利己的な遺伝子 <増補新装版>

日高 敏隆 - 紀伊國屋書店 価格 ¥ 2,940
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利己的な遺伝子 <増補新装版>

日高 敏隆
紀伊國屋書店

価格(new/used): 2,940 円 / 2,400 円 より
発売日: (2006-05-01) アマゾン売上ランキング: 5222 位
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[ユーザーによる評価] 平均評価: 4.0 / 総数: 12件

パラダイムの転換をもたらした聖典
 遺伝子こそが生命の主体であることを示したあまりにも有名な生物学の古典。タイトルを見ただけで反感を持つ人も多いだろうが、神のみならず心をも生物の主体から引きずり下ろし、大きな生物学的パラダイムの転換をもたらした聖典である。
次の進化の行方は、、
 ビッグバンで生まれた素粒子が、原子となり、分子となり、、、ある時、自己を複製する形態となり、遺伝子として自然淘汰を繰り返し、時空を超えて私たちの中にも受け継がれてくる。。。もし、遺伝子が生き残るために、私たち人間を乗り物として進化させたのならば、、、私たちを生かすために感情を発展させ、思考を発展させたのならば、、、もし脳のクオリアが、その結果であるとするならば、、、、、環境破壊や世界規模の戦争の危機に、生き残るために、次にどのような進化を起こすのでしょう。。。もし遺伝子が利己的であり、そして賢ければ、全世界が滅んで遺伝子自体が消滅しないために、生き残るために、環境破壊や世界規模の戦争や紛争をとめることもあるのでしょうか? 
 心身二元論者であり、かつ唯脳論者でもある私にとって、とっても深いインスピレーションを与えてくれた一冊です。もちろん私の脳はドーキンスのミームに感染してます。。。
 
投機家たちの自己利益最大化の行動は常に善良な社会を害するものなのか
本書は、30年前の出版され社会的に大きな反響を巻き起こしたが、今や古典的名著といっても過言ではあるまい。学生時代に本書を読んで大きな衝撃を受けたというひとも多い。そうしたひとりである友人に強く勧められたのが本書を手にしたきっかけである。

そもそもダーウィンの自然淘汰論も大きな社会的反響を呼び起こし、経済学や社会学などの発展にも大きな影響を与えた。その自然淘汰論が定着する過程でいくつかの論理的矛盾も疑問として浮上してきた。頻繁に観察される利他的、自己犠牲的な個体行動が「種の保存」「弱肉強食」という論理と矛盾するからである。著者を代表とする生物学者たちは、それまでの(自分を犠牲にしてグループ全体に奉仕するという)群淘汰という考え方を俗論として退け、生物個体は遺伝子の運搬手段という「生物機械論」を唱え、個別の遺伝子の自己複製の最大化ということこそ淘汰のメカニズムと説いた。

こうした考えは、生物を機械に例え、遺伝子(生殖)が利己的意思を持つという例示への誤解とともに強い抵抗感を持たれた。一方で、その推論は、統計学的なシミュレーションやゲーム理論を駆使した斬新なものだったし、「自己犠牲」「全体奉仕」という古臭い社会倫理に心地よい論理をくつがえすものだったから、若い世代からは強い共感と支持を得たに違いない。

30年経った今読んでみても斬新な考え方であり、個体の意志的行動にとらわれた考えかたがいかに錯覚であるかがよく理解できる。生物学の分野ばかりでなく、市場主義的な経済理論や種々の社会的規制や経済制度設計をめぐってもその考え方や手法がもたらすものは今日的な意義が大きい。
統計的影響力を及ぼす複製子=遺伝子
自然淘汰は遺伝子のレベルで行われていることを論証し、それによってこれまで説明がつかなかった利他的行為に説明を与えた本。

ただ注意が必要なのは、自然淘汰というのは「自らが生き残ろうとして主体的に子孫を多く残す」のではなく、「子孫を多く残すものが増えてしまった」だけである。
遺伝子もミームも、それ自身が主体的に「生き残ろう」としていたわけではない。


