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時が滲む朝 |
| - 文藝春秋 価格 ¥ 1,300 | |
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時が滲む朝文藝春秋 価格(new/used): 1,300 円 / 692 円 より 発売日: (2008-07) アマゾン売上ランキング: 6343 位 単行本 / 通常3~5週間以内に発送 [ユーザーによる評価] 平均評価: 3.0 / 総数: 21件 おいしい餃子が食べたくなった。父と息子、尾崎豊、天安門広場、残留孤児、中国の民主化、小さな人々の生活が大きな歴史の流れに翻弄されいく、興味深い話です。 現在の中国を知るには、良い小説だと思います。 中国という大きな国を民主化するのは、大変なことだと思います。 安保世代におすすめ芥川賞を取ったか否か、は大きな問題ではない。作品の持つ波及力が問題なのだ。 日本語の完成度が問題なのではない。国際社会の中での日本語は新たな言葉に移行し始めているからだ。 1960〜70年代に学生運動に関わった世代にとって、この小説は自らの〈青春〉以外のなにものでもない。 40〜50年が過ぎて、かつての日本とほとんど同じ体験を、中国社会が自国の青年たちに強いるのは、国家や社会の宿命を思わせる。 若い読者にとって不幸なのは、こうした体験を共有できないことだろう。 外国人にしてはいいのだが・・・中国人による日本語小説としてみれば、この作品は優れている。外国人でこれだけの日本語表現力を備えていることは十分称賛に値する。 しかし、外国人が書いたということを考慮から外して、単純に日本語の一作品としてみれば、不自然な表現や会話が多く、読みづらい。中国語を理解していなければ趣旨がわからないところもある。 さらに、芥川賞受賞ということが本書を評価する目を厳しくしている。受賞作にしては、私にとっては期待に十分応えるものではなかった。 尾崎豊をどう捉えるかがこの作品の評価の分かれ目これは日本の近代の早回しだね。この作品を評価するかどうかのポイントは尾崎豊をどう捉えるかだと思う。俺はもうちょっと中国の人、ってゆーか、この著者がひねくれた人であることを期待してたんだけど、かなり素で尾崎の「I LOVE YOU」にまいってるよな。もう、その1点で俺にはわかりあえるものがないだろう。尾崎って死んでから神格化されちゃったところがあるけど、死んだ時はピークも過ぎてたし、ピークの頃だって熱狂してたのは一部の奴らでしかなかった。その時代を体験してないと、そこら辺のニュアンスがすっぽり抜けちゃうんだよね。全共闘とか戦争体験もそうだと思うんだけど。この小説は、天安門を当事者、しかも指導者ではなく、学生や市井の人々の視点から書いてるっていう点で、事件を相対化する意味を持ってると思うんだけど、どうも著者の尾崎の捉え方を見てると、ちょっと違うんじゃないの?っていうか、感性として信用できないところがあるんだよな。まあ、天安門事件に携わった学生のメンタリティが尾崎の独りよがりな正義感と通じちゃってるのが残念っていう。冒頭で、近代の早回しって書いたけど、天安門の学生たちはリアルであって、尾崎のほうが全共闘なんて過去も過去って時代に出てきたフェイクな訳じゃない?リアルの人たちがなんでフェイクにまいっちゃうのかが解せないんだよなぁ。尾崎の歌が当時の中国の若者にこそ真に受け入れられたとしても、当時の日本人にとって尾崎を歌うってのは自己陶酔以外の何物でもないからね。この小説にも出てくるけど、カラオケ映えするんだよ尾崎の歌は。でも、日本は曲がりなりにも70年安保の挫折を経験して、国家じゃなくって自分、革命じゃなくって恋愛、生産じゃなくって消費って学習した訳じゃない。今更、この小説を評価するってのは、日本が追い詰められてて、日本の文学が弱ってて、評価者の感受性が鈍ってるってことの証しだよね。 いろいろな評価があり得るのでしょうが・・・芥川賞に値するか否かについては、選考委員の方々の考えもあるでしょうし、ある意味運不運などもあり得るのでさて置くとして、小説としては大変面白く読むことができる一作でしたし、要はそれでよいのだと思います。主人公(梁浩遠、謝志強)の中国時代を描いた前半の六割部分は、表現の稚拙さ(失礼、ただ例えば涙を表現するのに「雪解け水のように」(74頁)というのは如何なものでしょうか)がやたらと目に留まり、唸ること多でしたが、浩遠の来日後の人間模様やその内面の描写には現実感もあり、国籍を異にするとはいえ共感を覚えること大でした。次は、テレサ・テンと天安門事件の繋がりについて触れているらしい有田芳生氏の『私の家は山の向こう』(文春文庫)を読んでみようかと思っているところです。 |