山猫 イタリア語・完全復元版

紀伊國屋書店2005-06-25 - 紀伊國屋書店 価格 ¥ 4,857
home書籍CDDVDゲームソフトウェア家電キッチンおもちゃ・趣味
山猫 イタリア語・完全復元版

紀伊國屋書店

価格(new/used): 4,857 円 / -- 円 より
発売日: (2005-06-25) アマゾン売上ランキング: 2970 位
DVD / 通常24時間以内に発送
[ユーザーによる評価] 平均評価: 4.5 / 総数: 14件

英語版、162分劇場公開版のレビューですが・・

後年のビスコンティ作品「地獄に堕ちた勇者ども」を連想させる、貴族の没落を
描いた大作。「地獄に・・」のほうが衝撃的な内容なのでこちらのほうがとても
落ち着いた、地味な作品に感じてしまった。

監督自身を描いた作品、という見方が多いこの作品。
監督が名門貴族出身で、それでいて共産党に入党したり、貴族社会の没落と
来るべき若い社会を冷静に受け入れ態度はこの映画の主人公、サリーナ公爵とかぶって見える。

純粋に作品を楽しむ、という点ではちょっと違うけどやはり監督自身の
経歴を知って見たほうが作品を楽しみやすいし、テーマもはっきりわかる気がします。

蛇足なのですが、劇中「美女」という役回りのアンジェリカ
自分としてはまったく美しいと思えませんでした・・・

意地悪そうな顔で、往年の大映ドラマでヒロインをいじめそうな顔、というのが
私の印象です。

劇場公開版はシドニー・ポラックの監修とのこと
赤い貴族ヴィスコンティによる、一時代の終焉を描いた芸術作品
この映画は1860年代のイタリア統一を舞台にシチリア貴族の終焉の美学と時代の変遷による世代交代を3時間以上にもわたって描いた芸術作品。
イタリアに行くと、よく耳にするのが、「イタリア人と言うのはいない。ナポリ人、ミラノ人。等は存在する。」と言う話だ。
要するにイタリアはルネッサンス期にも分裂していたらしいが、(漫画チェーザレ参考)その後も小国同士で何度も統一、分裂を繰り返し、小さな公国を寄せ集めた地域であった。
(だから、ナポレオン一世の兄ジョセフがナポリ公国王をやってたりした)
その小国群から、イタリアを統一し、民主主義の共和制国家へと移行する時代の激流の最中に、シチリア島で支配階層として君臨していた山猫の紋章を持つサリーナ公爵と、その甥タンクレディ、甥の恋人で新富裕層出身のアンジェリカの恋愛を中心に展開していきます。
それは、イタリア貴族の超名門出身のヴィスコンティ監督が、映画の登場人物を使い、滅びゆく者の美学を描くと同時に、貴族階級の支配社会の終焉と、老いと死の象徴がサリーナ公爵であり、
新時代の共和制民主主義と、生命感と若さと愛の象徴が、愛国心溢れる甥のタンクレディ、と新富裕層出身で野性的で挑発的なアンジェリカとして描いているのが分かります。
時代の激流に特別抗う事も無く、只、自分たちの時代の終焉を悟りながら黙ってそれを享受する貴族の心中があらゆる場面で描かれていますが、
それを最も鋭く描かれている場面が、甥とアンジェリカの婚約と社交界デビューを兼ねた、旧時代の貴族と新興富裕層が同時に参加した舞踏会であると思います。
舞踏会が終わった場面は、一つの時代と言う舞台から役者達が消えた宴の後の悲しさが漂いますし、貴族支配の時代から、庶民の時代へと移り変わるのを端的に表している様が素晴らしい。
青年時代、ファシスタ政権に抵抗する演劇等を作り、地下潜入していた「赤い貴族」ヴィスコンティの自身、自らの貴族階級への執着とその時代の終焉と言う現実を、彼は自ら滅びゆく貴族階級を題材にした映画を作る事で納得しようとしていたのかもしれない。
余談ですが、サリーナ公爵とアンジェリカが舞踏会で踊るシーンの曲はヴェルディの未発表曲。ヴェルディファン必聴。
又、イタリア統一に関してナポレオン三世への刺客として送られたカスティリオーネ夫人に関しては、白泉社「皇妃ウージェニー」載っています。フランス側から見たイタリア統一のご参考までに。

