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怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 ... |
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怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書) (サンガ新書)サンガ 価格(new/used): 735 円 / 298 円 より 発売日: (2006-07-18) アマゾン売上ランキング: 10644 位 新書 / 通常24時間以内に発送 [ユーザーによる評価] 平均評価: 5.0 / 総数: 16件 なんて直球な・・・でも!「怒らないこと」というとてもストレートなタイトルに惹かれて購入。 ズバズバとした直球な語り口に泣きながら読みました(笑) でも、何だかここ数年味わった事のないスッキリした気分。 それはたぶん、小さい頃悪い事をして近所のおじいちゃんに叱られた時のような、愛にあふれた暖かな想いを感じたからだと思います。 「怒る人は動物以下」 あ、私だ!と即座に思いました(苦笑) 確かに怒っているときは理性なんか吹っ飛んで、手なんか震えて顔は醜く歪み、残るのは虚しさと疲労だけ・・・。 こんな自分に疲れたな・・・と思っていたところで、この本と出逢いました。 そうは言っても急に聖人君子みたいには変われないかもしれないけれど、この本に書かれている事を少しずつでも実行していけたらいいなと思いました。 私のように短気な自分を持て余している方にオススメの良書です!! たどり着いた一冊身近な人間の無神経な行動、理不尽、権力者の傲慢からPCの不具合まで、ありとあらゆることに「怒り」の炎を燃やし自らの体を傷つけていた私は、これまでにかなり硬いセルフコントロール実践の本や、怪しげな民間療法的なものまで試してみましたが、読んだはなから、踏み切りがなかなか開かないことにイライラしているような「阿呆」でした。しかし、この一冊は、間違いなく自分を変えてくれました。それは奇跡ではなく、実践不可能なほどの険しい修行でもなく、心に点火した怒りの炎を消す為の、自分に対するちょっとした「語りかけ」の繰り返しでした。この厚さ1センチにも満たない本の中に、自分の人生を「善き方向」へと向けてくれる智慧が詰まっています。 怒らなければ幸せになれる悪に対して怒ることはよいことだと思ってました。正義の怒りや 怒れる若者に魅力を感じていました。 しかし、正しい怒りなどなかったのです。「自分は正しい」という エゴが怒りをもたらし、性格を暗くしていたのです。 真の勝利者は悪党に対しても怒りを持たず、問題として捉えます。 そして他人をどこまでも赦してあげます。 この本を読んで、心の中の巨大な怒りの塊が認識できました。そして それが、周りから少し溶けた気がします。でもまだまだでっかい 塊が残っています。この塊が溶けたらきっと明るい性格になれる 気がします。 なぜ怒ると損なのか、がよくわかる本言うことを聞かない部下に毎日怒鳴りまくっていたときに出会った本。 怒鳴ってしまった後はとても心が痛むものだが、 本書を読むと、怒りのメカニズムがすんなりと抵抗なく頭に入ってくる。 すべての怒りは「自分は正しい、だから相手は間違っている」というエゴから起こるもの。 それなら、自分の心を直せば怒らなくても生きていける、ということが書かれている。 また、攻撃を受けたときは、相手の言葉をスポンジのように吸い込む心ではなく、 水晶玉のように汚されてもふき取れるような心を持って対応すべきだ、とある。 部下が言うことを聞かないとき、普通に「指示を守ってね」と言えば問題は解決するものを、 「言うことを聞かないのは、私のことをバカにしているからだ」と思い込んで、 問題解決とは関係のない、自分の感情だけで怒鳴りまくっていたことに気づいた。 また、その感情は「バカにされるようなことをしている」という心のやましさから起こるもので、 やましいことさえなければ怒る必要はなく、怒れば自分の心の方が傷むことにも気づいた。 それが、著者のいう「水晶玉のような心」の本質なのだろう。 「怒り」というひとつの感情に目を向けるだけで、 ここまで人生観を変えてくれる本に、いままで出合ったことがなかった。 著者の他の本も読んでみたくなった。 正しい怒りなどない世の中で不快だと感じることは多い。殺人、強盗、競争…など枚挙に暇がないが、ひとつ共通の要素を持っている。「怒り」だ。怒りが人の気分を害することは誰でも経験的に知っている。しかし、怒ることがどれほど悪いことなのかを説明できる人は少ない。そこで、本書は仏教的な見解から怒りへの深い洞察を示してくれる。 まず、スマナサーラ長老は、「幸福の仇敵である怒り」と表現している。人が怒っている時、対象を冷静な判断力をなくしてしまう。その人は相手も怒らせ、傍観者の気分をも害してしまう。つまり、人の心から生まれた怒りはまず自分のからだを燃やし、他人へも飛び火し幸福を奪ってしまう性質を持っているのだ。仏教では怒りを「炎」として表現する。なるほど燃やしてしまう性質は炎と同じだ。ほかのものを巻き込んで燃やせば、さらに火炎の勢いは増すように、怒りの炎も相手の怒りによってエスカレートする。したがって、スマナサーラ長老もおっしゃるように「正しい怒りなど仏教では成り立ちません。どんな怒りでも、正当化することはできません」(p69)なのだ。 本書を読むのに前後して、太平の世をもたらした神様徳川家康を祀る日光東照宮へ行った。そこで見た家康公の遺訓と、本書における怒りの仏教的考察との多くの類似点に驚いた。 「人の一生は重荷を負て、遠き道を行くが如し。急ぐべからず。 不自由を常と思へば、不足なし。 こころに望みおこらば、困窮したる時を思い出すべし。 堪忍は無事長久の基。 いかりは敵とおもへ。 勝事ばかり知りて、まくることをしらざれば、害其身にいたる。 おのれを責めて人をせむるな。 及ばざるは過ぎたるよりまされり」 両者とも、怒るのは自分が悪い。他人を赦してあげなさい。怒りを容認してはならないという点が一致している。これは実際、太平の世の中を築いてきた者の智慧である。やはり「正しい怒り」はないのだ、ということを諭された思いだ。 |