人間を幸福にしない日本というシステム (...

Karel van Wolferen - 新潮社 価格
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人間を幸福にしない日本というシステム (新潮OH!文庫)

Karel van Wolferen
新潮社

価格(new/used): -- 円 / 100 円 より
発売日: (2000-10) アマゾン売上ランキング: 7037 位
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[ユーザーによる評価] 平均評価: 4.5 / 総数: 19件

今となっては読む必要はない。
この本の初版が発行された1994年においては、官僚制度を批判したという点で、この本は画期的で、必読本だったのかも知れない。

しかし、この本のタイトルにある『幸福』に興味がある人にも、原著にある"ploliticized society"に興味がある人にとっても、この本を今更とりよせて読む必要はない。

まず、内容は、今となっては週刊誌や昼のワイドショーでやっていて、聞いたことのある主張ばかり。
そして、週間誌の記事とも下記の点でレベルは変わらない。
■タイトルと内容が不一致で、タイトルに興味を惹かれた人が欲しい内容が載っていない。
それもそのはず、元の書名が『the false realities of a ploliticized society』である。日本訳出版時に販売促進のため、タイトルをかなり歪曲されたのだろう。
■検証できるようになっていない。
・数字による検証がほとんどされていない。
 そもそも、数字で検証できるほど厳密な定義をせずに、議論を進めている。
・参考文献リストがない。

先見の明に敬意を表して、星を1つ増やし、2つとした。
13年前の指摘は今の問題点
Wolferenが1994年に書いた日本憂国の書。
日本を支配しているのは誰かというのは重要な視点で、官僚を始めとする管理者たちadminstratersの支配の構図を指摘している。すなわち官僚独裁国家日本の問題的を指摘した本である。2007年の現在、その指摘は全く色あせておらず、なぜ日本で改革が進まないのかがこの本を読むとよく解る。
この本を手にする人が増えることを祈る。
そういう視点で見ておくべきか?、と気付く本
海外から戻ってきて、最初に手に取ったのがこの本でした。
日本は、なるほど、こぅ見えるよなぁ、と思うことしきり。普段、視点を変えなければこういう見方はしない?、という気付きが得られる本です。
では、どうしましょう?、というのは個々人の課題として...。
「変えていくんだ」という意志
日本で生活していて、「シカタガナイ」とはつい口にしてしまう。狭義で言えば組織や会社内の秩序が間違っていると分かっていても結局それに従順でなければ生きていけないと思ってしまうし、広義で言えば国や政治の改革など自分のような小個人には変えられるはずないと思ってしまうからだ。しかし本書において筆者は、その「シカタガナイ」という言葉を辞書から撤廃しよう運動をしている。官僚制によって「政治化された社会」、本当のことを知らされない市民(嘘のリアリティ)。確かに世の中絶対にどうしようもないことはあるけど、まずは市民が自ら情報を得る努力をして真実を知ろうとすること。そしてそれに対し具体的なアイデアを考えて、小さい個人ながらも新たな一歩を踏み出すこと。初めから「シカタガナイ」と諦めてしまわずにそういったプチ革命をすることで、もしかしたらそれが他人に連鎖して大きな輪となり、現実が変わってくるかもしれない。市民が変わることで「官僚制」という「嘘のリアリティ」は変わる可能性がある。その可能性がほんの少しでもある限り、自分も「シカタガナイ」で物事を正当化せずに、現実の裏に隠された様々な真実を知っていこうと思いました。そうやって努力をした結果、やはり「シカタガナイ」に収まってしまうのならそれは本当の意味で「シカタガナイ」のだろうけれど、真実を知ろうという努力もせずにハナから「シカタガナイ」と割り切ってしまうのだけは避けよう、と筆者に意識改革をしてもらえました。
政治的に健やかな国、病める国
「地球は神が作ったが、オランダを作ったのはオランダ人だ」

そういう国を若くして出て、アジアをジャーナルしながら日本に着いた作者は安土桃山の時代の人間の様だ。現代にほ信長はいないが、受け手となる国民はいる。それが存在しなければこの本には意味がない。

アカウンタビリティーは「説明責任」と言う事で定着した観があるが、それは誤解だろう。ドゴール前にフランスにはアカウンタビリティーと呼べるものがなかった(内閣が何度も入れ替わった、対独戦の対応を誤った)という彼の言葉から分かるように、政治に関するこの文脈においては、「国家に生じる結果責任」とでもいうべきだろう。阪神大震災の後の起動の悪さにより幾多の人命が失われた事に、アカウンタビリティーの欠如を指摘したのも彼だ。

官僚に国家に対する結果責任が負えるか。それは論理的に矛盾しているだろう。結果の責任を負うのは主権者にその行為を委託された政治家だろうから。官僚機構は彼らの道具というのが本質的な関係だろうから。

会社の結果の責任を負うのが経営者なら、従業員は使われてその結果に向けて動くのと同断だろう。こういうトップダウンな関係を築けないところに日本の社会の弱みがあるのだろう。日本にはなんでもあるが経営がない、と言われたのも似た構造がある。

内部だけにいては感じにくい事を、たとえ反感を感じたとしても一旦読む、知る、ということは(特に海外に行くチャンスが少なければ)大事な事だと思う。

一人前の大人として、「日本権力構造の謎」等と共に彼の著作を読むことは意義がある。