縦に書け!―横書きが日本人を壊している

- 祥伝社 価格 ¥ 1,000
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縦に書け!―横書きが日本人を壊している


祥伝社

価格(new/used): 1,000 円 / 82 円 より
発売日: (2005-06) アマゾン売上ランキング: 244868 位
単行本 / 通常24時間以内に発送
[ユーザーによる評価] 平均評価: 2.5 / 総数: 5件

結局、芸術って何なんだろう?
かつて、私は石川氏の書道における作品を京都の画廊で観たことがある。その日、私は京都市文化博物館で「良寛展」を観賞し、その後、新門前で何か面白い物がないかあちこちを冷やかして歩いたとき、その個展に出くわしたのである。

一通り見た後、私は恐ろしく気分を害した。店主も察したのであろう。私のもっていた良寛の図録を見つけて、その店主とその展覧会についてばかり話し、石川氏の作品について最後まで私に意見を述べさせなかった。
石川氏の作品から私が感じたのは、芸術ではない。単に恐ろしく病的なまでに神経質な人間が書いた筆跡にすぎなかった。

そして、石川氏の日本語に対する評論を読んでいると、どうしてもそのときの印象が浮かんでくる。彼の評論というのは全く主観的なものである。単に横書きや携帯でのメール入力のさまが自分の審美眼に合わない、という私的感情にすぎない。問題なのは、それを私憤であると言わず、世の中における普遍的な良識にみせかけようとする、人によってはトンデモ呼ばわりする無茶苦茶な理屈付けである。

この本の表紙に「横書きが日本を壊している」との副題があるが、日本を壊しているのは日本語を横書きに書いている人などではない。本当に道を誤らせるのはこのようなトンデモ本でも人目を引くという理由で出版する倫理無き市場主義である。そして私と石川氏と見解が一致するのはその一点でしかない。
お子さんがいる人は1度読んだ方がいいと思う
 タイトルは「縦に書け」ですが、日本語を縦書きで書くことを勧めるのと同じ勢いでIT化教育を批判しています。「手で書くことで自制心を生む」と述べられ、簡単に言えばパソコンは子供に良くない、小学校で教えるのを廃止すべきだと断言されています。
 
 何故そう主張するのかは本書を読んで欲しいのですが、私も「調べ物があるなら図書館に行けばいいだし、友達と話をしたいのなら会いに行けばいいのだ」という内容の著者の主張には同感です。
 そもそもインターネットは大人のものだと思います。調べ物があっても図書館に行く時間がない、本を買いたくても本屋に行けない、友達に会いたくてもなかなか日程が合わない、だからインターネットやメールを利用するのではないでしょうか。早い時間に学校が終わってしまう小学生に、何故インターネットが必要なのかわかりません。
 やはり小学生のうちは、「直接書く」「実際調べに行く」「会って一緒に遊ぶ」何事も、直接肌に触れて体験した方がいいと思います。著者の「インターネットの技術の習得は、大学生からで十分」という説明は納得です。

 この著者の主張は一部過激で、私もこの方の主張をすべてを指示しているのではありません。しかしお子さんがいる人は、読んだ方がいいと思います。この本を読んだ上で、自分の子供へのIT教育をどうするのか決めた方がいいと思います。自分とこの方の意見が合わなくても、参考になるのではないでしょうか。

吃音が無いのは、社会との遠近感がおかしいから?
著者の言う、「日本語は歴史的に見ても縦書きが正しい」という主張、「縦書きの方が美しい」という主張、「止め、払いなどを正しく学ぶために、書道は重要だ」などといったものに反対する理由はない。間違っているとは思えないし、多いに主張されれば良い。
ただし、その主張を強引に社会情勢の変化やら、社会的な事件に結び付けて、「最近の若者は…」という形にしてしまうことには全く同意できない。

色々と文句を言いたいところはあるのだが、その中で一つだけ。
著者は、最近の若者に吃音・赤面恐怖症が無いのは、社会との遠近感が崩れているため、と主張する。果たして、吃音・赤面恐怖症と社会との遠近感に関係があるのだろうか? そして、別のところでは、「最近の若者は、鉛筆や箸を正しく持てない」と嘆いている。
私は左利きなのだが、左利きを矯正することによって吃音などになる人が多く出ることは良く知られている。私自身、その矯正によって生じた吃音に苦しんだ経験がある。日本語というのは、右利き用にできており、そのための「正しい」持ち方によって、私は吃音になったのである。仮に右利きであっても、「正しい持ち方」に矯正されることで、吃音などになっている人もいたのではなかろうか?
もし、著者の言うように、日本人が皆、右手で「正しい」持ち方をするようになって、多くの人々が吃音などに苦しむようなる、ということが良いことなのだろうか?
著者は、大喜びしそうだが。

トンデモ本ですよ!
日本語とその文字(漢字・ひらがな・カタカナ)が、縦書きを前提にしているから、縦書きのほうが自然だし、美しい、ということは全くその通り。
しかしながら、戦後からここ10~20年の世相はすべてひどくて、それがすべて日本語の横書きやワープロ・パソコン・ケータイが原因かのように述べられているのは、強引過ぎます。その趣旨は概ね正しいとしても、そこに挙げられている事例や論拠にこじつけが多すぎるのです。一つ一つの文章に論理的なつながりが感じられません。
日本人は無論理民族だと言う人もいますが、まったくこの本の著者はそのような日本古来の伝統をも踏襲しているようです。
最もひどいのは、佐世保の小学生殺害事件について述べた129ページの「あの少女たちがパソコン上でのチャットではなく、実際に手を使って書いた手紙の交換をしていたとしたら、あんな悲惨な結果にはならなかったことでしょう。」という箇所です。父親が読んだらどう思うか。ここに縦書きでは「自制と自省」が働くという説得力はもろくも崩れ去るのです。
縦横変換!!!
『二重言語国家』や『書くということ』などで著者が訴え続けてきたことのエッセンスをシンプルで力強いタイトルの元にまとめたもの。所論のほとんどがごくごく真っ当なものであると確信するが、いまやこうした真っ当な言葉は「ビジネスパーソン」とその子供たちには届かないのだろうなあ~という何ともいや~な無力感に捕らわれてしまう。
近年の少年犯罪に絡んで跋扈している「ネットの闇」などという極めて曖昧且ついかがわしい所論を、優れて唯物論的な切り口で捌いて行く手腕は剛腕そのもの。
ローマ字変換による文章作成が、日本語を母語とする者の脳に影響を与えないわけがなく、脳性理学からのアプローチも望まれるところである。
立論、文章とも曖昧さがなく、これこそ明晰な知性というものであろう。