貴族は死なずただ立ち去るのみ
ビスコンティがクラウディア・カルディナーレのバッグの中身にまでこだわったという、シチリア貴族の絢爛たる衣装、豪華な宮廷内の装飾を十分に堪能するには、やはりデジタル・リマスター版で鑑賞することをおすすめしたい。

アントニオーニのイタリア映画にも必ずといっていいほど招かれるハリウッドスター。アフレコのため口の動きとイタリア語音声がまったく合っていないのが気になるところだが、シチリアの名門貴族ファブリツィオ・サリーナ公爵を演じるバート・ランカスターは、マッチョな前歴とは裏腹に、なぜかビスコンティ劇場では何の違和感もなくその存在感が屹立している。新時代の動きに機敏に対応する才気あふれる公爵の甥タンクレディを演じたアロン・ドロンを軽くしのいでいる。その相手役、新興ブルジョワの娘からタンクレディの妻におさまるアンジェリカを演じた若きクラウディア・カルディナーレは、頬のあたりがふっくらとしてまだあどけなさが残っているが、そのウエストは完璧なまでにシェイプされ、ビスコンティがこだわりぬいた舞踏会用のドレスが美しくスクリーンに映えていた。

イタリア統一戦争の波に翻弄されるシチリア名門貴族サリーナ家は、ミラノの名門貴族であったビスコンティ家とそのまま重なる。『新旧2つの世界にまたがって生きている』サリーナ公爵が中央政府の使者から上院議員就任の勧誘を受けるシーンにおいて、この映画のテーマがよく語られている。『異文化の圧迫を受け続け、2500年間自らの文化を作り出せなかったシチシア人は老いている。我々は長い眠りを求めているのだ。…ただ忘れ去られたいのだ』『血なまぐさい事件も、甘美な時の流れに身をゆだねるのも、結局は官能的な死への欲求なのだ』『現状を肯定する者に向上はのぞめぬ。自己満足は否定よりも強い』こんな言葉を外資系の会社で言おうものなら、「お前やる気あんのか」と上司からまちがいなくどやされるのがオチだが、ライオン髭をたくわえ人生の悲哀を味わいつくした老公爵が切々と語ると何とも説得力があるから不思議だ。仏教の<無常>にもつながる世界観を、アメリカを含めた新興国の人々が理解するのはおそらく難しいだろう。

既得権益にしがみつき、いつまでも後進に道を譲ろうとしない日本のご老人たちに、この映画で描かれる<去り際の美学>を是非学んでほしい。
ヴィスコンティの最高峰
二度ともうこんな映画監督は現れないだろうし、二度とこんな映画は作れないだろう、と思われる作品。
ヴィスコンティの生涯の映画のテーマは首尾一貫したものがあったと思うが、その中で「山猫」こそが、ヴィスコンティの最高峰といえるのは、西洋キリスト教的な貴族文化の象徴であり、その最高の趣味を現出しながら、時代の変化の中に敗北し、滅びゆく姿を描きながらも、アラン・ドロンとクラウディア・カルディナーレ扮するカップルに、未来への希望をつなげていくところだと思う。消え行く姿が、決して悲しみだけで終わらせていないところが、この作品の最高の評価を与えているところであり、他のビスコンティ作品とも一線を画している点なのだろう。
若い頃のアラン・ドロンは、本当に美しく、こんなに格好良かったのだ、とあらためて感じさせられたし、なぜ、この作品がカンヌの最高賞なのかも、観て納得できた。
ヴィスコンティそのものは、貴族であり、クリスチャンでありながら、共産主義者というとても矛盾に満ちた人ではあったけれど、この作品の中に、彼の資質のすべては現われているといえよう。
以前 NHK で見て・・・
以前 NHK で放送していてその時、余りしっかり見ていなくて、・・山猫のDVDを捜して・他のサイトで発見したのですが!在庫がなく捜していたら、運良く購入・・・でき即再生、本編が長いですが!素晴らしい映画デス!ただ今のところ吹き替え版がないので、途中で飽きてしまいますが、是非、まだ注文出来る時に購入する事を!