東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ (ちくま...

- 筑摩書房 価格 ¥ 651
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東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ (ちくま文庫)


筑摩書房

価格(new/used): 651 円 / 61 円 より
発売日: (2004-11-11) アマゾン売上ランキング: 143950 位
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[ユーザーによる評価] 平均評価: 4.5 / 総数: 20件

社会学の入り口
遥洋子と言えば、上岡龍太郎、桂ざこば(当時は長丸)との間に挟まれ丁々発止とやりあう
TV番組「ときめきタイムリー」が15年経った今でも真っ先に浮かぶ。
美人で口がたつ彼女は確かに、TV番組で彼女に言い負かされそうになった男性タレントから
悔し紛れに揶揄される場面も多かった。
しかし、それが社会学を学ぼうと志した動機だというのは意外だった。
そして、教えを請うた上野千鶴子の根幹には学生運動があった。

これまで世代論にはあまり興味がなかったが、この本を読んで少し考えが変わった。
戦前、戦後、高度経済成長、バブル・・・大衆は否応なく時代の影響を受ける。
そして、時代の価値観が個人の価値観に与える影響は決して小さくはない。
人は経験したことしか本当の意味では理解できない。そして、そこが出発点になる。
元々の立ち位置が違っているから、展開される論理も違ってきて当然なのだ。

上野女史の論旨を受け入れられるかどうかによって本書の読後感は違ってくるだろう。
正直、男性は不快に感じる人が多いだろう。女性にとっても、そこはあえて見たくない、
それに気付いてしまったら却ってつらい、という部分もある。
しかし、社会学の手引書としては非常にわかりやすい。

特に、平塚らいてうや市川房江が女性の地位向上に貢献した反面、現代社会に生きる女性たち
にジレンマをもたらした矛盾は興味深い。また、マルクスの「資本論」が登場したり、
普段何気なくやり過ごしている事柄の多くが、実はジェンダーと深く関わっていることに
驚かされる。
議論するときの心構えができる
上野千鶴子も遙洋子も知らないで、この本を選んだ。
適当に選んだ本だったが、大正解。痛快な上野教授の言動に爽快な気分となった。
中盤から難解なフェミニズムの文章が増えるが、10年前の本であるためか自らが通ってきた道として理解しやすかった。
遥洋子が上野千鶴子のもとを訪れた当初の目的は『議論の仕方を学ぶ』というものであった。「古きよき日本の母像」という枠組みからの脱却を目指した上野教授達の姿に、現在の古い企業文化の枠からの脱却を模索する自分の姿が重なる。まあ、同じことをすると嫌われそうだが心構えとしては大いに参考になるだろう。
東大上野フェミニズム
東大大学院上野ゼミで学問した著者のエッセイ。

東大大学院で学べるとは、なんと著者は幸運なのだろう。
内容は、前半と後半でちょっとトーンが異なります。
前半は東京大学という特殊な場所での戸惑いの中から、著者が成長していく姿を描いており、
後半は膨大な文献講読やゼミで得た社会学の知識や方法論を駆使して、著者なりに『常識』を疑っています。

単純に読んでいて社会学とは何か学べる本なので、現役の大学生、特に大学新入生におすすめします。

まあ、ただ、後半部にあった議論に勝つための十か条なるものは生産的ではないので、議論するときにはおすすめできませんが。
そんなにいいか?
読んでいて痛快であるところと、不快であるところがあった。まぁ大抵後者なのだが。
この本、見るところもあり読む価値もあると断言した上で書くが、はっきりいって「上野千鶴子ヨイショ本」である。講演会であったときからの、最後授業するところまで筆者の上野信望ぶりはノンストップ。それは嫉妬や憧れも入り混じって、ある意味、恋の域に達している。

しかし、社会学は自明なことを疑ってみることだと学んだと、数々の文献を引用して喧伝しているが、そのことを教えてくれた上野千鶴子の言説をそこまで自明視し、「神様」にまで祭り上げるのはいかがなものか。
また東大という権威の前に挫折しかけた筆者に向かって上野が叱咤激励する場面は、「いかにも」という美談。上野は筆者の東大生コンプレックスなど所詮は知識の量の差だけで彼らはあなたと何も変わらないと諭す。しかし、やはり先天的な才能の有無はあるし、出自による教育の環境の有無も当然あるだろう。みんな持つものは一緒という思想は「両親に愛された」と平気で言ってのける上野だから言えるのではないだろうか。

読んでいて一番不快だったのは、「ケンカの仕方十箇条」という章。この十箇条とはずばりケンカに勝つ十箇条だ。しかし、男と女の痴話喧嘩ならいざ知らず、論争の舞台で勝つ論争をすることにどんな生産的な意味があるだろうか。筆者は本文中で当時の東大総長、蓮見重彦の「知性とは、何よりもまず、知性そのものの限界をみきわめる力にほかなりません。」という言葉を引用している。
そのとおりだと私も思うが、だとすればただ勝ち続けることは知性的といえるだろうか。負けて限界を知る経験を失った人間は知性的といえるだろうか。

上野は勝者の論理を生きている。生き方としてあこがれるが、それを万人に適用してはいけない。
7年ぶりに再読して
ああ、そうだったのか、という感想がいくつか。
たとえば、上野千鶴子フェミニズムの源流のひとつに学生運動があるということ。
あの過激さもさもありなんと納得。
ああ、でもつくづくこういう人(上野さんのことです)とは付き合いたくないなあ、と思った。
それに比べて著者の遥さんは(いい悪いではなく)社会人としての常識がある大人の女性だなあ、付き合うならこっちのほうがいいなあ、と正直思いました。
他意はありません。
単なる個人的な感想です。