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ひとりでは生きられないのも芸のうち |
| - 文藝春秋 価格 ¥ 1,470 | |
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ひとりでは生きられないのも芸のうち文藝春秋 価格(new/used): 1,470 円 / 1,030 円 より 発売日: (2008-01-30) アマゾン売上ランキング: 2660 位 単行本 / 通常24時間以内に発送 [ユーザーによる評価] 平均評価: 4.5 / 総数: 14件 君たちがいて僕がいる BYチャーリー浜☆母親型「群れと共に生き延びる」と、父親型「群れの中での相対的強者となる」の出発点の違う育児法による、戦争に対する考え方の相違。 ☆絶対負けないという妄想の上に成り立った日本軍の戦陣訓から、皇軍が負ける=勝った連合軍側が新たな皇軍であり、負けた後の抵抗も大規模にはなく(豪等で捕虜の抵抗はあったが、本土で全体的にそんな抵抗は無い)、次はそれに全面的に乗っかるようになり、今に至っている。 ☆、「集団に利益を還流し、集団からの利益の再分配にあずかる機会の多い人間」と「できるだけ集団に帰属せず、何よりも自分の利益を配慮する人間」の数が逆転したあげく、受益機会から阻害され、当惑している“弱者”が、「国民的統合が果たされると、自分にも受益機会がめぐってくるのではないか」とナショナリズムに飛びついている。 など、 毎度「そこをついてくるか?!」と新発見をさせられっぱなしの著者に、今回も唸らせて貰いました。 著者の論が正確であるとして、どうこのようになってしまった、合成の誤謬社会の方向転換を行えばよいのか? それについては著者が定年して、書下ろしを初上梓するまでに、読者が仮定を推考しておかねばならないでしょう。 例示で「毒物カレー事件」を出しているが、獄中の被告本人は全面否認中だし(冤罪の蓋然性を示唆する有識者もいる)、確定判決も出ていない中でのこの使い方は、ミスリードと言わざるを得ない。 さるきちの愛されたい病。アタシはアタシ的にアタシが好き さるきちにゃあ、 とてもそんなコトは言えませんが 公言せずとも、そういうココロ持ちのヒトは きっと摂食障害なんかにならないわよね。 さて、 この本は内田樹先生がブログで書き綴った エッセイをまとめたもの。 少子化問題からメディア、働くということ、 グローバル化、共同体、死など 様々な観点にわたって孤立化ついて語られています。 例えば、 雑誌CanCamで“めちゃモテ特集”なる コーナーがあったそうなのですが、 この“めちゃ”って何だろう?? “すごく”とか、“かなり”とはまた違うのね。 万人からちょっとずつ愛されたいという 意識の現れなんじゃないか、 なーんて、 著者なりの分析がなされています。 また、 独りで食べるコトを「個食」と呼び、 さるきちも「個食」人であるのですが、 これは現代が共同体を失いつつある象徴である、と 著者は主張しています。 むかーし、むかし 共同体の生成は、 分割不可能のモノを分かちあうコトに由来しました。 円錐型の杯がその現れです。 尖っている方が下なのね。 つまり“置けない”のです。 杯を下に置きたい時、 即ち、食べモノを食べようとする時は 別のヒトに杯を手渡さなくちゃいけないわけ。 そこに他者の存在が必要となり、 共同体の成立を意味するのですね。 生きていく上で必須の飲食物。 ヒトはそれを分け合うコトで 生き延びてきたのです。 でも、いまや ヒトは共同体に帰属しなくても ひとりで生きていけるようになりました。 個食はおろか、 手酌だってできちゃう。 それを良しとするか悪しきとするか、 一辺倒には判断できないですよね。 でも、さるきち言えるのは、 ヒトは独りじゃ生きていけないってコトです。 それから、 さるきち興味深かったのは、 父と母の子育てモードの違い。 母親はね、草食動物的。 例えば、シマウマなんか、 群れをなしますよね。 それって集団でいれば 生存率が高いから。 母は、集団に混じるよう “フツー”の子どもに育てようとするのだそうです。 一方で、 父親は肉食動物的子育てモード。 相対的強者たらしめるよう 育てるのだそうです。 本書では、それらを不二家の賞味期限偽装の 問題に関連づけて語られています。 ジャンルが多岐にわたっているので 飽きずに楽しめる一冊です。 「批評」がお好きな方ならどうぞ。タイトルを目にして膝を打ったものだが、内容は、「現在の男女関係」を中心にばらばらと。タイトルに惹かれて手に取った人にとっては物足りない内容かもしれない(最近こういうの、多いね。編集者の狙い通りなんでしょうけど)。ここのレビュー見て知ったのですが、ブログをまとめたものなんですね…。。 確かに、彼の言ってることは、とっても筋が通っていて、すごく的を射ていて、「なるほど!」と目の覚めるような論ばかり。でも、「だから、何なの?」。解決策を示してくれることはしない。「批評家」なのだろうな、と思う。それ以上何か得るものはない。 人は誰かのためになることによって自分の存在を確認することができる、わたしたちが働くのはそのためである人が働くのはお金のためではないということを、人類学・哲学・社会学の知識をベースにわかりやすく説明する内田先生の主張は、少し前までの社会の「常識」と同じであるためとても説得力がある。「実際に人間のパフォーマンスが上がるのは、自分の労働を通じて社会的な「フェアネス」が達成できるという希望を持てる場合と、与えられた「信頼」に応えねばという責務の感覚に支えられている場合だけである。P.75」「今必要なのは、「自分のもとに流れ込んだリソース(財貨であれ権力であれ情報であれ文化資本であれ)を次のプロセスに流す」という「パッサー」の機能がすべての人間の本務であるという人類学的「常識」をもう一度確認することである。P.80」といった説明には思わず大きくうなずいてしまう。「お金と自分の欲望達成だけが労働のインセンティンブ」という人間が「合理的な判断をする人間」であるとし、そうした人間だけがいる世界を「基本モデル」として分析する近代経済学(スティグリッツ:入門経済学参照)では「人のために働く人間」は想定外になってしまうが、経済学以外の人文社会系学問をきちんと用いれば、社会問題の解決方法が見えてくることがこの本を読めばわかる。 読むと将来の不安が高まる本内容は少し難解で理解できないところもあるが、個人の自立を目指して一人で生きていくより互恵的、互助的な組織に属して生きていくほうが生き易い。(特に弱い個人は)現代日本は人類史上初めて個人が一人でも生きられる稀な社会でこれは豊かさと平和の配当である。(しかし将来的には危うい)利己主義や経済合理性を追求すると目先では得をしても少し長い目で考えるとかえって損することが多いと言っている。確かにそのとおりだと思うが、このままではいずれ金もなく、職もなく、家族もなく、誰からも信頼されず、誰からも配慮されない孤独な老人として死ぬ可能性の高い私としては、本書を読んでさらに将来に対して不安が高まったというのが正直な感想である。 同じテーマの商品を探す
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