田啓二がラーメンを食べるアクションは、 第一のシーンの司葉子と岡田茉莉子のそれとおなじように シンクロナイズしている。 司葉子がいない最後の屋上のシーンでは、 渡辺文雄と並んで岡田茉莉子が立っている。 このとき、列車の走行は示されないし、 アドバルーンも一つしか浮かんでいない。 ベンチにも男が左に二人右に一人である。 飛んできたバトミントンのシャトルを渡辺文雄が投げ返す。 次にボールを岡田茉莉子が投げ返す。 この交互の動作は最初のシーンの同時の動作と明らかに異なっている。 以上三つのシーンの比較から、 シンクロナイゼーションを引きおこしているのは司葉子と結論せざるをえない。 なお、『麦秋』(1951)には 『秋日和』の「屋上」と「ゆで小豆」のシーンと同じような画面の関係がある。 戦争に行ってそのまま帰ってこない息子の話題に 菅井一郎と東山千栄子が触れるシーンがある。 このとき画面に鯉のぼりが挿入される。 これは「屋上」のシーンに対応する。 次の場面では、 二人は博物館の庭に並んで座ってパンのようなものを一緒に食べている。 「今が一番いいときかもしれないよ……」 菅井一郎が、その後の家族の別離を予告するように呟く。 このとき空に風船が飛ぶ画面が挿入される。 この場面は「ゆで小豆」のシーンに対応する。 以上は、別離の前の充実したひとときに 外界の事象までが参加してしまう小津の演出例を示したにすぎない。 しかしこのような例でもわかるように、 小津作品はごく日常的事象を描いたとしても、お互いを共鳴させることで その画面を見るものに深い感動をあたえることができる。 おもしろて やがて かなしきこの作品は 小津の他の傑作群に比べると 小粒ながら シャレているという点では 個人的には高く評価している。 なんと言っても中年のおじさん三人組、中村伸郎、佐分利信、北竜二の会話が実に良い。コミカルで スケベで 人が悪くてそれでも人が良くて。実に軽妙で 何回見ても笑える。脚本も良く出来ているし この三人の芸達者には 舌を巻くしかない。 それにしても 原節子も まだ美しいながら やはり中年であることは 役柄もそうなのだが 隠しようも無い。この映画あたりが 原節子の最後の残照だったのかもしれない。そうして それは 小津自身にも言えるかもしれない。幾分はなやかな本作にも 既に 彼らの行く末が 今になって見ていると 円熟の極み戦前のサイレント時代に岡田時彦というたいへん美男の俳優さんがいて、小津作品にも何本か出演している。芸域がとても広いひとで、悲劇のヒーローからドタバタコメディからなんでもできたそうである。残念ながら30代前半で肺結核のため他界して、トーキー時代まで生き延びることはなかった。 話は変わって、岡田茉莉子がこの映画に出演したあとで、なぜ自分にこの役をあてたのかと小津に直接問いただしたらしい。小津の答えが 「岡田時彦の娘だから多分できると思った。」 簡単ですが、大変重みのある答えです。この映画における彼女の役はかなり難しい。その難役を見事に演じ切っているのはやはり「血」のなせるワザか? 亡き友の娘の嫁入り先を案ずる三人のオヤジたち(佐分利信、中村伸郎、北竜二)がいる。その娘の友人で、三人オヤジを手玉にとるチャキチャキ娘が彼女の役。本作の喜劇的なトーンを決定的にしているのは、三人オヤジと岡田の絶妙のアンサンブルで、まるでクラシック音楽の対位法のような効果を生んでいる。 「亡き友」の未亡人が原節子、娘は司葉子。司の結婚相手に佐田啓二。三人オヤジのなかでヤモメの北竜二が、他の二人に原節子と結婚しろとそそのかされて、すっかりその気になるのもおかしいし、彼らの会話にさりげなく、猥談が盛り込まれているのも一興。そしてカラー撮影に慣熟してきたと思われる小津の演出は、いろいろな意味で円熟の極みといえよう。他に岡田の斬新な衣装など、見所はじつに多い。これまた必見です。 アンチヘブリンガンの効用に関して一言、昭和35年(1960年作品)、この年の松竹映画79本中で配給収入第1位の大ヒット作、天然色(カラー)映画としての4作目であり小津の「色使い」に関する気配りと撮影・照明の調和が完成した作品と評価できる、(小津とキューブリック「2001年」との類似が指摘されるのも本作前後のカラー作品、特に本作においてである、ディスカバリー号の機内かと目を疑うようなカットが頻出するのでキューブリック・ファンは必見です)、なおこの年から大島渚・吉田喜重など松竹ヌーベルバーグとよばれる作品公開が始まったことは記憶しなければならない、本作で原節子は母親役、現在のわれわれのように連続して小津作品を見られる環境では奇妙な印象も受けるのだが、原が嫁ぎ遅れそうな娘を演じた昭和26年「麦秋」から9年、戦争未亡人を演じた昭和28年「東京物語」からでも7年が経過していたことになり、当時の観客にしてみれば当然の配役だったのかもしれない、本作で端役デビューし小津に得がたい印象を残した岩下志麻は2年後の「秋刀魚の味」で主演に抜擢される、小津には喜劇作家として面も色濃く、本作は戦後の代表作と読んでも異論はないとおもう、特に佐分利信、中村伸郎、北竜ニ、の同級生三人のコメディ・シーンのノリは上品なスリー・アミーゴスのようであり、加えて岡田茉莉子のコメディエンヌぶりも後の迫力ある大女優ぶりとは別人のようである、岡田は夫の関連でこの後コメディー調からは距離を置くわけだが、本来の資質はジュリア・ロバーツやメグ・ライアンと同類の女優であり評者は路線変更を残念に思う、岡田と浜美枝こそ邦画が誇るコメディエンヌに成り得たはずなのだが、二人の美少女、司葉子、桑野みゆきの可憐さを見るたびに、同じ国でもなるほど時代によって人の顔立ちは変化するのだな、と納得できます、 |