バトル・ロワイアル

東映ビデオ2001-09-21 - 東映ビデオ 価格 ¥ 2,980
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バトル・ロワイアル

東映ビデオ

価格(new/used): 2,980 円 / 1,699 円 より
発売日: (2001-09-21) アマゾン売上ランキング: 5281 位
DVD / 通常24時間以内に発送
[ユーザーによる評価] 平均評価: 3.5 / 総数: 88件

色々意見があるようだw
星の数見ても賛否両論だな〜wまずこれをおすすめするならグロいのが大丈夫あるいは好きな人!あと若い子向け!あと映画に関していえば素人好みの作品かな!批判的に星1つとか星が少ない人は大体は命の尊さや殺すって事にすごく嫌悪感を感じる人が多いのかな!それと玄人さんからしたら否定されてもおかしくないだろな〜wまあでも素人目線の俺からしたらほんとにいい映画だったな〜!アクションあったしwまあちょい殺しの場面で目を覆いたくなるようなとこもたくさんあったけどね^^;とにか〜く!!刺激的な映画を求めてる人は絶対見るべ〜し!おすすめでっす!最後に一言!続編は見るな〜!!!!!!!絶対損するよんw
現代社会の縮図
この映画は、資本主義の現代社会の縮図である。

一人しか生き残れないというのは、完全な妄想なのだが、
全員が、そう信じてしまったら、殺し合うしか無くなってしまう。

そういう、社会の現実を、この映画は、鋭く指摘していると思います。

原作も読みましたが、原作者の言いたいことも、深作と基本は同じと思いますが、
原作者の方は、心理療法の専門家による治療が、必要のように思いました。


理解できない人は、例えば、冷戦当時の、米ソのにらみ合いを思い出してください。
大泣きしました。
自分は人と完成がかなり違うといわれているので、そうだったのかもしれませんが。
この映画は初めて見た時、大泣きしました。
短い尺の中で扱われている人。
人の命。輝き。
その人の心。

人が一人ひとりさまざまな理由と過去を持っているのが、
その心情が伝わってきて、大泣きしました。
「いちどくらいうばうがわになりたかった」
うろ覚えですが、私が一番覚えているのはこの台詞です。
さまざまなモノを奪われてきた彼女。
何でもよいから奪いたかった。
たぶん、これはいじめを受けた経験がある者なら、誰でも持つ意見だと思います。。。

この作品は、本当に残酷です。
残酷であっても、人が人として生きてます。
その人、一人ひとりの気持ちを感じ取ると、本当に泣けるんです。

広い意味でこれは感動できる作品ではないのでしょうか?
これは人を自分を見直すことの出来る作品だと、思います。
暴力による暴力の肯定ではなく、暴力による暴力の否定である
この作品は僕がちょうど中学生の頃に公開され、その暴力的な内容が話題を呼んでいた。
レビューをいくつか見ても「何かを伝えようとする人」と「何も無いと主張する人」とが大きく分かれているのが伺える。

僕はその両者でもなく、あえて言うならば何かを伝えようとする側に属するのだと思う。
なぜなら、この映画は観る人に何かを伝えようとする純粋な作品でもなく、ただの暴力しか無い映画でもないと思っているからです。
では一体どんな映画だと思っているのか?それは暴力を含む表現によって何かを伝えようとしている映画だと言うことです。

さんざん言われてきた通り、この映画では42人のクラスメートが殺し合いというゲームを強要され、それを繰り広げる血まみれの残酷な内容です。
そしてそこには個々の生徒の価値観が行動に大きく関わっており、それらがこの殺し合いの中での役割を演じているのです。
例えば、藤原竜也さん演じる主人公の七原秋也は情が深く、同じ孤児院で育ち人生を共にしてきた親友の国信慶時の死に、
慶時が想いを寄せていた女子の中川典子を守ることを決意する。こういったそれぞれの思いが殺し合いという極限状態の
下でも表れている。いや、むしろそういった個々の内面は極限状態において極まると言ってもいいと思う。

このゲームにおいてまず言えることは信じる心が重要だということ。もし誰かと遭遇した場合、相手が信じれない場合は
誰でもきっとその相手に銃口を向けるだろうと思う。つまり自分を攻撃し得る人間に遭遇した場合は相手に攻撃される前に
自分の身を守るために威嚇するということ。一方、信じれる人間と遭遇した場合は?自分を攻撃し得ない人間に遭遇した
場合は銃口を向けるどころか繋がろうとするだろう。これが友達というものなのではないかと思う。

ではこの時の武器とは?これは誰でも心の奥底に持っている暴力そのものだ。誰かと喧嘩するとき、言葉という暴力を使う。
皆、気付かないうちに色々な場面で暴力を使ってきたのだと思う。それによって友達だったはずの人間と喧嘩してしまうし、
自分を愛してくれている人や家族までも傷つけてしまう。そう、日常はバトルロワイアルと化してしまっているのである。

そういった暴力の先に残るものは何も無い。そしてお互いに武器を持っている僕らはいつかそれを使うときが来るとして
迷い続ければならないのだろう。だけど今よりもっと前に進まなくてはならない。
これが僕の受け取ったメッセージであり、映画のラストシーンを締めくくる言葉でした。

バトルロワイアルとは、暴力という誰もが入りやすい入口でありながらもその出口が見つかりにくい作品である。
その出口があると主張する人と無いと主張する人とがレビューに分かれているということなのだ。こういった事態が
起きるのは、この作品が暴力によってその対極にある優しさを伝えるものであるからであるからだ思う。

この作品のみならず、深作欣二監督は暴力を描くことで暴力を否定しようという考えが根底にあり決して暴力を肯定しているわけではない。
そしてそれは監督自身が戦争という巨大な暴力を体験したことがきっかけのようである。
自分は受け入れられない
私は高校生の時に友達が借りてきたきっかけでこのDVDを見ました。
見終わってみて何と言うか、凄く悲しくなるし心が虚しくなりました。
何でこんな中学生同士が殺しあうなんて残酷な事が考えられるの?
そりゃあ人を信じる事、命の大切さを教えるのは良い事だと思いますよ。
でも、こんな残酷な方法で語るのもどうかと思います。
人を信じる事や命の大切さを教えるにも、もっと別の方法があるでしょうと言いたくなります。
こんな酷い映画はもう2度と見たくないと思いました。