闇の奥

Joseph Conrad - 三交社 価格 ¥ 2,940
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闇の奥

Joseph Conrad
三交社

価格(new/used): 2,940 円 / -- 円 より
発売日: (2006-04) アマゾン売上ランキング: 73201 位
単行本 / 通常3~5週間以内に発送
[ユーザーによる評価] 平均評価: 4.5 / 総数: 5件

心の闇を克服するのがいかに難しいか
他のレビュアーの感想に触発され、注文してから1月以上待たされてようやく手にした。活字が大きくまたこなれた日本語で読みやすかった。訳注は読み応えがあり十分読む価値あって、中野訳と対等にたいまんを張れる著作物と感じた。しかるに中野訳と異なる感想を持ちうるかというとそうではなく、中野訳とこの本から獲得した思想は同じ「ような」ものだった。ナショナリズムの台頭を予感させまたそれを克服するのがいかに難しいかを語っていると感じた。ナショナリズムも植民地主義も過去の遺物ではなくわれわれの心に(闇として)存在する。
闇の奥とコンラッドと中野好夫

非常に興味深く、そして、意外な面白さを
提供しているのは、かつて東大英文科教授
を務め本邦初訳及び改訳を50年前に果た
した中野好夫氏に、堂々対決を挑んだ藤永氏
の演繹的誤訳訂正のプロセスである。
えっ、白く塗られた墓の都市はパリじゃな
かったの?・・・・・・などなど。

拍子抜けするほどシンプルで、他愛もない
筋書きに、魂を揺さぶるように詩的で瞑想的
な味付けをなされた原作の心が、またひとつ
裸にされたと言うべきか。

植民地主義であるとか、ジェノサイドである
とか、闇の本体について壮厳なテーマで語ら
れることの多い本作であるが、クルツ個人の
煩悩と、いささか醒めた語り部マーロウの、
ちょっとした葛藤、くらいに読んでも良いの
ではないかと、正直、思う。

マーロウが熱く語れば語るほど、話の聞き役
である船長・重役も、弁護士爺さんも、会計士
も、静かにマッチを擦るに惰す。

アフリカ行きの前後で頭囲がどれほど変化するか
調べたいと言った、検診医の興味。あるものに
とってのホラーが、別のものにとってはその程度
のものでしかないという現実もまた、コンラッド
が示したかったダークネスかとおもいます。

象牙集め、イコール、現地人の信仰集めに偶然成功を
果たし、神である事の孤独と不安にさいなまれた
ある男の死にザマ。それはスペイン、イギリス、
フランスの、その後を象徴する寓話でもあるのだが、
これが100年前の予言書となりえたことを、コンラ
ッド自身は知らずにいたかと思うと、感慨深い。




完全に別訳で決定訳で既訳が誤訳であることを示す訳です
こういう翻訳もある。「怒り」を動機とする訳。

「「闇の奥」の奥」を読むためにも、読みましょう。
この訳と解説によって、はじめて、なぜ不思議な冒頭部と最終部が必要だったのか?
そこに描写される4人とは誰なのか?なぜ不思議な聞き語り構造になっているのか?が理解できました。
また、既訳が、ある「決定的」な(あまりにもノンポリティカルな)誤訳の連鎖をしている結果、
混迷状態に陥っているか、が分かりました。ビールの都はパリではありません。

単に古典が再訳されたというものでは全くありません。
既訳を読んだヒトも本訳を決定稿として読んだ方が良い。

そして「「闇の奥」の奥」も読みましょう。
さらに「地獄の黙示録(完全版)」を、何重にも罪深いモノとして観ましょう。
本訳のクルツに映画のカーツを期待しないように。
人の心の奥底
 中篇小説ながら その後に与えた影響は大きかった。

 映画「地獄の黙示録」がこれを原作にしている話は有名である。原作は 植民地時代のアフリカだが これをベトナム戦争時代のインドシナ半島に翻案したのが映画である。「地獄の黙示録」を哲学的な映画と評する向きがあるが それは コンラッドのお陰である。

 村上春樹の「羊をめぐる冒険」にも本書が出てくるといわれている。主人公がこもる 北海道の別荘に「コンラッドの本」が出てくるが これは設定上 まず「闇の奥」と言ってよい。村上は「現代の北海道」に翻案したわけだ。

 人間の心の奥に潜むものの話だ。心を「闇」というコンラッドの 奇妙な ニヒリズムが味わいである。この本も新訳が出るまでになった点も興味深い。今なお 人をして読ましめるということなのだろう。

ヨーロッパは、アフリカをどう見たか
 フランシス・フォード=コッポラ監督の映画『地獄の黙示録』の原作として有名に成ったコンラッド(1857−1924)の小説である。コンラッドは、元々はポーランド人で、イギリスに帰化した人物であった。その為、コンラッドの文学においては、例えば『エイミイ・フォスター』などがそうだが、異文化の出会いと断絶が、大きな主題と成って居る。
 この小説は、一人の船乗りが、コンゴ川を船で遡り、そこで自分が見た光景を語ると言ふ物語である。当時のヨーロッパ人にアフリカ奥地の社会がどう映ったかが語られて居て興味深いが、コンラッドが、この作品で、当時のアフリカ奥地を描いた視線は非常に否定的な視線である。それは、美術や音楽などの、アフリカ文化の優れた側面を度外視した物で、コンラッドのそうした視点は明らかに一面的な物である。当然、今日の目で見れば、批判されるべき点は有るが、それはそれで、一つの視点であり、必要以上に批判されるべきではないと、私は思ふ。
 この小説を原作にしたコッポラ監督の『地獄の黙示録』が公開された時、五木寛之氏は、週刊『プレイボーイ』でコッポラ監督と対談して居る。その中で、五木氏は、コッポラ監督の『地獄の黙示録』における東南アジアの描かれ方が、コンラッドの『闇の奥』におけるアフリカ奥地の描かれ方と余りにも同じである事に驚いたと言ふ趣旨の発言をして、『地獄の黙示録』を批判して居る。私は、五木氏の批判に同意しないが、氏が『地獄の黙示録』を観てそう感じた理由は分からなくはない。

(西岡昌紀・内科医)