オニババ化する女たち 女性の身体性を取り...

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オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す (光文社新書)


光文社

価格(new/used): 756 円 / 1 円 より
発売日: (2004-09-18) アマゾン売上ランキング: 24723 位
新書 / 通常24時間以内に発送
[ユーザーによる評価] 平均評価: 2.5 / 総数: 317件

典型的な愚書
核となる筆者の主張は、
「女性の体は出産用にできている」
「だから女性は、適齢期にそのへんの男を捕まえてさっさと結婚し、出産すべき」
ということだそうです。

なんという非礼な本でしょうか。読んでいて呆れました。

「昔の女性はできていた」「なのに現代女性は…」と言う描写が目立ちますが、
「だったら江戸時代にでも戻れば?」と思います。
著者は、自分に都合のいい部分だけを「昔」から我田引水するのが御得意なようですね。

いま、日本において少子化や未婚・晩婚化が進んでいるのは、
女性の社会進出、育児コストの増大、結婚機会の減少など
さまざまな要因があるからです。

しかし著者は、そのような根本的な要因にまったく言及することなく、
(その要因があるからこそ、女性は適齢期に結婚・出産できなくなっているのに)
ただひたすらに未婚女性や子供のいない女性をヒステリックに攻撃しているのみです。
「研究者」という肩書きに反し、おそろしく偏見的で、論理性・分析性のかけらもありません。


挙句に、
◆女性は社会に出ても、どうせ大した仕事ができない
◆中年の看護婦は、医師と不倫している
◆月経前緊張症(PMS)が生じるのは、【卵子の悲しみ】が原因

など、根拠の無い下品な記述が、随所に散りばめられています。

読んでも何も得るものが無いばかりか、無知で下品な記述が多くて辟易するという、
典型的な愚書です。
自分の「女としての体」に自覚と誇りを感じられる本です

私は、この本を高く評価している1人です。
30台前半、未婚、結婚してこどもを育てたいので、準備中、です。

私はこの本を二年ほど前に読みました。
その前に、「女は毎月生まれかわる」を読み、自分の女としての体に
肯定的な関心を持ち始めていた頃でした。

私は育ってきた中で、あまり「女であること」を肯定的に捉えられませんでした。
受験の時も整理が邪魔だとしか思えませんでしたし
(寝込むほど生理痛がきつかったのです)、「今の世の中、
『女であること』は、不利にしか働かないなぁ」と思いながら、大人になりました。
多分、同世代の多くの女性が、程度の差はあれ、そうだと思います。

「こどもなんて、絶対要らない!」と、20台半ばまで思ってました。
高校生の時に、病院での出産で会陰切開の話を聞いて、
「絶対産まない!」と思ったりもしました。

女性であること、子供を産み育てること、に対して
肯定的なイメージをほとんど聞かないまま、育ちました。
結婚すら、いいイメージが持てなかったので、するつもりはありませんでした。

でも、それは落胆していたからです。
女であること、自分であること、結婚生活に対して、など。
落胆に気付いたら、自分がそれを望んでいることに気付きました。
強く望んでいたから、落胆していたのです。

そもそも、「資本主義」というものが、女性性、女性の体のリズム、母性とは
相容れない物だと思います。だから、資本主義が極まってきた現在、
女性が自分の女性性や母性をなかなか大事に育てられないのは、
無理もないことだと思います。

私は、この本を読んで、自分の「女としての体」に
自覚と誇りを感じられるようになってきました。
とても良いきっかけでした。

もちろん、この本の後にも、色んな本を読みました。
(野口整体、気功の本などを読んでいます)
そして今、女性の体の可能性を体験してみたくて、うずうずしています。

確かに、言葉足らずな所はあると思います。
(それは、ページ数の加減もあるのかも知れません。本というのは、
著者が書きたい分量だけかけるわけではなく、製本の関係で、
すごくページ数の制限があるそうです。)

そして、全てにおいて同意見では、もちろんありません。
でも、それを差し引いても、きちんと読めば、著者の言いたいことは伝わると思います。

私は、三砂さんは、女性の体の可能性、それがとても素晴らしく
深い物であること、を伝えたかったのだと思います。
エネルギーがあるのだから、どういう形であれ使わないと、
行き場を失ったエネルギーが鬱積してしまうよ、ということも、
伝えたかったのだと思います。
要するに、女性はすごい、てことですよね。

「子供を産めない人はどうなんだ?不幸だというのか?!」という
意見も見ますが、そのこともきちんと書いてあると思います。
それに、「子供が産めない人(私だって、そうかもしれません)がいるからと言って」
だからといって女性の体の可能性について述べるのはダメなこと、
というのも、おかしなことだと思います。

捉え方は、人それぞれです。

そもそも、本というのは、全ての箇所で自分が賛同できる、
というのはほとんど無いと思います。
エッセンスをくみ取れば、それで十分ではないでしょうか。
そして、私はエッセンスは上に書いたことだと思います。

否定的に取られた方は、なぜそう捉えたのか、ということを、
自分に静かに問いかけてみて欲しいな、と思います。
自らの落胆、いきどおりなどが、ありませんか?
それが悪いというのではなく、自分の感情を感じてみて欲しいのです。

細部にこだわるのではなく、大きな所で、この本は読むべきだと思います。
大きく見れば、産むにせよ産まない(産めない)にせよ、女性を応援しているのは、
私から見たら、明らかです。

