小説の自由

- 新潮社 価格 ¥ 1,785
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小説の自由


新潮社

価格(new/used): 1,785 円 / 1,158 円 より
発売日: (2005-06-29) アマゾン売上ランキング: 66261 位
単行本 / 通常3~5週間以内に発送
[ユーザーによる評価] 平均評価: 4.5 / 総数: 10件

意図的な読みにくさ??
小説というものに関心がある人にとって、刺激的な内容だと思う。小説という既成の概念の中で、あれこれ意味を与えて豊かな小説にしようとする(現在のほとんどの小説はそうとのこと)行為を筆者は評価しない。小説そのものを考えること、小説の新たな可能性を追求することが、人生を考えることであり、この世を考えることそのものと繋がっている。だから筆者が哲学や宗教を小説を考える際に持ち出すことは必然なことなのだろう。

ただ、この文章は、筆者が考えを整理して伝えようとしたものではない。筆者も言い訳か、あるいは真に意図しているのか、「読みやすい文章は筆者の考えをただなぞって考えたつもりになってしまう、真に考えるためには悪文が必要」(※保坂氏の言葉そのものではないので念のため)と言う。確かに、文章のクセに収まらない明白な悪文もところどころに存在し、私も筆者の真意を測るために何度読み返したかわからず、それが唯一この書の評価を下げざるを得ないと思われるところなのだが、筆者があえてそれが必要というのもまた理解できなくもなく、それはそれでいいのかもしれないと思い直しているところ。読者にはとっても不親切だけれども、整理して伝わりやすくしたときにはすでに失われてしまっているものが多く、筆者はそれをこそ読者と共有したいと思っているので、その不親切さにもかかわらず読み進め、一緒に考えてくれる読者に向けて書いているのであろう。

文章も、構成も、まったく練られてはおらず、いわば思いつきのまま書き連ねてはいるのだが、それがまた返ってこの小説家の生(き)の思考の生まれる現場を体験するようでいて、逆に新鮮なのかもしれない。でも、ここまで文章や全体の構成に気を使わないで書いたものが商品となるのはうらやましいと思ったりも。(もともとは月刊の文芸誌に連載しているものをまとめたものだから、全体の構成というのは限界があるのだが、それにしてもまとまりはない。。)

読みにくさを覚悟の上であれば、小説及び人生とこの世界に興味を持つものにとってはこの上なく面白い本です。
引用の強度
この本は、自分の読んでいた、読み続けていた本に対する誤読を開陳させられ、苦しい気持ちになる時があります。テーマや物語の社会性や新しい文体でデビューした変な新人、などに狂わされた文学界からは、ほど遠い地平で思考している。それは、大変孤独な作業だとおもいますので保坂さんはちゃんとした人(作家)だと思う。カフカの引用はとても明解で、あの文章の強度をちゃんと見つめている作家はあまりいないと思う。文章の内面から滲み出てくる強度という点ではカフカの引用によって照らし出された最後の部分は恐ろしいくらいのリアリティを越えた現実として、この本の一部を強くものがたっている。
小説家と批評家
 保坂和志の小説に対するスタンスがいっぱい聞ける一冊。
 斉藤美奈子曰く、「おまえら読めてないよ」という本。批評家は物語のメタファやら意味性をつきつめて、さらに細部を分解するように読むけれど、それは全然違うんだよ、と。
 これは難しい問題で、はたして、そういう読み方があっているのかどうか、私たち自身で考えなくていけない。たとえば、芥川賞って作家が選んでいるけれど、ずいぶんとんちんかんな作品ばかり選んでいる気がするし。
 ただ、自分は保坂和志の考え方を否定しない。だって、いわゆる、きちんとした純文学作家はけっこうこういうスタンス(どこまでそれに自覚的かは、かなり違うと思うけれど)で作品をかいていると思う。
 たとえば、村上春樹だって、「海辺のカフカ」の話の意味は自分でもわからないって言ってましたし。ま、保坂さん、村上春樹嫌ってそうだけど。
 つまり、小説はほとんどまともに読まれていないんです。一般読者だって、そう。批評家だってそう。大部分の作家だってそう。書かれたものとは全然違うとらえかたをされて、それが発展し、多くの作家が埋もれているかもしれないのは、少し悲しい。
 青木淳悟なんて、地元の図書館にない。
小説の面白さ再発見
小説家は一体何を目指しているのか、と思うことがたまにあります。人生とはかくあるべし、と読者に教えたいのか。明らかに違うでしょう(そういう人も中にはいるでしょうが)。こんな人生もある、と知らせたいか。それはあるかもしれない。小説を書こうという気になったことがない私にとって、小説家の書く動機というのは興味がありました。

著者はこう言います:「小説とはまず、作者や主人公の意見を開陳することではなく、視線の運動・感覚の運動を文字によって作り出すことなのだ」。おーっ、なるほど。運動が起きればそこに何かが生まれる可能性があるわけですね。それは作者も予見できない何かなのでしょう。

作家は評論家が嫌いのようで、本書でも結構世の評論家諸氏が槍玉に挙げられており、そのこき下ろし方が面白いです。

文芸批評の自由
いわゆる「文芸批評(評論)」的なものが随所で批判されているのだが、これも一種の文芸批評だろう。保坂和志さんなりの小説の読み方、良し悪しの基準、あるべき論が語られているのである。小説の「書き」の専門家と「読み」の専門家とでは、小説に対する態度がまったく違うんだ、といくら主張したところで、それもひとつの「批評(評論)」のかたちを提示しているにすぎない。何らかのジャンル批判は、すべてそのジャンルの歴史の内部に取り込まれ、そのジャンルの欠点を補い中身を豊かにしていく。
そして、斬新でおもしろい文芸批評だったというのが、けっこう読むのに苦労する込み入った論旨の本書を読み終えたあとの感想である。私はカフカやベケットの小説も、アウグスティヌスの信仰告白も、読んですばらしいとは思えず、むしろ「社会問題」とか「トラウマ」とかにたよりがちな「ミステリー」などはわりと好きな人間だが、保坂さんの批評を読んでいると、なるほど、カフカは確かに素敵な小説書きなのだなあ、と説得された。
もっと言ってしまえば、そもそも保坂小説そのものが実はこれまであまりよく理解できないでいた。なので、本書で提示されたものの見方を学んだあとで再読してみれば、かつてない新鮮な世界が開けてくるのではないか、という淡い期待を抱いている。そういう、小説への新しい視点を読者に教えてくれる。まさに優れた文芸批評である。