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“現代の全体”をとらえる一番大きくて簡単... |
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“現代の全体”をとらえる一番大きくて簡単な枠組―体は自覚なき肯定主義の時代に突入した新評論 価格(new/used): 1,890 円 / 840 円 より 発売日: (2005-02) アマゾン売上ランキング: 66321 位 単行本 / 通常24時間以内に発送 [ユーザーによる評価] 平均評価: 5.0 / 総数: 3件 あなたの本棚に脱臭剤として一つどうでしょう?この著者は元「分析」系の人です。でも分析系が、認知科学とかとぐずぐずになって、その不毛さに耐えられず、現代思想に首を突っ込んで、これもダメだみたいな感じで、現在にいたった人なのです。哲学が「学問」ではない、というのはセンセーショナルな意味ではなく、単純に「ハードサイエンス」と比較して、体系化が不可能である、つまり再帰性が限定的で、その(科学的)水準に構造的に到達する可能性がない、という著者の判断から来ています。ただ、これは「学問」という言葉の定義の問題に過ぎないので、その意味では正直どうでもいいことです。この認識の重要さは、「人間」の「原理」やら「正義」の「普遍性」やら、そんなものを追及しても、他者を抑圧し、大量虐殺を引き起こすしかないですよ、という著者の認識と連続しているのです。著者は、「哲学(思想)」を「科学(学問)」として扱うことの危険性を回避しつつ、その有用性を現代社会に生かすには、どうすればいいのか、という問いかけから出発します。そして、それは猥雑さの肯定主義というか、プラグマティックな「思想の活用法」として結実するのです。ですから著者の「民主主義」に対する肯定には、崇高な哲学的な概念などは存在しません。著者はこうした身も蓋もない思考は、現在の状況下において、もっと幅を利かすべきだと思います。自分の曖昧なアイディアを全体化させようと躍起になって、他人の思考の脆弱化ばかりを狙っている揚げ足取りのうまい自称「思想家」の人々の間に、「脱臭剤」として置いておきたいものです。ただこの人の「肯定主義」って、どこかで「自虐史観」に対する「新しい教科書を考える会」のスタンスとシンクロする匂いがしたりするのだけれど、気のせいだろうか・・・ 密かに読まれ、でも、なかったことにされる(かもしれない)本とてもいい本だし、破壊力もある。しかも、それこそちょっと気の利いた高校生ならラクに読みこなせる、易しい言葉と、スッキリした論理で書かれている。 著者の主張はp175に、これ以上ないほど簡潔明瞭に述べられている。要するに「普遍的な正義と真理の実現という積極的理想は放棄しよう。民主主義制度の枠組みの中で、人類の共存・共栄に向けて地道な努力を続けよう」ということ。 著者自身も自覚しているように、主張そのものは別に目新しいものではない。しかし、これも著者がp166で述べるように、これを「『哲学の不成立』という事情と『肯定主義』という現実の潮流にしっかり関連づけ」て論じている点が、本書の魅力。しかも韜晦とは一切無縁な、議論そのものに淫することのない、まっすぐな言葉で綴られている。それがどんなに貴重なことか! まともに受け止めれば、現在の思想界に棲息する大半が、自ら恥じて筆を折ることになるはずだ。 でも、そうならないんだろうなァ。みんな密かに読んで、読んだことには口を噤み、読まなかったことにして、でもこっそり自分の立ち位置をずらしながら言論界を処世していくんだろうな。アイツも、アイツも、アイツも…(それとも逆ギレして、本書のシンプルさをナイーブさと曲解して叩くか? あるいは狡猾にも、声高に本書を推薦したりして、自らのアリバイとするか?) また他方で、すでに著者の主張を体現する形で、尊敬すべき仕事をし続けているアノ人、アノ人、アノ人の名前も脳裡に浮かぶ。 読むべき本です。 泣きながら一気に読みました。誰もが薄々感づいていながらやりすごしていた身も蓋もない事実・「哲学は学問にはならない」を確信犯的な単純さにおいて明らかにした書物。もちろん、これまでにも哲学を内部から批判し、哲学の解消や脱構築を目指した書物はあった。しかし、それらは結局学問としての哲学の延命装置としてしか機能しなかった。本書の確信犯的な「身も蓋もなさ」は、それら中途半端な哲学批判さえも痛打する。後半はもう背中しか見えませんでしたが、約三千年を一気に走りきるその脚力に茫然。 |