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新リア王 上 |
| - 新潮社 価格 ¥ 1,995 | |
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新リア王 上新潮社 価格(new/used): 1,995 円 / 347 円 より 発売日: (2005-10-26) アマゾン売上ランキング: 83563 位 単行本 / 通常24時間以内に発送 [ユーザーによる評価] 平均評価: 4.0 / 総数: 5件 難解すぎる「リビエラを撃て」を最高傑作と思っているため、評価にはバイアスがかかっているかもしれない。「晴子情歌」で、日本人の生きかた、歴史を、歴史に登場しない人物の視点で描くことで、文学であるとともに、叙事詩のようでもある(本文が何と言っても手紙である)、という作者の手法は、今回の作品では、禅宗の教義、経、本山末寺制度への言及が余りにも煩雑、頻繁なこともあって、難解で、読みにくい。 青森(日本の農村、日本の土着的な部分を象徴しているのだろうか)の産業発展に人生をかけた政治家の人生が物語の軸になっている。リア王と同じように、上の息子には裏切られる。しかし、僧侶となった末の息子は一体コーディリアなのだろうか?主人公の栄(リア王)は、末の息子に救済されたのだろうか?物語は、結末が示されず、そのまま終わってしまったように見える。 青森の歴史、六ヶ所開発の挫折についてとても詳しい。関係者には、産業開発の歴史書としても読めるだろう。 晴子情歌が序、本篇が破なら、続編は急かしらん。楽しみ。 あらゆる意味で読む者を圧倒する小説。読み始めるとその世界に一気に引き込まれるのだが、気軽には読み始めることができない作家。しかも大作ばかりだ。居住まいを正して読め!雑念を払ってから読め!そんな声が聞こえてきそうな作家。読む側にも緊張を強いる作家。わたしにとって高村薫とはそんな作家だ。 そんな作家が選んだ題材が政治と宗教(生臭物と精進物?)。舞台は青森。日経新聞の連載を何度か読んだ限りにおいてはミステリーの要素はなし。重そうだなぁという先入観があって長い間積ん読状態にあったのだが、読み始めると結局圧倒されっぱなしのまま上下巻を読み終えてしまった。 ただ、高村の人間観・宗教観に充分浸れたものの、一度読んだだけで理解できたという自信はない・・・。 ミステリーの要素は一切なし。政治家が実名で登場し実際に起こった出来事とリンクしている部分がエンタメ的要素といえるかもしれないが、政治の世界を描くにあたっての小道具に過ぎず主題ではない。それでもこれほどの大作を書き上げる力、そして、読む側に緊張を強いながらも一気に読ませる力、決して読みやすいとは言えないが「力」を感じる文体。いい意味での「重さ」「硬さ」を感じることのできる素晴らしい作家だと思うし、他の方が仰るとおり高村薫は「純文学」作家なのだと思う。 ただ、このまま進んでいけば、新たに獲得する読者よりも、離れていく読者の方が多くなってしまい、作品を発表する場所が狭まってしまうのではないか、という余計な心配をしてしまう。 危険高度に達するということ同じ時代に生きている芸術家ということで 僕は三人の人が気になっている。一人は作家の村上春樹だ。25年くらいの期間 村上と同じ時代の空気を吸いながら僕も中年になり 村上も60歳近くなった。 もう一人は映画監督の北野武だ。二作目から気になりだし ソナチネは映画館に観に行った。HANABIが ベネチアで賞を取る前の事だ。最近の北野はだいぶ変容してしまい 僕にとって少し難しい監督になりつつあるが それも同時代にお互いに生きていることの醍醐味だ。 三人目が 言うまでもなく 高村だ。 高村がサスペンス作家であると言われていることに違和感を長らく持って来た。実際 「マースクの山」を読んでいる限り かような言われ方は まずもって正当なのだと思う。但し 個人的には あまり評判にならなかった「照柿」を読んだ際に 小躍りするような興奮を覚えたものだ。「照柿」には しっかりとした純文学者としての高村の顔が見えたからだ。 それにしても 本書まで来ると 純文学としても 次第に孤高という感じが強くなっている。 題材は政治であり 宗教であるわけだ。ある意味で 極めて現代的なテーマであり ここには同時代者としての高村がきちんと見える。しかし その「語り」の特異性には すさまじいものがある。 