空海の風景〈下〉 (中公文庫)

- 中央公論社 価格 ¥ 780
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空海の風景〈下〉 (中公文庫)


中央公論社

価格(new/used): 780 円 / 280 円 より
発売日: (1994-03) アマゾン売上ランキング: 14026 位
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[ユーザーによる評価] 平均評価: 4.5 / 総数: 13件

空海そのものより空海を取り巻く風景、特に最澄らを描いた歴史考察
空海をとりまく人物や歴史の背景を丁寧に追って、そこから空海の心情を推察した書。小説とは言い難く、会話らしいものもほとんどありません。空海を当時の他の仏教をはるかに凌ぐ真言密教を確立したと繰り返し述べながら、真言密教の内容に関してはほとんど触れられていません。この本の中で、最澄が空海に、密教は本を読むだけでは学べるものではないと言っていますが、この空海の風景を読んでも密教の真髄はわかりません。理趣経をはじめとする真言宗の経典や空海自身の書を熟読していることが明らかな作者が、肝心の空海自身あるいは密教自体に関しては、核心に触れようとしないように感じられるのは、読者に対して司馬遼太郎が、密教は本を読んだだけではわかりませんよと言っているかのようでもあります。空海の生の声の密教論としては、最澄に対して宛てた手紙の中で、“大日如来の三密はお前自身の三密である無我の大我に理趣(条理)を求めるべきで、他に求めるべきではない”とこの本の後半でほんのわずかに紹介されています。時代背景や人物、関連書物、寺院の紹介はされており、この本から人それぞれ多様な方向に興味が広がる本です。
人間臭い「空海」を再現した著者渾身の1冊です
巻末の解説で大岡信氏が「司馬氏以外の誰が、このような著作にトライし、物にできるか」的なことを書かれているように、まさに、著者渾身の1冊といえる本。
上巻同様、空海の残した著作等、それ以後の時代小説に比して、数少ない手がかりから、最大限の創造力を動員し、空海その人はもとより、最澄を始めとする同時代の人々、宮廷・奈良宗教等、時代の雰囲気を再現しようとする試みに付き合うことは、刺激があって、本当に面白いものでした。ただ、著者の信条からでしょうが、内容は、最澄との確執等、「空海」としての人間臭い部分が中心で、「弘法大師」としての数々の奇跡や密教の中味については、ほぼ触れられていません。
著者の空想力の産物であることを念頭に置きつつ、「空海」への足ががかりとしても適した1冊ではないでしょうか。

”超人”と”人間”のあいだに…
「空海はあるいは、言葉に出して、――朝廷も国家もくだらない。といったかも知れない。」

かつて在阪の頃、空海ゆかりの場所を数多くたずねた。東寺、神護寺(高尾山寺)、施福寺(槇尾山寺)、東大寺、大安寺…特に意識しなくても、前記のような史実と思しき場所から伝承・伝説の類まで、近畿(この場合、“関西”より“近畿”がふさわしかろう)を歩けば、どこでも空海の足跡にすぐ行き当たる。それほどに空海は“遍在”している。それは冒頭の言葉に代表される、空海の人智を超えるような思想的巨大さの表れとも思える。

 前期の期間、行きたいと思いつつ遂にそれを果たせなかった場所が、高野山だった。その高野山の壮大な伽藍を、司馬氏は「若き日に滞在した長安の街を再現したかったのではないか」と“夢想”する。

「空海は帰国後、淋しかったのではないか」

 その余りの巨大な知ゆえに、当時“文化の果てるところ”の辺境だったこの国において、空海は孤独だったのではないか…司馬氏が描く“空海(の風景)”の魅力は、その壮大さと同時に、“超人”にもなお、人間としての“弱さ”を透視しようとする著者の視線にある。

 本書を読んで、必ずいつか高野山を訪れたい、という思いが、改めて強くなった。
神秘的な話がなくやはり中途半端
 下巻は上巻と異なり、空海が成功の階段を駆け上る話なので
一種痛快である。
 しかし、小説であるのであれば、もう少し、空海の起こした
奇跡であるとか密教的な話を書かなければ片手落ちである。
筆者はおそらく非科学的であると批判されることを恐れて
そのような話を書かなかったのであろうが、それなくして空海
の本質に迫ることは不可能である。
 ただ、上巻にしても下巻にしても空海にまつわる史実や史料
がふんだんに盛り込まれているのでこれから研究して行こうと
いう人にとっては良いガイダンスになるであろう。
 
お大師さんと人間空海
これまで何度か高野山に行ったときに知った数々の伝説、お大師さんは子供のときに一切の衆生を救う誓いを立てて崖から飛び降りたところ助かったとか、中国から帰る時に布教の場にふさわしいところへ落ちろと願をかけて投げた鉾(?)が高野山の木にひっかかっていたとか、なにより今も生きて衆生救済に励んでおられるとか、ありえないとツッコミを入れたくなるような超人話を21世紀の人々にさせる、お大師さんとは一体どんな人なのだろうと思ったのが、この本に手をとったきっかけでした。
それまでの私はまさに伝説の聖者そのものの空海を想像していました。ですから上巻で思いっきり性欲話が、しかも空海がそういうことに人一倍関心があったはずだという説がぶちあげられた時点で、私の中の聖者「お大師さん」としての彼のイメージは傷つき、かなりへこみました。
ところが下巻も佳境に入り、泰範の代筆で最澄に絶交文を書くくだりの頃には、さすが空海、これくらいいやらしくてナンボだ、といった、司馬氏の描く「人間空海」も好きになっていました。
聖者としての彼を期待して手に取った本でしたが、この本での彼は(その後読んだ他のどの空海本にもなかった)平安初期を豪快に泥臭く生きた「人間空海」そのものでした。
「お大師さん」と「人間空海」が同一人物として私の中に溶けるには時間がかかると思いますが、この本で私の空海像はぐっと厚みと深みを増しました。
最初は筆者の感想や分析が多く、感情移入しにくかったため、暇つぶしに読む本だなという程度でしたが、後半(つまり下巻)はぐんぐん引き込まれて一気に読んでしまいました。司馬氏の本は初めてでしたがおもしろかったです。