リバーズ・エッジ

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リバーズ・エッジ


宝島社

価格(new/used): -- 円 / 123 円 より
発売日: (1994-06) アマゾン売上ランキング: 82825 位
単行本 / 在庫切れ
[ユーザーによる評価] 平均評価: 5.0 / 総数: 3件

このリアルさはなんだろう
 この作品は、私にとって、とてもリアルです。リアルっても、ここに登場しているようなひとが周りにいたとか、そういうんでなく、お話に線が多いところがです。
 線というのは、画の書き込みのことではない(この点では岡崎京子の線は少ないとおもう)。そうでなくて、話のとっかかりとなる切り口みたいな感じ。折り紙にカッターで線を引いたとき少し紙を歪めると、切り口があく。アレだ。
 主人公のハルナとゆかいな仲間たちには、表面の平坦なガッコー生活と深い戦場のような私生活とがある。深いとこの私生活が表面にでないよう、各々が懸命にしてる。みんな表面のガッコー生活が大事だと知っているから。でも、だんだん表面にゆがみができて、ときどきパックリ深部につづく切り口が現れる。
 ハルナの彼氏である観音崎は、ハルナの親友と肉体関係があって、その親友はだれが父親か分からない子を宿す。そんなごたごたのすえに観音崎はその親友を殺しかける。「自分のBFが自分のマブダチとヤっちゃってて、なんだかんだのあげく殺しちゃった。何それ。何だ。何のこと(P.196)」
 けれど、こういった深部がリアルなんではない(これだけならマンガに使える興味ぶかい話)。そうでなく、深部が現れたときにハルナがそこへ関わろうとするやり方がリアルだとおもう。たとえば、彼女は観音崎の錯乱状態が昂じた凶暴さを収めるため、彼の強姦を受け入れる。ハルナのそんなやり方は彼女に恋する女の子によって「大丈夫よ。あの人は何でも関係ないんだもん(P.201)」と評される。その「何でも関係ない」ハルナは二度、涙を流すことがある。1度目はガッコーで飼ってた猫が死骸になったとき。2度目は物語の最後で町を離れることになったハルナが成就しえない恋の相手(ゲイだから)と別れるとき。1度目は人目もはばからず泣いたけど、2度目は泣いていることを隠していた。両方ともフツーのことだけど「何でも関係ない」彼女にとってはフツーでない。
 「何でも関係ない」というのは深部がなく、みんな表面へとフラット化する。彼女の周りにあったお話はお話ごとで、そのように振る舞えるはず。でも、涙が流れた。涙を流す理由はたぶん自分を失うほどの圧倒的な喪失感だ。その喪失を埋めるために、彼女は想い人からもらったモンキーズを聞いては忘れるという反復を続けるだろう。ちょうど、ハルナを想う女の子がハルナの100円ライターを点けて消しての反復をするように。そうすることでしか、自分を(=想い人を)取り戻せないのだから。
 この作品がリアルなのは圧倒的な喪失感を取り戻すための回想であるせい。だから、最初から、この物語はモノローグで展開されている。
歯をみがく、顔を洗う。
下のほうで渦巻いていて、決して空を見上げない感情。
タイプされてない殴り書きのような手書きの歌詞。
強い匂い。
ジャゲットはすべての色に黒がまじっている、現実的な感覚。

そんなバンドをたまに見かけては、リバーズエッジを思い出す。

健全で常にニュートラルな主人公を軸に、愛・性・名誉・食べ物・死など何かに依存する人たちが、とても奇妙に浮き出されている。
皆、すれすれの所で、淡々と日常を生きているんだ。
生きていくんだ。

遠いまなざし
岡崎京子はいつもどこか見えない地平を見ている。 そのまなざしはきっと誰も捕らえることができない。 いじめられ、強姦され、拒食症になり、人を殺す。 それはそのまま私たちに当てはまる。そして誰にも当てはまらない。