高村の「文体」は極めて硬質だ。豪腕作家といわれるゆえんだ。しかも 本作に至っては その「硬さ」が 孤高な地点にまで行ってしまっている。ある意味で 危険高度に達しているのだと思う。とても万人向きではないし 僕も 十分打ちのめされる思いで頁をめくったものだ。 本作は サラリーマンの読む日本経済新聞に掲載されていたということは事件なのだと思う。しかも 高村と日経新聞は最後には揉めた末に連載が終わった経緯も記憶に新しい。 当たり前だ と 僕は思う。こんな孤高の純文学は 満員電車の中で 目で追うだけで読めるわけではないからだ。 高村は これからどこに行くのか。それが同時代の作家を読む醍醐味だ。 政治家を主題に据えた傑作青森県政と地元で磐石の基盤を誇る政治家一家福沢家の政治家を描いた作品であり 政治や政治家というものを主題にすえた作品である。 物語は青森という田舎から出て来た政、務しか出来ない政治家福沢栄と、妾の息子として 陰湿な取り扱いを受け、仏の道に進んだ福沢庄野が久しぶりに邂逅し交互にお互いの体験を語ることで展開される。 作品は、政治家の仕事というものが福沢栄の語りという形を借りて詳細に叙述される。 その仕事とはどんなものか。 国会の開催日に政治家が何をするのか、地方の政治家にとって霞ヶ関めぐりというのが どういうものなのか、同じ議員でも内部の派閥や階級があり、大きな違いがあることなどが語られる。 地方におけるライバルとの鞘当や、どぶ板選挙の詳細などは読んでいて中々楽しい。 ライバルといえども構成員はお互い流動的な部分があり、一枚岩でない人間関係、組織関係が描かれていて中々に面白い。 また地方が時代の流れにあわせて大型プロジェクトを誘致しては時間がかかりすぎたり政治の都合で時代の流れに取り残されていく様が描かれ、そんなふうに 取り残されても仕事や金さえ手に入ればいいという地方の即物振りが鮮やかに叙述されていく。 そういった開発頼みに、実務的に開発を誘致しながらも、内心憤るしかしらない栄自身の内情の露土は読んでいて考えるものがある。 栄が苦労して2世議員として育てた息子も、栄の開発頼みへの憤りを理解せず、ポリシーを持たず即物的な結果さえ手に入ればいいんだという政治理念をもってしまったことへの失望などは親の悲哀であろうか、時代の流れだろうか。 作中、青森の陸奥小笠原開発という核関連事業に関わる話も取り上げられる、核廃棄物処理という長期の問題を考えず、即物的に原発誘致を行う地方への批判が展開されるが、これは作者自身の主張とも思われる。 作者は青森における貧乏と、それを解決するための開発優先主義の時代の功罪を見事に描き出している。 開発か未来への責任か、読者自身にも一考を迫る話である。 小説は小説に過ぎないので現実よりもはるかに単純化されているのだろうが それでもなお政治を主役にすえたという点は特筆に価する。 またもう一人の語り手である福沢庄野の坊さんの生活というものが、非常にわかりやすく丁寧に記述されており、それだけで他に例を見ず一読に値する。 永田町の一日、永平寺の一日、そして王たる福澤榮の絶頂青森・西津軽の末寺にて、代議士の福澤榮が婚外子である彰之に、国会召集日のある一日を語ってみせる。そこには、青森におりながら標準語を話し、一族が当たり前のように東大へ進学する「大家(おおやけ)」を担う福澤家の、政治家としてのあり方が描かれる。 55年体制のなか、党人派として生きる榮の身辺に、永田町で渦巻く政治の渦が降りかかってくる様態が、刻銘に、それこそ登場人物の息づかいまで、余すところなく語られる。馴染みのある政治家の名前が実名で語られるところが艶めかしい。 実子の彰之からは、東大を卒業しながらも生き方が定まらず、北洋船に乗り組んだのち、大本山こと永平寺にて修行する様子が伝えられる。難解な仏教用語を駆使して明らかになる雲水の修行の模様は、永田町で蠢くきな臭い政治をなす群れと、一見、対極であるようだが、しかし、何らかの共通点を読者に見出させる。 そして、舞台は衆参同日選の模様へと移り、榮の長男・優が参院選へデビュー、自身は当選揺るぎない衆院選へと、同時出馬する選挙戦へと移る。その際、榮は地盤の継承にも成功しつつあり、君臨する王として絶頂期にもあった。 この作品を読む前に、シリーズ前編として位置づけられる『晴子情歌』を読み込んでおくことが求められる。ただ、『晴子情歌』を読まなくても、本作品だけでも十二分に満喫できる構成となっている。 |