友だちのうちはどこ?

パイオニアLDC2001-09-21 - パイオニアLDC 価格
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友だちのうちはどこ?

パイオニアLDC

価格(new/used): -- 円 / 15,000 円 より
発売日: (2001-09-21) アマゾン売上ランキング: 73776 位
DVD / 在庫切れ
[ユーザーによる評価] 平均評価: 4.5 / 総数: 5件

「今度ノートに書かなかったら、退学にするぞ」
「ドア」がいくつもでてくる。
まず、教室の締まりの悪いドア。
つぎに友人の家の青いドア。
そしてノートを勝手にやぶった職人の鉄のドア。
さらに、年老いた窓職人の窓。(これは窓)
ラストの宿題をしているときに突風でひらくドア。
本作は、映画の“教科書”である。

本作は、プロットもストーリーも、ほぼ無きに等しい。セリフと「ドア」のみで、ドラマを生んでいる。小津安二郎も真っ青である。ちなみに、のちの『桜桃の味』では、セリフすらも排するという冒険をおかすッ!! それはそれは、見事であった!!

ラスト・シーンも、うまい。
『おしん』や『フランダースの犬』のように、泣きをオチにするスタイルではないところが、いい。30年前の作品であるが、見劣りしない。名作である。
映画の真髄
初めて観たイラン映画。
いきなり、見たこともない生活空間が広がり
これこそ映画の醍醐味。
景色や、言葉や、風習を見ているだけでも
とても興味深い。

映画は、タイトルの通り、友だちのうちを探す物語。
そういえば、こないだまで、日本にも携帯はなかった。
その前は電話だってなかった。
もちろんインターネットだってない。
何かを知ろうとするときは、人に聞くしかなかった時代が
自分にもあった。そう、子供時代だ。

聞くことが不安な子供時代。
大人が別の人間に見えた子供時代。
その大人の理不尽さ。習慣という規則。
芥川龍之介「トロッコ」にも似たような不安な感情。

子供の表情があまりにも上手で、
「早く早く!」って思ってしまった。

映画とは、知らない世界を知ること、
知らない町を垣間見ること。
数時間だけでも、体験できることができる。
本当に素晴らしい。
少年の想い
イランが世界に誇る巨匠アッバス・キアロスタミの代表作。イラン北部の小さな村を舞台に繰り広げられる牧歌的であり大人の世界を少し覗いてしまう少年による成長の一日。友達のノートを誤って持って帰ってしまった少年が、そのノートを返そうと友達の家まで右往左往する様子をドキュメンタリータッチで淡々と進ませていく。道ににたむろするおじいさんおばあさん。忙しく家の仕事をするおばさん。突然路地から現れる大きな牛。数々の困難から少年は成長してゆく。子供からの視点でカメラはそれらの出来事を克明にとらえる。右へ左へ折れるジグザグな丘に開かれた道をひたすら友の為に走る、あの少年の姿が目に焼きついて離れない。
凄いですね
ã"れまたç' æ™'らã-い映ç"»ã§ã™ã€‚イラン映ç"»ã€‚
アッバス・キアロスタミの作å"ã¯ã"れã-か観たã"とないã‚"ですが
ä»-にも名作ã‚'沢山作ってるらã-いã‚"でどã‚"どã‚"観ていã"うと思います。
友é"とノートã‚'é-"違えて持って帰った子がè¿"ã-に行くというå†...容だã'なã‚"ですが
そのæƒ...ç·'が凄い。最初に母親に友é"の家まで行くのã‚'説明するやりå-り、

中盤でのばあさã‚"とのやりå-り、終盤のじいさã‚"ã‚'置いていって
犬に吠えられるエãƒ"ソード、クライマックスの母親の出ã-た御飯ã‚'
ひねくれて食べないといったæ¼"出など、どれも一ç'šå"ã ã¨æ€ã„まã-た。
最後に風でドアがé-‹ãã‚·ãƒ¼ãƒ³ã¯ä¸€ä½"何ã‚'象å¾'ã-てるのかなと思いまã-たが
恐らく大人のä¸-界と子供のä¸-界とのéš"たりか何かã‚'象å¾'ã-てるã‚"だと思います。

å...¨ç·¨é€šã-ã!¦å­ä¾›ã‚'描いているようでいて、イランの大人ã‚'批判ã-ているような
映ç"»ã§ã™ã€‚ラストの終わりæ-¹ã‚‚あっさりã-ていて良いですね。

手に汗握る「小事件」
 小学生のアハマッドの住む日常では、先生も親も、とにかく毅然としていて厳格である。その中で、子ども達はなんとか自分なりの主張をし、工夫をし、子どもなりに友達への義理を立ててがんばるのだ。とても現実的である。

 明日、宿題をノートに書いていかないと隣の席の友達は退学になってしまう。そして何と!ここにはうっかりカバンに入れてきてしまった友達のノートがあるのだ。今日のうちに返しに行かなくては。アハマッドにとっては何より大事で緊急な用事である。だがお母さんは聞いてくれない。どうしよう...そしてアハマッドは決意する。

 子どもたちも大人もとにかく自然である。お母さんに、なぜノートを返しに行かなければならないか繰り返し説明を試みるアハマッドの声が、洗濯に忙しいお母さんには一度では聞こえず、2度3度と同じことを言わなければならない。実生活の中では、確かに「映画のように」一度言って全てが伝わることばかりではない。おそらくキアロスタミ監督は計算しつくしていると思われるけれども、そのじれったさが極めて自然なのである。そう、じれったいのだ。思わず手伝ってやりたくなる。それが手に汗握る現実感となって身に迫るのだ。

 話の筋にあんまり関係ない?じいさんが出てきたり、当惑するアハマッドがただぼうっと座っている場面が長く続き、表情によらずその当惑の程度が伝わってきたり、これもおそらく計算されたある種の「ゆるみ」が、生活の空気のように現実的なのである。

 叱る先生と叱られる友達を交互に見つめるアハマッドの目が何とも言えずかわいらしく純粋で、その場でアハマッドが感じているであろう当惑を我が事のように感じさせる。私はアハマッドにも、叱られて泣く友だちにも、DVDの画面に向かって思わず「よしよし.......」と声をかけてしまった。ラストの解決も見物。