数学的に遺伝子の自然淘汰を書くと以下のようになるだろう。
ある遺伝子(A)の最初の個数をa、別の遺伝子(B)の最初の個数をbとする(遺伝子はこれしかないものと仮定する)
また、Aが次世代に残す遺伝子の個数の期待値をp、Bが次世代に残す遺伝子の個数の期待値をqとする。
すると、n世代後の、全遺伝子中にAが占める割合はap^n/(ap^n+bq^n)である。
p>qであるならば、nが十分大きいとき、ap^n/(ap^n+bq^n)=1 つまり全遺伝子がAになっているということだ。
逆にp<qであるならば、nが十分大きいとき、ap^n/(ap^n+bq^n)=0 つまりAはいなくなるということだ。

利他的行動は、少し単純化して以下のように考えることにしよう。
ある遺伝子(A)の最初の個数をa、別の遺伝子(B)の最初の個数をbとする(遺伝子はこれしかないものと仮定する)
A,Bともに、次世代に残す遺伝子の個数の期待値をrとする。
ただ、確率kで遺伝子3個が死ぬ事態が発生する。
そして、Aは上記事態が発生したとき、確率zで自己犠牲行動をとり、その遺伝子3個を助けるとしよう。(Bはいっさい自己犠牲行動をとらない)
このとき、1世代後の、Aの個数はa(rー3rk(1−z)ーrkz)=ar(1−3k+2kz)
Bの個体数はb(r−3rk)=br(1−3k)
よって、n世代後のAの占める割合はa(r−3rk+2rkz)^n/{a(r−3rk+2rkz)^n+b(r−3rk)^n}
r(1−3k+2kz)>r(1−3k)より、この値はnが十分大きいとき1。つまり全遺伝子がAになる。
よって、利他的行動は遺伝子レベルで見れば利己的である。



繰り返しになるが、遺伝子が作用するのは統計的に見てであり、個別の個体の行動を完全に左右してしまうわけではない。
実際、ドーキンスは「一方で遺伝子は人間の行動に統計的な影響力を行使すると考え、しかし他方で、その影響力を他の影響力によって変形させたり、克服したり、あるいは逆転したりできると信ずることは完璧に可能である」と述べている。

しかし、そう考えるとタイトルの『利己的な遺伝子』というのはミスリーディングだろう。
そこら辺に注意して読んでいただきたい。
読むのは大変だがおもしろい
確かドーキンスだと思うが、別のところで
「進化論は誰でもちょっと努力すれば理解できるくらいシンプルだが、理解したことを他の誰かに話さずにいられない程度には難しい」
と言っていた。なるほどその通り、本書はすらすらと読めるほど簡単ではなく、
かみ砕いて理解しようとすれば何ヶ月もかかるが、そうしたくなるだけの面白さを持っている。
本書が述べていることは、進化論全般ではなく、
「自然淘汰が働く実質的な実体は種や個体ではなく遺伝子であること」と
「個体が利他的に振る舞っても、実はそれは表面的なもので、実質的に自分自身に利益があるのだ(利己的なのだ)」ということ。
進化論の概要を知らなくても読める程度にやさしく書かれてはいるが、さきに概説書などで進化論の概要を知っておく方が読みやすいだろう。

で、ハチの話。自然淘汰で説明できるというのは実は説明になっていない。
現生の生物は全て自然淘汰を受けて残っているわけだから。
なぜハチが(自分自身では子供を作らず、母の手助けに全人生を費やすかという)
きわめて強い利他性を発揮するかという問題には個別の解説が必要だ。
生物が持つ一つ一つの性質にはそうやって個別の説明が必要なのだ。
それを簡単に述べたのが本書の10章。
つまり、自分で子供を作るより母にもっと産ませる方が
(働きバチの中の遺伝子としては)より都合が良いのだ、と言うこと。
母の手伝いは利他的ではなく純利己的な行動なのだ。
人間の娘が母の家事の手伝いをしてお小遣いをもらう、のようなことよりももっと直接的に自己の利益になるのである。
そして同じように群れを作るハチでも、それぞれの生殖習慣によって働きバチの振る舞いが若干異なること、
また群れの中で(繁殖的な)主導権を握っているのは女王蜂ではなく実は働きバチなのだと言うことも明らかにしている。

利己的と言う言葉は大変誤解しやすく、読んでいても混乱することがある。
しかし他に適当な言葉はないし、しっかりと意味をつかむことが出来、理解できたときの喜びは何事にも代え難い。