現代社会で女性が置かれた立場、そもそも社会構造がおかしいこと、
女性の身体性をとりもどすこと、などなど、考えるきっかけとして良い本だと思います。
オニババとは?
オニババの定義もちょっと甘いのですが、昔話に出てくるあのオニババの事です。女性は結婚して子供を生まないとオニババなってしまうのではないか?という推論です。でも現代の私の周りを見渡しても子供を持ってない女性はたくさんいらっしゃいます(既婚、未婚問わず)がひとりとして私はオニババ化している人を見た事がありません。包丁持って若い男を追い掛け回してたらまず警察に捕まっちゃいますし、それに近い欲望を隠しているようにも見えません、ほとんどの方が素晴らしい方だと思いますが、三砂さんにはオニババが増えていると感じているようです。



平成の日本では自分の言いたいことを誰でもある程度自由に言えることが出来て(私のここでの感想もそうですね!)大変ありがたく嬉しい社会なのですが、当然その発言には責任が発生しますから、何かを認めるためには科学的検証を必要とし、当然第3者でも再現できる事があるのが望ましいと私は考えます。私が「思ったこと」に根拠は入りませんし、個人がどう思い考えるかも自由ですし、またそれを表明する事も自由です。でも「思ったこと」でなく「科学的事実」を表現するならばある程度の「根拠」は示すべきだと思いますし、科学者で人にモノを教える職に着く方が書く事で知識の無い人に対する影響も少し考慮して欲しいです。ただ人は読みたい本を読みますし、信じたいものを信じるのですけれど。書き手にも問題がありますが、無条件に信じてしまう読み手にも責任はあります。ですから書き手を信用できないと感じたり、ちょっと強引だと感じる自由もあります。



『出産』に女性の身体性を女性性を取り戻す何かがあるかも知れませんし、無いかもしれないので、やはりデータなり根拠が欲しかったです。それが無いと(もしかすると本当に三砂さんの主張するような特別な何かがあるかも知れないのです、つまり私には三砂さんの主張を否定するデータも根拠も有りませんから)「そうかも知れません」としか感想を持てません。セックスの話しや細かく読むとそうかも知れない、昔はそうだったかも、というような部分があっても、それ以外が強引すぎて素直に信じられません。『とにかく結婚しろ、子供は生め、それも早く。また、負け犬なんて贅沢な人々だ、みんながそういう状態になれているのではないし、もっと能力の低い人間はあきらめて誰でもいいから結婚して子供を生め』という極端な主張に私には聞こえましたので、そんな方の主張をデータも無くなかなか素直には信じられません。


三砂さんの主張は分かりましたが、それにもろ手を挙げて賛成できる方はかなり少ないと私は感じました。科学者で教授が話す根拠の無い話し、ある意味凄いです。またこの方は「負け犬」論争を批評されているのですが、恐らくその論争の本「負け犬の遠吠え」(酒井 順子著)は読まれて無いと思われます、「負け犬」の定義が違いますし、せめて読んでから批判したいものです。また三砂さんの結婚観よりも、結婚観については私個人は「結婚の条件」(小倉 千加子著)の分析の方がしっくり頷けました。親を見て素直に結婚が素晴らしいとは思えないのではないか?、結婚は洗濯機を買い換えるのとは違う、妥協しにくい選択なのだ、という小倉さんの主張の方が。


ただ、ブラジルの家族の話しの部分は面白かったです。昔は良かったではなくて、昔は選択肢が無かったのだと思いますし、選択肢が増えることでの弊害はもちろん理解できますけれど、あえてその選択肢を選ばない理由としては三砂さんの主張は根拠が薄く感じました。
力のある本だとおもいます
いろいろと毀誉褒貶のある本だろうな、と読んだときに思いましたし、
実際レビューを見るとその通りでした。大体タイトルが誤解を招き易い。。
この本は確かに著者の理想論なのだろうと思います。その分現状との
アンマッチで不快に思う人も当然出てくると思います。また私は男ですから、
女性とは違う読み方をしてしまうと思うのです。しかし最後まで読んでこれは
女性賛歌だと思いましたよ。こんな深い肉体性は男性にはない。上手くいえ
ませんが一種の武道の指南書のような気持ちで読みました。このような
ポテンシャルのある女性性がうらやましくもあります。もちろんそんな
もんじゃないわよ、という女性の声があることも重々承知の上で。。
実感を言葉に紡ぐ過程
今さらという感も無きにしも非ずだが、通読してみて感じたことをいくつか。

全体として、講演録か口述筆記かと思わせるような筆の流れで書かれており、カチッとした論証や実証に貫かれた本ではない。その意味では「雑なつくり」の本だと思う。

そこにケチをつけるだけなら簡単である。

しかし、著者はその点には充分に自覚的である。にもかかわらず、敢えてこのような本を出そうとしたのは何故か。考えるべきはそこであろう。

評者が本書を読む限り、自らの経験と実感をもとにして著者が言葉にしようとしている(しかも必ずしもそれに成功したとは言いがたい)こと、それはつまり副題にある「身体性」の問題であり、そこから広がっていく人間存在の「つながり」の問題である。出産や子育ては、その具体的なありようの一つに過ぎないのである。

著者の表面的な物言いとは裏腹に、出産という事実そのものが問題の核心ではないということも、最後(具体的には第5章)まで読めば明記されている。

実際問題として、タイトルを含め、各所で言葉が暴走している感は否めないが、だからといって全否定して済ましてしまえるほどのつまらない駄本ではない。「なんでやねん」とツッコミを入れる合間に垣間見える、耳を傾けるべき言葉の断片。それをぜんぶゴミ箱行きにしてしまってはもったいない、というのが評者の感想である。