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論理哲学論 (中公クラシックス) |
| Ludwig Wittgenstein - 中央公論新社 価格 ¥ 1,260 | |
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論理哲学論 (中公クラシックス)Ludwig Wittgenstein 中央公論新社 価格(new/used): 1,260 円 / 400 円 より 発売日: (2001-07) アマゾン売上ランキング: 299370 位 新書 / 通常24時間以内に発送 [ユーザーによる評価] 平均評価: 4.5 / 総数: 6件 同床異夢要素命題の真偽(真理値)を経験による検証で決定し、 複合命題(要素命題が結合した命題)の真偽を、真理表で論理的に明示すれば、 全命題の真偽は、経験的真理値(経験による検証)を入力として、 論理的真理値(論理的結合子の働きのみが決める複合命題の真理値)を出力すれば得られる。 こうした検証を蓄積することで、真理(全体知)が志向されるのだとする進歩史観が、 前期ウィトゲンシュタイン、すなわち本書を換骨奪胎したウィーン学団(論理実証主義)の立場である。 ウィーン学団は、自然科学の優位性を経験的な実証性 ―「感覚与件(センス・データ)」― に求めたが、 まさに「感覚与件」こそが、ウィーン学団を破綻に追い込んだのである。 経験なるものから主観的解釈を取り除き、感覚器官に外から与えられた刺激だけを抽出することなどできるわけがなく、 「感覚与件(感覚器官に対して与えられた一切の先入観・偏見ぬきのデータ)」など存在し得ないのである。 刺激の受容(「感覚与件」)は、その解釈と切り離せるはずがないという観点を公言したのが、 後期ウィトゲンシュタインに魅せられた N.R. ハンソン(理論負荷性 theory-ladenness)である。 観察とは "理論を背負って" 見ることであり、 "なまの事実" など存在しないのである。 ウィトゲンシュタインは、「語りえぬもの」を志向していたにもかかわらず、ウィーン学団の志向は「語りうるもの」にあった・・・ 「語りえぬもの」こそがあらゆる検証の背景にあることを噛みしめたい。 普遍妥当な真理(全体知)は、すべからく断念されねばならないのである。 命題を呟く論理哲学論考は、さして長くも無い命題の連続からなる。証明は加えられていない。スピノザのエチカと比べてみると、その雰囲気の差異は明白であろう。此処には切羽詰まった何かがあり、時には、悲鳴にも近い信念が書き付けられる様に見える。形而上学の最重要なテーマ、「存在」「認識」「意識」「時」「世界」を形式論理学で追求できる限りの極北を扱い、出来れば「生・死」「視覚・聴覚」「音と言葉」もその俎上に載せたかったであろう?しかし、語れないものに対する「沈黙」でこの書は断崖から切れ落ちている。 ホワイトヘッドとラッセルの「数学原理」プリンキピア・マシュマティカは、ゲーデルの不完全性定理で破産した為、ラッセルの弟子であったウィトゲンシュタインは、探求を途絶したのであろうか?そうでは有るまい。この書は、それ独特の危機の中で書き付けられているのでは無いか。このメモが、いつから書き付けられ始めたのかは、分らないが、第一次大戦の、死闘激しい戦線で、狂気の淵を彷徨いつつ書かれたとも云われる。気質的に境界領域に居た人で有るだけに、時には静に書かれた様に見える命題の中にも、踏み板を抜けば、即地獄の様な切迫感は、行間に立ちのぼる。世の有名な学者たちの月並な頭脳明晰だけでは到底歯が立たぬ世界は存在する。 色々な読み方ができるこの本は色々な読み方ができると思う。 数理論理学の成長を読みとることもできるし、 一つの科学論を読みとることもできれば、 彼の独我論を読むこともできよう。 単純に批判哲学の入門書として読むにはもったいない そして彼の美しさがここには描かれている。 感染力高し哲学の問題は言語の誤用から生じる、というテーゼは論理実証主義者をつき動かした。この本に貫かれている、力強さ=傲慢さもまた。この本は、哲学の営為を終わらせるために書かれたのである。うーん、衝撃!! しかしながら、この本に乗せられた論理実証主義者たちは、ヴィトゲンシュタインのことを半分しか理解していなかった。ヴィトゲンシュタインもまた、要素命題についての難点などから、この本の思考過程の大部分を破棄するようになっていくのだが・・・。 文学的関心からではこの本の面白さは伝わってこない。やはり、論理学・フレーゲやラッセルの仕事を参照してみると、おおっ、と何かがひらめくものである。私はそうだった。 とはいえ、優れた書物が概してそうであるように、単独でも!インスピレーションを与えてくれる。その点では、ヴィトゲンシュタインが意識したスピノザの『エチカ』もまたそうである。そのインスピレーションは、同じ感覚を有するものにとっては、知性のなかで小さな・・・決定的な爆発を引き起こす。 世界があることが神秘だ!「論考」の中では「語り得ないことには沈黙しなければならない(7)」という言葉が大変有名です。でも、私の一番好きなのは「世界がいかにあるかではなく、世界があることが神秘だ(6・44)」という言葉です。ーーこの広大な宇宙が、世界が、私が、存在していることが、最大の「神秘」です。なぜ、今、ここに、他ならぬ私が、男(女)として、チビ(デブ)として・・・、存在しているのか? ウィトゲンシュタイン自身も、自分にとって最も重要なのは「語り得ること=論理」ではなくて「語り得ないこと=神秘」のほうだ、と言っています。ただ、厳密に考えることを求める彼の姿勢が、彼に「語り得ないこと」を語ることを許さなかったのでしょう。とはいえ、「論考」の中にも、どうにかして「語り得ないこと!」についても語ろうとしている、と感じさせる記述も含まれてます。 「世界の意義は、世界の<外>になければならない。世界の<中>ではすべてがあるようにあり、すべては起こるように起こる。世界の<中>にはいかなる価値もない(6・41)」「私が永遠に生きることでなんの謎が解決されるか。永遠の生は、現在の生と同様、謎に満ちていないか。時間・空間の<中>の生に絡む謎の解決は、時空の<外>にある(解決されるべき問題は、自然科学のそれではない)(6・4312)」 ウィトゲンシュタインの発想は、素人っぽい、と言われます。でもそれは彼が、私たちの存在している「神秘」に驚くことを忘れなかった、ということなのではないでしょうか(永遠の子供みたいに)? |