新約聖書訳と註 3 (3)

田川 建三 - 作品社 価格 ¥ 5,040
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新約聖書訳と註 3 (3)

田川 建三
作品社

価格(new/used): 5,040 円 / 3,500 円 より
発売日: (2007-07) アマゾン売上ランキング: 184238 位
単行本 / 通常24時間以内に発送
[ユーザーによる評価] 平均評価: 3.5 / 総数: 3件

田川節を楽しみながら註の方を読む本。もはや学問的にも無視できない存在。
1テサ, ガラ, 1コリ, 2コリを収録。毒舌を笑い飛ばせるくらいの信仰を持った説教者がきちんとギリシャ語に当たる場合にこそ、この書物の真価を発見できるだろう。個々の単語の訳語を、欽定訳やルターやウルガタの影響(著者は「護教的」な読み込みと言うが)を除去して語義的に元来の意味にこだわって選択した可能な限りの直訳で、そのことを註で詳述。分詞構文など後から修飾して文を続けている構文も、なかなか苦慮して原文に近づけて訳している。そのために日本語としての読みやすさは考えていない、といより、そもそも原文の意味が一つに確定できないならばその曖昧さをそのままに訳出し、訳を一意に決定できない場合に考え得る訳をすべて註において吟味、特に口語訳と新共同訳との比較を中心にその他の訳と相違する理由を、毒舌を絡めながら飽きずに張り切って叙述(しかし新共同訳の「キリストに結ばれて」の頻出にいたってはついに「もうやめてよ!」と絶叫。2コリ12:19)、本文批評(著者は「正文批判」と言う)も原文が確定できなければ断定しないという姿勢で言及、バウアーさえ鵜呑みにせず、パウロの悪文(例えばγαρの多用)や属格趣味(1テサ1:3など)や自意識過剰(例えば1テサ2:18)に辛抱して付き合い、うまく訳せないときは素直に謝る(1テサ3:7、ガラ1:11、1コリ15:34など)。
「口語訳」と「新共同訳」をけちょんけちょんに批判しているのは、立派な翻訳であるからで、「すでにそういうものが存在しているにもかかわらず、敢えてそれと異なる訳を提供するには、・・・それだけの理由がなければならない」からだが、それらの方が優れている場合には真似をしている(例えば1テサ2:5)。なお、これ以外の日本語訳は「水準がまるで違って、とても言及するに価しない」(序文)。
パウロ思想を知りたい人にもコイネーをやりたい人にも
RSVやTEB等の英訳が口語訳、共同訳に与えた影響については『書物としての新約聖書』『宗教とは何か(上)』に詳しいです。そして両書で示された翻訳とは極めてイデオロギー性が高い行為であることを踏まえながら、行われた訳業が本書です。またコイネーの特徴上、幾通りにも解釈出来る箇所が多く、本書でもその例が数え切れないほど言及されています。その為にこそ膨大な註釈がついているのです。さらに日本人がネストレを読む場合は英語版インターリニア等に頼らざるを得ないのが現状ではないでしょうか。でも、それでは結局は事実上英訳から重訳しているだけに過ぎません。本書でも指摘されていますが、英語訳にも妥当性を欠く場合があるのです。本書では紙数の制限もあってすべてという訳にはいきませんが、新共同訳や口語訳(のカンニング元になっているTEV、TEB、RSVなど)はもちろん、場合によっては、ルター訳やティンダル訳、ヴルガータにまで遡って語釈の妥当性を検討していきます。そして文脈上も含めてギリシャ語の語源にもっとも近いと著者が判断した読みを採用しています。本書で一番優れているのは、コイネーや英語が出来ない、ましてや正文批判などお手上げな一般読者であっても著者の上述の作業に加わることが可能なことです。そして護教のベールを剥ぎ取られたパウロの生の言説を知ることも可能になります。これは類書には例を見ません。(護教に与した難解な邦語註解書は別だが)。蛇足になりますが、註釈で示されたパウロの思想は著者の私見に過ぎないのは当然のことであり、それをどう解釈するのかは個々の読者のまったくの自由です。本叢書の完結を心待ちにしています。
田川ファンの方only
まず、良いところから。田川氏らしい切り込み方で、聖書協会「口語訳」「新共同訳」の問題を随所で率直に指摘していることは肯定的に評価します(たとえば、コリント第二書15章の「甦らされた」を原文のとおり受動で訳したことなど)。
 しかし、氏の「書物としての新約聖書」もそうですが、あまりに独善的すぎる嫌いのある記述の仕方には強い抵抗感を覚えます。筆者の問題提起はそれなりに学問的な意義を持つものであることは認めます。しかし、それぞれの訳業・それぞれの校訂本文の編纂、そして解釈伝統が存在するのには、それぞれ深い理由がある。そして、それぞれに存在意義がある。それぞれの訳出の仕方・表現の選択にも、それなりの理由付けがある。だが、著者は自分の見解と違うものを全否定する傾向をお持ちの方のようである。しかし、聖書のような古代文献では原著者の意図したところが時代の壁に阻まれてしまい、誰も100パーセントの確証をもって「何が正しいか」など断言できないはずです。なにも「黄色い声」を声高にあげるような物言いをしなくとも、本書を大金払って買うような読者は、冷静な客観的な視点から「聖書」をとらえる見識を備えています。残念ながら、日本語で出ている聖書解説書・概説書には、教派的立場を越えた客観的な学術的スタンスから書かれた信頼できる文献はほとんどありません。ユダヤ教・カトリック・プロテスタント諸派・東方正教会・世俗学者による横断的な取り組みは、英語圏が最も進んでいますので、そのようなものを求められる方は英語の文献を探した方が無難です。
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