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父と暮せば 通常版 [DVD] |
| バンダイビジュアル2005-06-24 - バンダイビジュアル 価格 ¥ 2,589 | |
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父と暮せば 通常版 [DVD]バンダイビジュアル 価格(new/used): 2,589 円 / 1,850 円 より 発売日: (2005-06-24) アマゾン売上ランキング: 6136 位 DVD / 通常24時間以内に発送 [ユーザーによる評価] 平均評価: 4.5 / 総数: 15件 日本人が忘れてはいけない、8月6日、9日を考えさせる映画(1)広島の悲劇に関しては、「夕凪の街 桜の街」という傑作が昨年劇場で公開され、今年DVDとして発売された。その「夕凪の街」編の主人公皆実がしきりに死んだ人に申し訳ない、自分はこの世にいてはいけない、と痛切な告白をしていたが、本作は原爆の被害者がどうしてそう思い込まなければいけないのかがよくわかる映画だ。なぜ主人公(宮沢りえ)は自分は幸せになってはいけないと考えるのか、1945年8月6日広島で何があったかを、1948年夏というまだ広島が復興からはほど遠い時点で回想シーンを交えながらじっくり描いている。ピカの被害者が自分を責めざるを得ない悲劇が何万とあったことを日本人は忘れてはいけない、というメッセージが強烈に伝わる。原作は井上ひさしの戯曲で、映画もほとんど娘(宮沢りえ)と娘の男性(浅野忠信)を思う気持ちがきっかけで実体化した死んだ父(原田芳雄)の室内での2人芝居に終始するが、長まわしの多用、狭い室内でも絶妙な動きを示すカメラ、そのカメラの枠に人が入ったり出たりする計算された動き等、室内劇の映画化として一級の出来だ。2人の演技の集中力にも驚嘆する。印象的なのは室内のシーンだけではない。中でも、8月6日の広島の空にゆるゆると原爆が落下して、爆発し、強烈な熱線を発射する場面に息をのむ。そして少しだけ顔を出す浅野忠信の存在感。彼の愛を主人公が受け入れようとする(と思わせる)ラストが救いだが、仮に彼らが結ばれたとしても、幸せになれただろうかと思うと、映し出される部屋の天井が原爆ドームになっているラストにやり切れなさを感じる。先週観た「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」と原爆の扱い・重みの何と異なることか。日米の原爆観の違いを改めて痛感したことを付言する。 若い力に託した未来原作どおりのセリフに、原作どおりのストーリー展開。この作品に故・黒木和雄監督が脚色をくわえたとすれば、ラストシーンのみということになるのだろうか。娘の幸せを見届けた父があの世に帰って行った後、福吉美津江(宮沢りえ)がニンジンをきざむシーンがパンし、原爆ドームの天井を映し出す。まだ瓦礫が散在するドームの庭の片隅に、2輪の白い花が咲いている…。 父と娘の悲劇を普遍化する効果によって、より反戦メッセージを強めようとした黒木監督の狙いが感じられる。2輪の白い花は、はじめ竹造と美津江のシンボルかに思われたが、やはりそれでは原爆投下後に出会った木下(浅野忠信)の存在が矛盾してしまうことになる。 白い花は、たとえ放射能に汚染された瓦礫の下からでも蘇る力をもった2人(美津江と木下)のシンボルとした方が、やはり素直な見方であろう。「美しい夏キリシマ」で描かれていたように、宮崎えびの市空襲で直撃を受けた友人を見捨てたという美津江と同様の疚しさを覚えていた黒木監督は、戦争のトラウマを乗り越えた若い力に日本の未来を託そうとしたのかもしれない。 今だから必要な戦争伝承黒木和雄監督と言えば、「竜馬暗殺」や「祭りの準備」のリアルな描写が好きだったが、それ以後の作品は今ひとつしっくりこず不発のイメージが強くなり、あまり観なくなっていた。久しぶりに観た彼の作品には彼の底力でみなぎっており、十分堪能できる傑作だった。 この映画は原爆投下から3年後、想う人のいる娘(宮沢りえ)のもとに死んだ父親(原田芳雄)が恋愛応援団として現れるという設定。宮沢と原田のほとんど2人芝居で構成されている。彼等2人の芝居は舞台を観ているというよりも、2人の戦争体験を聞いている1人として芝居に参加しているかのような不思議な感覚になる。原爆投下後の焼け野原や焼け爛れた被爆者等の特殊効果を用いたシーンをほとんど廃し、親子の会話と原爆の痕跡の品々(原爆資料)で原爆の悲惨さを観るものにイメージさせるという手法をとる。 被爆者の体から出たガラス片・・・むごいことよね 原爆瓦・・・とげとげしいね 原爆の熱でゆがんだ水薬のビン・・・おとろしいね こんな原爆資料と会話により原爆のイメージがCGよりもリアルとなり、恐ろしさも増す。特に、一寸法師の物語に原爆資料を盛り込んで子供たちに伝承しようとする父親のアイディアを自ら劇中劇として演じる原田は鬼気迫る。 原爆投下のシーンも被爆者側から描かれており(下から見上げる構図で描かれる)、「B(B29爆撃機)が何か落としていったよ。宣伝ビラかね」のんびり空を見上げる宮沢の言葉はその数秒後の地獄の予想すらなく、かえって恐ろしい。 映画のなかでの親子の会話は優しくお互いを思いやる気持ちで溢れているが、そんな2人の会話を通して、原爆投下後の状況、娘が生き残った理由、死んだ友人やその母親、自分が幸福になってはいけないと思う理由が徐々に明らかになり、観る者に被爆の恐ろしさ、悲しみを伝える。 過去のことは美しく描かれやすいとの誤解もあるかもしれないが、戦争体験者が徐々に少なくなってきた今だからこそ、このような悲しい戦争体験を伝承するような作品は重要なのではないかと思う。 生きる者の哀しみメディアからのメッセージを受け取るのに、公式は存在しない。どのような設定も理解も許されるのが文学であり、本作品において作者の意図は十分に伝わっている。本来、戯曲として描かれた本作品の映画化は、どうしても表しえぬものを映像化するために、作りに目がいきがちだが、それは枝葉末節である。この作品から本質だけを求めたいのなら二人だけの抽象化された舞台での上演で十分であるが、映像化による美しさも堪能したい。宮沢りえのブラウスの白さが、戦後をよく表現している。PTSDを表現した物語としても評価できよう。最後の天井を写したシーンが心に残る。 父娘の愛情。宮沢りえと原田芳雄のまるで舞台劇のような二人芝居。 原爆で亡くなった父親が、娘の恋愛応援団長に出現する。 恋愛を罪と感じる娘。親友の死によって「自分だけ幸せになれない。」 でも本当の娘の罪悪感は・・・。 原田芳雄の、あのゴッツイ体でエプロンをして、まめまめしくごまをすったり、 雨漏りでタライを運ぶ姿が、コミカルでもあり、もの悲しい。 娘の最後の言葉。「また何かあったら出てきてね。」 唯一娘の幸せを願って、あの世から出てきた父親。 けっしてもう出てくる必要は無いだろう。 娘の心の中で封印していた名残は、浅野忠信との恋愛を契機に その思いが父親に伝わり、父親からのメッセージも確実に受け止められているのだから。 同じテーマの商品を探す
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