青の時代 (新潮文庫)

- 新潮社 価格 ¥ 380
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青の時代 (新潮文庫)


新潮社

価格(new/used): 380 円 / 1 円 より
発売日: (1971-07) アマゾン売上ランキング: 26212 位
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[ユーザーによる評価] 平均評価: 4.0 / 総数: 10件

この主人公は自分で疑う範囲を限定しておいて、それだけを疑うのだ。
 「認識」と「行動」−三島の小説の多くに見られるテーマである。
つまり人間は頭で考えてから行動するのか、
それともあくまで人間の活動自体がまずあって、それを理由づけて体系化するうえで認識が起こるのか?
三島の持論は「行動が先」だと思うが、
行動と認識とが法則をもって、その通りに動き、システム化されていれば、世の人々は悩まずに済んだはずである。
この二者が実体を素直に表に見せず、時として行動と認識の順序がごっちゃになったり入れ替わったりするから、ややこしい。
 私は三島の人物創造の動機はまさに、この行動と認識の区別を整理し、
世の中の誤った思いこみに一石を投じるものと考える。
 
 「青の時代」は1950年に発表。
前年に発表された「仮面の告白」の主人公が、自分が生まれた時のことを記憶していると独白する箇所に私は衝撃を受けた。
なぜなら作中人物が自分の行動と認識に一定の制御を与え、理由付けをし、
(作者にとって)完璧に「プログラミング」された人物の創作に至ったとさえ思えるからだ。
 この作品では冒頭でとうとう作者が人物創造の意図を「序」として告白している。
 小説を用いて、今までにない新しく、真実の人間像に迫ってみせる、
という堂々たる宣言ではないか?
 
 確かに尻すぼみの印象はある。起承転結の結がすぼんだような感じだ。
主人公と相対する第二キャラの出来も今一つだ。
 しかし、この作品はあくまで試行だと考えれば、「金閣寺」で主人公の行動や思考の動機付け描写の緻密さと、
柏木という主人公の心に巣食う第二キャラの造形となって花開いたのだ、と捉えることもできるのではないか。
青い
とても読みやすいし、
実話を元にしているという点において興味がひかれるため、
最後まで一気に読めてしまう作品です。


ただ著者は主人公の人間性にこそ興味があるようで、
光クラブという貸金会社がどうやって儲けて、
どうやって破綻していったのか、
そこら辺の詳しいところはほとんど書かれていません。


東大生が会社を起して、しかもそれがたいへん上手くいって
大きな利益を出した。
現在ではそれほど珍しいことではないとは思うのですが、
当時としてはものすごく画期的な出来事だったのかなあ、
と思います。そしてまたその結末も。


三島由紀夫というと、いかにも文学者という感じで、
その文章はとても美しく、小説の構成も完璧である、
という印象があるのですが、本作に関しての評価は
あまり芳しくないようで、著者自身も本作に関しては
いろいろと後悔があるようです。
アプレ=ゲール・陰鬱たる戦後派の時代
主人公は光クラブ事件(今で言うところの闇金)の山崎がモデルです。
この山崎という人物は戦後派の世代らしく規制の価値観をすべて否定します。
それは社会道徳、果ては愛に関しても・・・
既成観念の崩壊、栄光から挫折、その構図自体はライブドア事件にも通じるものがあります。
光クラブ事件です
文庫本についていた帯が面白かったですね。
”ライブドアショックで今話題沸騰、よく似た男がいた”ってね。
昭和24年に起こった光クラブ事件をベースに書かれた小説です。この事件自体は高木彬光の白昼の死角で知っていましたけど、三島由紀夫が書いていたことは知りませんでした。
私としては高木彬光のほうが、フィクションを多く含んでいるかもしれないけど、スピード感があって好きです。青の時代のほうは内面に入りすぎていて、ストーリーの展開という点では、まどろっこしく、かつ、物足りなかったです。
50年以上も前の所産が現代的になりつつあることの意味
 「僕の書きたいのは贋物の行動の小説なんだ。まじめな贋物の英雄譚なんだ」と序にある。ご存知のようにこの小説は戦後アプレ犯罪のひとつ光クラブ事件の主人公山崎晃嗣をモチーフにしている。けれど、今これを読むと、ホリエモンや村上ファンドが頭をかすめる人も多いはずだ。敗戦→アプレの登場、バブル崩壊・失われた十年→ヒルズ族の登場っていう、既成の価値観崩壊のポスト世代ってのもオーバーラップする。
「長屋のおかみさんまでが臍繰りを繰り出して株を買いはじめた一時期」って時代背景も、「誠は現代では宣伝のほうが実質よりもずっと信用されてることを承知しており」って主人公の価値観も、「感傷的でない英雄主義」って生き方の指標も、「この子にはどことはなしに自然さが欠けている」って容貌も、あまりに酷似している。
 光クラブ事件や「青の時代」という50年以上も前の所産が現代的であるというのはどういうことだろうか。これは偶然の符合などではなくて、現代のさまざまな事象のヒント、解は過去の中にある程度隠されていることを示してはいないだろうか。
 解説にもあるように、主人公の造形が戦前戦後でぷっつり分断されているという明らかな構造的欠陥があり、作品としての完成度は低いけど、いま読むとなかなか面白い小説だと思う。三島が、この主人公に仮託して描こうとした贋物=社会をバーチャルなものとして捉えることの問題って、ますます現代的になりつつあると思うな。