エレクトラ―中上健次の生涯

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エレクトラ―中上健次の生涯


文藝春秋

価格(new/used): 2,500 円 / 1,584 円 より
発売日: (2007-11) アマゾン売上ランキング: 87299 位
単行本 / 通常24時間以内に発送
[ユーザーによる評価] 平均評価: 4.0 / 総数: 6件

“中上健次に迫る道標”といってもよい
私自身の中上健次との出会いは「地の果て 至上の時」。
そこからさかのぼって作品を読んで行く方向と、
作品をリアルタイムで読んでいく方向との2方向で付き合ってきた。
作品世界の豊饒さと読み解く順の交錯とで、より豊かさが広がったと思っている。

中上健次のあまりにも早い死は衝撃だった。
それだけに、「第11章熊野に死す」は静かで悲しかった。

レビューにもある通り、作家は作品で評価するのが第一ではあると思う。

しかし、中上健次を読みたい人に何を読んだらよいかのアドバイスは難しい。
これまでまったく読んだことのない人ならなおさらである。

一人でも多くの人に、中上健次に出会ってもらうためには、
本書のように、それだけで読み応えのある評伝は必要なのだとあらためて感じた。
本書を読んでもらうのも、中上健次に迫るひとつの道になるのではないかと思えた。


中上健次を評価するとすれば、純粋にアウトプットで評価せよ!
 読み応えのある評伝だった。読み物として面白かった。
 「これを書かなければ生きていけないというほどのいくつもの物語の束をその血のなかに受けとめて作家になった者がどれほどいるだろうか」って言葉が出てくるんだけど、ここの捉え方はかなりセンシティブである。もちろん書くことがある人はいくらでも書けばいいんだけど、じゃあ、書くことがない人は書く資格ないのかよ、っていうさ。人には、書くこともないのに物書きになりたいとか、芸もないのにタレントになりたいとか、そういう有名性やドラマ的人生への欲望ってあると思うのだ。「ダメ親だったらグレられたのに...」みたいな本末転倒。語りたいことの有る無しじゃなく、「語りたい」というそれ自体の欲望。ほら、古くは太宰なんてのは、「語りたい」がために共産党活動に身をやつしたり、自殺未遂や心中を繰り返したりしたんだと思うんだよな。つまり自分の人生ってコンテンツが豊饒であるってことを世の中的に刻んで死んでいきたいって欲望。それって意外に本能と直結してる気がする。
 そりゃぁ中上健次ってはこの評伝通り、その人生も過剰なくらい豊饒なんだけど、やっぱ評価すべきはその「語り」である。ほら、書くべき人生が無くたって、書かれたものが面白いかどうかが勝負なわけでさ。中上自体もそこに拘っていたと思うんだよな、出自に拮抗した語り。もちろん書くべきことがないのに、面白いものが書ける確率ってかなり低いだろうけど、逆にそれって才能だし。実人生=物語ってアナロジーじゃ、実人生が豊かじゃない人はやってられない。今のブログ隆盛なんてのは、実生活と別の人生を作れることの可能性、もうひとりの(ドラマチックな)自分を生きることへの欲望だもんね。とはいえ読むほうは、それがウソだろうとマコトだろうと面白けりゃいい訳でさ。もとい、中上健次を評価するとすれば、純粋にアウトプットで評価せよ!ってことだ。
文学って、苦行なの?
 今や伝説となった中上健二の評伝です。著者によれば、
フーテン、薬物依存、そして被差別部落に学生運動と、
同時期に青春時代を過ごした者ならどれかに思い当たる
ような経験を、彼はフルコースで演じていたとのこと、その
人の人生が後に神格化されたのもむべなるかなと思いま
した。
 被差別部落で非嫡出子として生まれ、母親が他の男と
婚姻すると共に姉達が離散、後には兄も自殺してしまう
という、その運命の客観化を生涯のテーマとした彼ですが、
結局は自らの家族に救われたように思います。エピロー
グに収められた次女あての私信は、人生の先輩としての
成熟した暖かいまなざしとわが子への深い信頼で満たさ
れていました。
 マグマがたぎるような熱い小説への想いと、憑かれた
ように故郷、熊野を語りの海として再生しようする姿勢は、
いずれも稀有のものだったのでしょう。しかし、とわたしは
思うのです。人は小説を書くことに、これほどまでに苦しむ
必要はないのではないかと。
 例えば、最近読んだ近藤史恵『サクリファイス』は、肩の
力を抜いた筆づかいで、読後の爽やかさを感じさせたし、
玉岡かおる『お家さん』や伊坂幸太郎『ゴールデンスラン
バー』はフィクションを楽しみながら神戸や仙台という地域
の息遣いを感じることができました。それで、いやそれだ
けでもいいのではないでしょうか。
説得力あり
作家中上健次の、生い立ちから作家として世に出るまでを、二人の編集者との交流・対峙を軸に描いた評伝。根は大人しい性格ながら、複雑な出生と家庭環境、兄の自殺、少年期のいじめ、親族間の殺人事件などの事実を自身の中に溜め込んでいくにつれ、抜き差しならない思いを腹の中に抱え込むようになった作家の人生が説得力をもって語られます。中上健次がなぜあれほど濃密でずしっしりと重い作品を描き得たのか、斬新としかいいようのない表現力をどうやって獲得したのか、本書を読めばあらまし理解できます。
決して語られることのない日本の陰画
僕は健次の作品は、「紀州、木の国・根の国物語」しか読んだことがありません。そしてそこから先に足を伸ばすことはこれまではありませんでした。どういうわけかこの「エレクトラ」というタイトルに魅かれて読むことになってしまいました。そんな無知な読者に突きつけられたのは、驚くべき必然性としての作家の一生です。健次の生涯の歴史的な描写ははあくまでも芥川賞の受賞のところで終わってますが、作者により、ここまでで、この作家の核がすべて明らかにされてしまいます。ここで明らかにされたのは、私たちが教科書で習うことは決してない日本の陰画への接近です。それは「路地」という言葉で語られています。文字と語り言葉、天皇と民、偽史と正史などの対立項の中で、彼の生涯の軌跡が明らかにされていきますが、最終的な著者の解釈は、母系からの父系への脱却による悪の存在の倒置(345ページ)に集約されます。そして単純なこの結語の持つさまざまなインプリケーションは全編を通じて語られることになります。そしてこのインプリケーションの重みは、全編つまり健次の生涯を知らずには理解が不能というわけです。そして健次が最後にたどり着いたのは,「無私無償の言の葉の量による圧倒」という境地だったという驚くべき結論になります。しかし、この作品の結語は、現実での父系の滅亡を散文的に読者に示すことによって終了しています。したがってエレクトラ自体の解明と描写も、未完のままなのです。