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甘い生活 デジタルニューマスター版 [D... |
| 東北新社2005-06-24 - 東北新社 価格 | |
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甘い生活 デジタルニューマスター版 [DVD]東北新社 価格(new/used): -- 円 / 3,000 円 より 発売日: (2005-06-24) アマゾン売上ランキング: 51964 位 DVD / 在庫切れ [ユーザーによる評価] 平均評価: 4.0 / 総数: 9件 8 1/2につながるフェリーニ絶頂期の名作冒頭の俯瞰から、いきなり8 1/2の世界。 余りにも有名なアニタ・エクバーグのトレビの泉のシーンをはじめ、映画史を彩った名場面の数々。若きマストロヤンニの美男子ぶり。 ニーノ・ロータによる有名なテーマ曲も、フェリーニ独特の映像世界に大きく貢献している。 彼の体臭さえ漂ってくるフェリーニ顔パスの五つ星作品、今はさびれてしまったチネチッタの撮影風景には往年の熱気が溢れ、映画ファンならこの映画を見ずして死ねない。 フェリーニの迷いこの時期、ネオリアリズモからの転換を図っていたフェリーニは、自らの映画スタイル確立についてかなり迷っていたようだ。ライバルたちが次々と秀作を発表していく中で相当な焦りを感じていたにちがいない。 上流階級の乱痴気パーティーシーンは、ヴィスコンティの<退廃>を、空飛ぶキリスト像や海辺にあがった巨大魚は、アントニオーニの<抽象>を模しているような気さえする。借りものの演出では伝わるものも伝わらない。本作品への評価が真二つに割れている一つの理由であろう。 映画は、ゴシップ専門の新聞記者マルチェロが平穏な生活を恐れて、巨乳女優やインテリ階級、没落貴族や映画関係者とひたすら乱痴気パーティーを繰り返す。その合間にパパラッチの過剰報道が挿入されるという構成だ。親しい付き合いをしていたはずの思想家や実の父親でさえ、気がつけば相手のことを何も知らないことを悟るマルチェロ。平穏で退屈な生活を恐れる人々の人間関係はなぜか表層的である。 唯一まっとうな生活を送っていそうなポニーテールの少女ヴァレリアと、マルチェロたち退廃組との間に横たわる<溝>が印象的だ。生命力に満ち溢れた少女の声も、心身ともに無気力に支配されたマルチェロの耳には届かない。安定した平和な生活に囚われそのまま腐っていくことを恐れた人々が辿り着いた先は、もはや自分たちの放つ悪臭でさえ気づかない退廃しきったバビロンであったにちがいない。 バイリンガル??男女愛・親子愛・友人愛などの様々な愛のかたちを描いた作品だと感じた。そのどれもが満たされずに堕落していく人間の酷体が伝わってくる。理解できないのはマルチェロのイタリア語とハリウッド女優の英語の会話がいつの間にお互い理解していたのかと言うことであるが、作品全体に比べたら小さな事である。 馬鹿騒ぎの夜は明けてこの映画は、バブル経済時代を知っている人にはとてもよくわかる映画ではないかと思います。なぜなら、これは「泡沫」といわれるほど豊かさのあり余った社会をスケッチした映画なのですから。 いつまでたっても大人になれない男、手当たり次第に男と寝ては倦怠に陥る女、大衆と結託して空騒ぎを演出し続けるマスメディア、誰もが劇中の人物であるかのようなリアル感の欠如、きらびやかな外面とスカスカの中身、心を病む生真面目な人々…。この20年間に私たちが経験してきたことばかりです。 モノクロ画面のなかで夜のローマは妖しく輝き、遊び人たちは甘い生活を貪っている。そして馬鹿騒ぎの夜が明け、白々とした朝の光が射してくる…。漂う疲労感と罪悪感、「どうせこんな享楽も長くは続かないのだ」といった感じの諦念。まさに今の日本人のためにある映画といっても過言ではありません。さすがフェリーニは天才です。1960年にすでにこんな映画を撮っていたのですから。 心のどこかを切り取ったかのような人間の心のどこかを切り取ったかのような作品。誰もが、堕落と絶望をおそれつつも魅かれてしまうという部分はあるのではないか。それだけに普遍的な映画だと思う。 アメリカのスター女優、聖母出現への大騒ぎ、田舎からでてきた親父のうかれ具合、パパラツィオなどなど、今でもある社会現象を見事に描いている。イタリアの古い車とスクーターだけが時代を感じさせる。 3時間は長いけれど、それだけの中身のある映画だと思います。 |