唐草物語 (河出文庫―渋沢龍彦コレクショ...

- 河出書房新社 価格 ¥ 620
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唐草物語 (河出文庫―渋沢龍彦コレクション)


河出書房新社

価格(new/used): 620 円 / 59 円 より
発売日: (1996-02) アマゾン売上ランキング: 58436 位
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[ユーザーによる評価] 平均評価: 4.5 / 総数: 5件

時空を超えた空想の羽ばたき
 始皇帝の御世の徐福伝説、紀元一世紀のローマの博物学者プリニウス、平安時代の蹴鞠の名人や文章博士など、古今東西の人物の奇行や変わったエピソードをモチーフにした物語風のエッセー集。最初のうちはその人物の奇癖や変わった嗜好を紹介する形で進んでいた話が、途中から原典を離れて、著者が自由に空想を紡いでゆくところ。そこに本書の一番の妙味を感じました。
 人物肖像画的なエッセーが、グラデーションの色の変化のように、徐々に物語へとシフトしていく一連の作品(『唐草物語』『ドラコニア綺譚集』『ねむり姫』『うつろ舟』『高丘親王航海記』)の最初期に位置する一冊。雑誌「文藝」に、1979年1月から1980年(昭和55年)1月にわたって連載された十二篇。「鳥と少女」「空飛ぶ大納言」「火山に死す」「女体消滅」「三つの髑髏」「金色堂異聞」「六道の辻」「盤上遊戯」「閹人(えんじん)あるいは無実のあかし」「蜃気樓(しんきろう)」「遠隔操作」「避雷針屋」。
 今回再読して一番の魅力を感じたのは、平安時代の陰陽師・安倍晴明と、奇行をもって知られる天皇・花山院にスポットライトを当てた「三つの髑髏」。合わせ鏡のような無限連鎖の光景、夢幻の箱の中の箱の中の・・・とでもいう入れ子の構図に、吸い込まれるような妙味を覚えた逸品です。
小説?
小説かエッセイかと悩んでしまう作品集だが、幻想文学の系譜には、たしかにこのような事実を空想へと滑らかに入りこませる書き手が存在する。ボルヘスや幸田露伴、そしてこの澁澤龍彦がそれである。
彼らに共通なのは、物語を紡ぎだす種である事実の蓄積量の多さ。そして、衒学ではあるが、物語の面白さを最優先するという点で、知識のひけらかしではなく、一流の文学に仕立て上げる才能。幻想文学が貧弱な日本語の文学にあって、貴重な傑作といえるだろう。
幻想文学短編集の金字塔
幻想文学とは何かと考えるに、聖と俗、日常と非日常、という文化人類学で定義するような、異界との境界に立ち表れる物語とでもいえようか。レビュアーにとって興味深いのは20世紀の現代思想やその周辺の学問が明らかにしたところのヒトの生きている日常が、根源的には「コトバ」によって構築された、極めて不安定な薄氷の上にリアルな現実社会が成り立っている事を幻想文学は文学という形式で表現でしている事である。本書は晩年の澁澤氏の短編集で一番の珠玉のお奨めである。函入りで唐草のクロス装丁という、美本であり、古今東西の物語を換骨した、まさに渋澤ワールドの集大成たる短篇集である。平泉の金色堂のたずねた主人公が現地で乗ったタクシーの運転手が藤原清衡であり、現実世界がいつのまにか、幻想の世界に変幻する「金色堂異聞」は必読。
鏡の中、幽明のあわいへと引き込まれていく話の風韻が素敵です
古今東西の人物から、澁澤龍彦さんの心惹かれた人物にスポットライト
を当てて、澁澤さんが心の赴くまま、自由に夢幻の境に入って遊んでい
る……。そんな趣のする作品集です。

なかでも、花山院と安倍晴明を取り上げた「三つの髑髏」の幻想譚、
この話がとても気に入っています。鏡の中に、同じ映像が無限に続い

ているような、すーっと吸い込まれていくようなえもいえぬ妙なる味
わい。不思議に心を誘われる話です。

「金色堂異聞」の話も読みごたえがあって面白かったです。奥州平泉
に出かけた作者こと私が、そこで妙な老人と出会い、不思議な体験を
するという話。どこからがフィクションなのか、現実と虚構の境界線
が揺らぎ、ぼやけてくるような感覚。

幻術師・澁澤の手妻に魅せられているうちに、いつしか幻想の大海原
の水平線を眺め、はるか彼方の島に向かって漕ぎ出していたかのよう
な、そんな味わい。

「蜃気楼」という話もなかなか良かった。大きなハマグリがぼわっと
気を吐くと、そこに幻の楼閣や風景が空中に現れる蜃気楼。不思議な
からくりでも目にしたようで、妙に心を揺らす作品です。

夢の果実
本書には12編の短編が収められているが、すべて歴史上の実在の人物、故事にヒントをえて、著者が創作したエピソードである。

多分、澁澤龍彦という人は、常日頃から読書や旅行などの折に、発想が特定の事象に向けられるに及んで、そこから妄想がどんどん広がっていって、白昼夢に入り込んでしまうこともしばしばあったのではないかと思う。彼自身、その妄想世界に生きていたと言ってもいい。

平泉で、著者と金色堂建立者の藤原清衡とのつかの間の邂逅をかいた「金色堂異聞」、安部清明が、花山院の頭痛を治すために前世をさかのぼり、野ざらしのしゃれこうべを弔う「三つの髑髏」、なかでも私が一番心ひかれたのは、「空飛ぶ大納言」だ。成通卿は、蹴鞠が好きでたまらず、おのずとその道にも習熟したためある日3人の鞠の精の訪問を受ける。なんでも願いをかなえてやろうと言う鞠の精に、鞠とひとつになって、少しでも長い間宙に浮かんでいるのが、幼いころからの夢であることをうち明ける。童子たちによると、鞠は夢の果実であり、その中からは常に、夢が放射しているという。その夢の中にどっぷりつかれば、体は浮くようになる。このエピソードが澁澤文学を一番良くあらわしている。自分のためだけに閉じられた澁澤ワールドでは、すべては夢の中のできごとなのだ。そこには現実の生臭い欲望やしがらみは存在せず、美しいもの、珍しいもの、興味を引かれるものだけが意味をもつ。この中で著者は、各種遊戯に秀でていて、人生そのものを遊びとしてとらえていたかのような成通卿を、ジャン・コクトーにみたててが、むしろ、その想像世界の中で、平安朝の宮廷も、古代ローマも自在に行き来し、歴史上の人物と万象を論じる澁澤龍彦こそ、ジャン・コクトーの後継者にふさわしい。