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さかしま (河出文庫) |
| 渋澤 龍彦 - 河出書房新社 価格 ¥ 1,155 | |
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さかしま (河出文庫)渋澤 龍彦 河出書房新社 価格(new/used): 1,155 円 / 950 円 より 発売日: (2002-06) アマゾン売上ランキング: 37856 位 文庫 / 通常3~5週間以内に発送 [ユーザーによる評価] 平均評価: 4.0 / 総数: 9件 象徴主義文学の良質の手引き作曲家ドビュッシーは、このユイスマンスの珍書を通じて象徴主義文学やデカダンス文学の世界に入っていきました(印象派と云われていますが、それは音楽的手法であって、彼が目指していたのは音楽による象徴主義である)。象徴主義芸術を知る上での良い手引きになり、また洗練された想像力によって、現実を体験する「『文学』とは何か」を考えさせられる作品でした。また非常に多くの作家が紹介されていて、私の知る、いくつかの作家の作品はこの作品によって出会いました。 隠遁生活におけるほの暗き、しかし極度に洗練された人工の美の世界を堪能する世捨て人デ・ゼッサント。仮想現実と現実の区別が曖昧になった病的な現代社会を思い浮かべてみるのも良いでしょう。 読む人を選ぶ作品です。 「すべては空しい」かつてあったことは、これからもあり かつて起こったことは、これからも起こる。 太陽の下、新しいものは何ひとつない。(コヘレトの言葉1:9) ソロモンによって語られるあまりに有名なこのテーゼを受け入れるか、否か。 この問いに対する返答が同時に、ユイスマンス『さかしま』の受容をめぐる可否を決する、 そう私は考える。 この世に起きる出来事のすべてに対し「どれも空しく風を追うようなこと」とは思えぬ、 何か「新しいもの」を信じられる人間はたぶん、この小説を読むのに向かない。 本書は、世に倦み果て、人里離れたフォントネエの地で隠遁生活を送ることを決意した男、 デ・ゼッサントをめぐる物語。 とはいっても、物語らしい展開は特にあるわけでもない。世の冗長な小説に苛立ちを覚え、 「この数百ページを煮つめたエッセンスとして、わずか数句のなかに凝縮し得るような小説を 書くことはできないものかどうか」と文中で主人公に語らせてはいるが、あいにくその難題を ユイスマンス自身がこの小説で克服した形跡はない。 記述の大半に費やされるのは、孤独な住処における彼のひたすらの内省。 一方には、彼の愛した書物、絵画、家具などがもたらす喜悦と夢想があり、あまりによく 知られた種々の批評も展開される。そしてもう一方には、過去の忌まわしい記憶や悪夢、 あるいは病のもたらす暗鬱な苦悩が横たわる。 その結末、消化器の不振に苦しむデ・ゼッサントは、世から隔絶された孤独の日々を断念 し、パリで普通の人々と同様の暮らしを送ることを医師によって強いられる。それは即ち、 彼が忌み嫌う腐敗と汚濁への回帰に他ならず、しかし、回復への道はただそれひとつ。 さて、男の選択やいかに。 正直、デカダンス云々との議論に関しては、私にはその真意を測りかねる。 私の見るところ、この小説の主題はすなわち、「想像力をもって、容易に俗悪な現実に代用 し得る」か、否か、その可能性をめぐる不条理。この世の重力を逃れえぬ人間存在と神の、 あるいは身体と魂の葛藤を描き出したのが最後の一文と私は睨む。そして、それはすぐれて フランス文学における名作群、いや世界文学史に連なる系譜と思うが、果たして…… 読んでみたらいいと思うあなたがこの本を読んで、どういう評価をしようとも、僕のこの本に対する評価は一切揺るがない。 そういう過剰な思い入れをされやすい本だと思います。 渋沢翻訳文学の傑作「さかしま」は渋沢龍彦が遺した訳業のなかでも、彼の実力、趣味嗜好や世界観がもっと も幸福な結実をとげた傑作と申せましょう。言ってみればなんとも奇妙な小説ですが、物 語としての構造などにはお構いなく、ユイスマンスが想いのたけを存分に披瀝した特異 な文学作品だと思います。また十九世紀末フランスでしかこれはありえなかったでしょう。 第五章でのギュスターヴ・モロー、ヤン・ロイケン(正しくはなんと読むのだろう?)、 オディロン・ルドンらの絵画作品についての叙述は前半での大きなハイライトになってい ます。また第三章でのラテン文学の蘊蓄は日本人にはあり得ない、まさにヨーロッパ的教 養というものを痛感させてくれます。第八章の妖しい花々と毒々しい幻想も印象的です。 第十二章からは私の好きな部分を引用させて頂きます。 「このまことに奇妙な、まことに定義しにくいサディズムなる状態は、実際、無信仰者の 魂においては起こり得ない状態である。(中略)サディズムは何よりもまず、瀆聖の実 行、道徳的反逆、精神的放蕩、完全に観念的でキリスト教的な錯乱の裡にこそ存するの である。」 純文学と大衆文学、小説とエッセイ、詩と論説といった峻別に囚われない精神の持ち主に お薦めしたい本です。 食虫花さかしま本書は読む人を択ぶと考えます。勿論、択ばれたから偉いとかその逆とかいうことでは全くなく、本書が放つ独特の臭気を好むか否かというただその一点だけなのであります。ある種の食虫花は腐臭を発することでハエをその粘着性のある花弁に集め、捕虫して溶かしてしまいます。まさしくわたしはデカダンの匂いを発する『さかしま』という食虫花に囚われてしまいました。 本書には中世キリスト教史、中世思想史、中世美術史にまつわる名がやたらと出て参りますが、特段の知識を必要とするものではありません。登場するのは「乾いた」モノ、人でいえばその名、であり、そのどれもが、ただ集められているだけで主人公デ・ゼッサントと確たる関係を取り結ぶものではありません。それらモノの集積は、デ・ゼッサントを中心として、まるで宇宙の系のように、閉じた世界を作ります。そして「ゴミグモの巣」のように擬装し内閉した、誰に干渉されるでもない世界において彼は、幻想の世界に遊ぶのであります。神経症から逃れるための幻想は更なる「ゴミグモの巣」のゴミを生み出し、擬装は更に重々しくなります。 しかし高踏的なモノの集積、その何たる豊饒! 現代では同じようなことをしても、このようにはいかんのでありましょう(例えばブレット・イーストン・エリス『アメリカン・サイコ』におけるモノの集積、に見られる退屈と不毛)。 ストーリーなんてほぼあってないようなものなんで、だらんと終わっても違和感ないなあと思いながら読んだら、その終わり方もすばらしい。 最後になるけど、当たり前ながら訳もすばらしい。 一読の価値はあります。でもその独特の臭気がお気に召さなければ、早々と退散しましょう。じきに体が溶けるかもしれません(笑) |