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それから (新潮文庫) |
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それから (新潮文庫)新潮社 価格(new/used): 420 円 / 1 円 より 発売日: (2000) アマゾン売上ランキング: 7690 位 - / 通常24時間以内に発送 [ユーザーによる評価] 平均評価: 4.5 / 総数: 32件 難しいなぁ・・・夏目漱石前期3部作第2弾。とある人は、本作から漱石の主題が始まったという。 前半は淡々と話が進む。正直退屈。 後半は、主人公代助が友人の妻三千代を放っておけなくなり・・・ いくら代助が高等遊民(ニートではない)とはいえ、個人的には平岡に同情したい。 さて、結末がちょっと凄いです。 世の中が動き出す。目の前は真っ赤。何だそりゃと思う人もいるかもね。 結局、代助と三千代がどうなったか描かれていないし、それからどうなったのかは謎。 漱石先生の小説はやっぱり難しいですな。でも昨日、知るを楽しむの再放送を見て 少し分かったような気がする。 世界文学史上、屈指の名作夏目漱石こそは、生涯をかけて人間の孤独と真面目を追及した文学者であった。その最高傑作に「こころ」と並んで「それから」を上げる人は多い。主人公の代助は高等遊民であるが、不真面目な男ではない。友人の妻に恋心を抱き、苦悩していく。それは決して他人に打ち明ける事のできない孤独な苦しみである。そして物語は飾らず淡々とその圧倒的な結末へと登り詰めていく。一人の男の心理をここまで精緻に真正面から描き切った小説がはたして他にあるだろうか。この作品は近代日本文学の傑作であり、日本が世界に誇りうる屈指の名作である。 働かざる者食ってもよし!何か難しい事を色々言っていますがこんなに自信満々に自由人をやってられる人を尊敬すらします。 後半のたたみかけが凄いです。 漱石と近代は3Pがお好き?個室で書物と対峙するところに近代的自我は発生する。と同時にプライベートな空間が生まれることで初めてパブリックな空間も意識され始める。それまでは公私の別はなかった。基本的に近代化は「個の解放」=「プライベートな時空の確保」であったはずだが、もう一方で近代国民国家は軍隊と大学によって男たちを動員し、集団生活を課し、心身ともに規律を植えつける。会社や軍隊では公私の区別は明確ではなくなる。「個の解放」や「プライバシーの確保」は不十分となる。「個の解放」を推し進めたのがスキゾであるなら、公私の別の希薄な男の集団生活を支えたのが、ホモソーシャルとメランコリーである。女性は排除され、スキゾは居場所を失う。初発の動機は裏切られたのだ。 さらに人は一人では生きられないのでパートナーの問題が浮上する。漱石の主人公たちはパートナーとして男をプライベートな空間に招きいれる。逆にいうと、個室で女と対峙することを極端に恐れる。何故、パートナーとして女をプライベートな空間に入れないのか、大変奇妙だ。 しかし、そうした近代もそろそろ終焉を迎えようとしているようだ。個室にはネット端末が置かれ、公共の場にはケータイが持ち込まれた。再び公私の境界線は揺らいでいるのである。「アンチ・オイディプス」の唱えた脱属領化プロセスの行き着く果てとしてのスキゾは、単独性を希求してきたはずだ。しかし、ポストモダン社会において勝利しつつあるのは動物化したオタクであって、彼らには単独性、崇高、死の欲動はない。 漱石はもちろん、その門下生、江藤淳、柄谷行人にいたるまでホモソーシャルとメランコリーに対して、批判的な位置を確保できていないために、党派性に関係なく、彼らの近代批判は不十分なのだ。 素朴な疑問として、漱石ほどの知識人がもしかして自分はホモではないか?と懊悩する場面が見られないのがたいへん不思議である。 それからそれから大助は三十にもなって定職にもつかず父親のすねをかじってぶらぶらする、所謂今でいうところのニートです。働かないのは国のせい社会の堕落のせい、彼は独自の理論をもって自分の行いが高尚なものであると考えています。読んでいてもまるきりニートの逃げ口上なのですがそこは夏目先生、どこか風刺にとんでいて、読んでいてもいらいらするどころか一理あるなという気さえしてきてきます。まぁどれだけ社会のせいにしていても働かない言い訳にはならないわけですが。 あるひ彼の近くにかつての友平岡が越してきます。夫の仕事の不調が原因で散々な扱いを受けている三千代が大変かわいく描かれています。薄幸の女性に惹かれるのは日本男児の性なんでしょうか、しかもその三千代は義侠心から大助自身がかつて平岡に譲った女性だったのです。 大助は三千代への愛を抑えきれずについに行動を起こし、物語はゆったりとした空気から急転直下に破局へと向かいます。。今まで疎んじていた社会が大助の犯した罪に牙をむきます。このあたりの大助の前半後半の世界観の対比が絶妙です。 当時三千代を平岡に譲った義侠心、それこそが三四郎で言われていた「無意識の中の偽善」だったのではないでしょうか。 |