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テレビの黄金時代 (文春文庫) |
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テレビの黄金時代 (文春文庫)文藝春秋 価格(new/used): 670 円 / 90 円 より 発売日: (2005-11-10) アマゾン売上ランキング: 257534 位 文庫 / 通常24時間以内に発送 [ユーザーによる評価] 平均評価: 3.5 / 総数: 4件 何冊か読んだが、、テレビバラエティ創世記当時から小林は芸能雑誌で芸能人の内情を暴露してきたわけだが、 どうしても、客観的というよりは、小林の感想文にしかなっていないような感じだった。 一面を感想として述べているだけで、ほんとうの裏が見えないのである。 これではスポーツ新聞と同じ発想ではないか。 小林の本すべてに言えるが、もう少し歴史を調べて(裏を取って)、客観的に、多角的に捕らえて消化した内容にしてほしい。 文章も簡潔すぎて、言わんとしてることに想像力がいるのだが、それも受け取る側の感性によって解釈が全く変わってしまうということは、正確に事を伝えていることには ならないのではないか。 メディアの中の文章というのは非常に誤解をまねきやすいものである。昨今のブログ文化を 例にたとえても、誰かのちょっとした感想文があたかもすべてを語るかのように世に蔓延する危険がある。だからこそ、この手の歴史を振り返るような本は、 私的な感想を入れるにせよ、もう少し客観的に、多角的に書いてほしいのだ。 メディアの中で生きてきた人間で、生き証人としての経験があるのなら、感想文ではなく もう少し質の高い内容にならないだろうか。 これではゴシップで食っているテレビのハイエナ残党だ。 青島幸男にも永六輔にもなれなかった著者昭和40年代前半、確か渋谷公会堂だったかで、坂本九の番組の公開録画を観に行ったかすかな記憶がある。 それが著者が構成台本を書いていた「九ちゃん!」だったのだろう。思えばあの頃はバラエティ番組と言えば公開録画が当たり前で、局で言えば日本テレビが群を抜いていた。 著者は本作のなかで、数々のテレビ番組の企画に携わり、多くの芸能人とも関わったとのことだが、同年代であり、テレビ史に名を残した番組構成作家出身の、青島幸男、永六輔のようにはいかなかった。あっさりとテレビの世界から消えてしまう。正直、著者がどれだけテレビで実績があったかは疑問だ。 ひとつには著者の極端な神経質ゆえであろう。それは「おかしな男、渥美清」や「天才伝説 横山やすし」でもうんざりするほど書かれている。そもそもテレビなんて無神経くらいでないと関わっていけない世界だ(大橋巨泉やみのもんたを見よ!)。 別にタレント的に名をなすことが良いわけではないが、青島・永両氏とも大ベストセラー著作を出しているのは皮肉だ。 そういう意味では、本作も純粋にテレビ史、番組評伝として書かれたほうが価値があったように思えるのだが・・・。 鳥肌ものの名著今手元にないので記憶で書くけれど、小林信彦責任編集・キネマ旬報版「テレビの黄金時代」はまったく別の本である。私はこれを持っており、本書の文庫が出てから最近手に取るまで、両者は同じ本だとずっと思っていた。キネマ旬報版も優れた本であったが、本書は疑いなく、それを遙かに凌駕する。読了したとき、冗談でなく、鳥肌が立った。 演芸や映画における作者の博識と見識には、他者の追随を許さないものがある。それを表現する文章力もまた、タレントの回想記(嘘や誤解も多い)などとは本質的に桁が違う。面白おかしく書かれた本ではない。しかし、これほどに面白く、刺激に満ちたテレビ史は、まれであろう。そして彼が「黄金時代」と規定する時代は、私自身の子ども時代、テレビの影響を一身に受けていた時代と一致する。ここに描かれた番組の一部は、自分が過去に実際に見ていたのであり、懐かしくないわけがない。そういう意味でも本書の点数は高い。しかしノスタルジーだけでなく、当時、低俗番組と批判された番組が、今から思えばずっとまともであったことに、私も同感である。 テレビに代表される「マスコミ」が、「イグアノドンの卵」の予言どおり巨大で制御不能な怪物となり、一国の代表者までが「テレビ映り」の良し悪しで決められる愚かな時代になった。テレビは衆愚を生み出し、育てつつあるのである。この国のテレビに良識を期待することは、もはや難しいだろう。同時に、テレビを正当な情報源だと信じている人が大多数である限り、テレビと視聴者との馴れ合いがなくなることはない。水は低きに流れ、テレビもまた同じ、なのであろう。 興味津々のテレビ人群像小林の文章は、格好付け過ぎという人もいるだろう。描く対象(例えば横山やすし、例えば渥美清)に愛情がある人にとっては、ときに乾き過ぎて、勿体ぶって感じられるかも知れない。 だが、ある個人というより、時代の雰囲気と次々と現れる人物群像を描くとき、伝聞を排し、抑制を効かせながらも観察力に溢れた、自負と自嘲が微かに滲む小林のような文章は、とてもいい。 クレイジー・キャッツ、坂本九、コント55号、ドリフターズら「超」がつく時代の人気物たちの登場の仕方は、もちろんわくわくするが、ツボを抑えたように渥美清(の一言)が出てくると、寅さんシリーズで不動の地位を築いた後に、「砂の器」「幸福の黄色いハンカチ」でチョイ役で出たときのように微笑を誘いながらも鮮烈な印象が残る。 とはいえ、この本の象徴は、有名タレントではなく、名番組を次々とつくった日本テレビのプロデューサー井原高忠と、「ナベプロ」帝国を築いた渡辺晋だ。ともにいわゆる「楽隊屋」出身。この二人の熱気というか野心というか、それが「黄金時代」(1960〜71年頃だそう。そう呼ぶ理由は、後半の1章に明示されている)の核にあった。 そして、小林信彦は田原総一朗ではない。パワーポリティクスを囃し立てて喜んでいるジャーナリストでもない。時代の記憶を、「歴史」としてまことに興味深い読み物にしてくれた。 同じテーマの商品を探す
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