『国家とはなにか』

- 以文社 価格 ¥ 2,730
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『国家とはなにか』


以文社

価格(new/used): 2,730 円 / 2,250 円 より
発売日: (2005-06-17) アマゾン売上ランキング: 108852 位
単行本 / 通常24時間以内に発送
[ユーザーによる評価] 平均評価: 4.0 / 総数: 13件

日本で出版された「国家論」のなかでは第一級のテキスト
本書は、近現代の「国民国家」がどのような原理によって、またどのような過程を経て成立しているかを主としてホッブス、スピノザ、ウェーバー、ドゥルーズ=ガタリらの論に倣いながら、解明しようとしている。「国家」とはなにかということについてのウェーバー流の定義から始まり、「暴力」「権力」「秩序」「支配」「富」「領土」「主権」といった概念と「国家」との関係を、異論を挟むことの難しいクリアな論法で精密に描くことに成功している。
本書の論旨に従えば「国家」とは住民の合意に基づく安全保障の共同体と見做すことはできない。そうではなくて、「国家」とは本質的には強力な暴力組織のことである。「国家」は「住民」を「保護するゆえに(しばしば)拘束する」のではなく、むしろ「拘束するゆえに(しばしば)保護する」。「国家」の存在意義は住民のセキュリティの確保ではなく自ら(国家の支配者)のセキュリティ・存続であることが、本文の論旨を追えば明確に理解できるはずである。
本書後段では、封建国家の暴力から近代国家の暴力へと至る歴史的なメカニズムを説明している。「国家」の歴史とは、畢竟、支配者が暴力を使って富を獲得する歴史である。結びの第7章「国家と資本主義」では、グローバル化の進展が続く資本主義と国家の関係について述べている。資本主義の深化は国家の「暴力を行使し富を獲得する」本質に抵触することはないため、見かけ上「ボーダレス」になったとしても、国家の漸減・消滅などということはありえず、むしろ「国家」は暴力的な本質を今後あらわにしていくことを予言する。
本書は日本語で記述された「国家論」のなかでは一級のテキストである。セクトに関係なく今後の人間社会を考察するうえで参考になるところ大である。
私は著者の今後の研究の成果にも大きく期待する。
抽象的思考だけが人生と世界を変える
国家とは、「暴力による支配」の結果生まれたのであって、国家があってしかる後に暴力が必要とされたのではないというのが著者の主張である。
正当と合法、あるいは正当と正統等々の語義の確定から、様々な先行する国歌論を捌いていく様は見事である。決して、単純な説明ではないし、注意深く読む必要はある。また、『リヴァイアサン』やフーコー、ハンナ・アレント,カール・シュミットらが縦横に引用されている。しかし、著者の論理を辿ることは決して難しくはない。最新刊の『カネと暴力の系譜学』を先に読んでいたからかもしれないが、これだけリーダブルな国歌論も珍しいのではないか。とはいえ、決して水準が低い入門書という訳ではない。
『カネと暴力…』の方はおそらく中学生でも理解できる好著だ。これとて、内容は高度!
無理なく抽象的な思考を促すと言えばよいか。文体はどこか数学的とも言えるのでは?
こういう書物を読むことは、結構人生を変える経験になる気がする。
中学高校の教科書、大学の一般教養でのみならず、多くの社会人、ことに団塊世代には是非とも繙いてもらいたい1冊だ。源泉徴収で知らぬ間に徴税され、年末調整で喜んだりしている賃金労働者(評者もだ!)は多分目を開かされるだろう。
この著者の美点は読みやすさを心がけているというところではないか。主語ー述語の関係が明確で、論理が一貫している。煙にまくというようなところが微塵もない。社会科学=哲学の面白さを若年者や労働者にも啓蒙できる希有な人材とみた!!!
経済学にはこういう人はいない。
この本を読んでいると自分の頭が良くなってきたとさえ思わせる。うん、確かにこの本を読んでいるときは頭がよいのかもしれない。
国家=暴力=政治団体=国民国家=神権=ナショナリズム
 主にポストモダン思想によりながら国家=暴力=政治団体=国民国家=神権=ナショナリズムを論じた労作。
 あまり独創性に富んでいるとは言えないかもしれないが個々のテクストの読解は見事。
 法や現在の法システムに関する考察は不十分で主に前近代国家を考察したものといえるが
国家の成立を興味深く考えることができる。
 課題としては系譜学的な考察を典拠とするテクストに頼っているため弱いと感じた。
 例えば
「統治権を簒奪した王たちは、自己の安全のために、自分は不死の神々から系統を引いていることを
世間に信じさせようとつとめた」という部分等。
 次の著作では法、政治に関して系譜学的な面からの考察を望みたい。
 
多少不満あり
たしかに丁寧に書かれているし、勉強にもなった。買って損はないとは思う。が、読了後、なんか物足りないんじゃねえのか、と感じずにはいられなかった。結局、これまでになされていながら、あちこちにとっ散らかったままでいた諸々の議論を、小器用に整理しただけではないのか? いわば、『構造と力』の政治哲学ヴァージョンといった感じ。浅田彰と同じく、萱野氏にも独創性が欠けている。今後、萱野氏には、前者のごとく交通整理役を務めるのではなく、多少強引でもいいから、従来のパラダイムをぶち壊すような仕事を期待したい。バリバール先生に頼らずにね。
テーマは「骨太」なものだが……。
「国家」と何かについて、主として「暴力」を中心として概念的に分析した書。端的に言えば、国家とは「実体」でも「関係」でもなく、「暴力に係わる運動」として理解すべきであると著者は主張する。
前半部では理論的考察、後半部には歴史的な考察が行われる。

「国家とは何か」という今どき誰も論じたがらない「骨太」な内容を「直球で」論じながらも、平易で分かりやすい文体であることには好感がもてる。
しかしながら、そうした「大テーマ」のわりには紙数の制限からか、精緻な読解やオリジナルな議論展開に乏しいように見受けられる。