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新祖国論―なぜいま、反グローバリズムなのか |
| - 集英社 価格 ¥ 1,890 | |
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新祖国論―なぜいま、反グローバリズムなのか集英社 価格(new/used): 1,890 円 / 449 円 より 発売日: (2007-08) アマゾン売上ランキング: 30091 位 単行本 / 通常24時間以内に発送 [ユーザーによる評価] 平均評価: 3.0 / 総数: 5件 コラム?コラムなのか評論なのかはわからないがかなり軽い本。 あまり反グローバリズムの本として読まないほうがいいだろう。 とりあえずナショナリズムについてもグローバリズムについても 新聞に書いてあることを少し付け足した感じか。 電車でのひまつぶしにはなるのかもしれないが。 あまりすすめられないかも。 ナショナリズム著者は本書のなかで力強く「反グローバリズム」を主張しながら、他方で健全なナショナリズムの不在を嘆く。この慨嘆は護憲/革新の側に向けられているんだろう。革新の側に大衆と交流する言語を喪失していること、文化の不在が今日の革新勢力の不振の根本にあるといいたいのだろう。著者の言うナショナリズムはしたがって国家主義ではなく運動の豊かさと根深さを表すものなのだ。 本書で著者は統一戦線の構築を訴えている。同じ元共産党であり、80代であるなナベツネは大連立を画策した。常に状況の中で生きようとする気概の強さはこの世代の特徴なのだろうか。後者は迷惑だが。 堤清二としての「新祖国論」を書いてほしい最初っから最後まで、ご説ごもっともである。異論はまったくないけど違和感は思いっきりある。やっぱ、辻井喬名義じゃなく堤清二名義だったら本書の内容をこういう風に語れるのか?っていうさ。批評者じゃなく当事者として。いま世の中がこうなっってしまった責任の一端はセゾン文化には一切無いのか?っていう。別に非難しているわけじゃなくて、読む側、70年代から80年代にかけてセゾン文化を享受した側としては、堤清二が“セゾン文化と今の世の中の関係性”をどのように捉えているのか?ってのが最大の注目点な訳で。こんな高みからの物言いは、はっきり言って肩透かしである。今こそ是非、堤清二としての「新祖国論」を書いてほしい。 「堤清二」の意図はそこになかったにしろ、「文化も金で買える」「差異化が金を生む」なんてあたりは、きっと大衆のセゾン文化の読み違えに端を発している気がするんだよね。ほんとは、堤清二には経済社会の最前線に踏みとどまってもらって、間違って展開したセゾン文化の軌道修正っていうか、ケツを最後までしっかり持ってほしかったんだけどさ。ちゃんと文化もわかってる見識のある経営者って今の世の中居なくなっちゃったわけで。もちろん、堤清二としての発言力なんていまやゼロパーな訳ですが。 最後まで辻井喬が自らの立ち位置をどう認識してこういった内容を書いているのかがわからず、腑に落ちない、無念な気持ちでページを閉じた。 あと、コラムごとにデカ字のリードで1ページ使うのはどうよ?教祖のご託宣じゃないんだし、3ページの内容に1ページのリード付ける意味無いって! もう少し勉強してください著者は、現在のグローバリズムの問題点と絡めて、現在の日本の潮流が悪い方向へ傾き始めており、戦後の日本の国家目標である経済発展至上主義への改変を主張している。 しかしながら、著者の主張は、その根拠となるのがかなり浅く、また文体もかなり感情的になっているために、書生論としか評価のしようのない出来となっている。 特に外交面に関して、現在のアメリカ追従外交から原爆体験と平和憲法を掲げるこそが本当の国際貢献としているが、これに至っては、本当にこの人はまともに国際経済を勉強していたのかと思わざるを得ないもの。 この手の議論をする人は、とかく日本の外交を「アメリカ追従外交」として非難し、「平和憲法を主体とした外交」を日本が採らねばならない外交という単純且つ二極的な論を打ち出すのだが、それによる思考硬直化をこの本は見事にさらけ出したという点では、反面教師となる本であるといえる。 良書です経営の一線から退き今は作家として活躍している辻井喬の作品です。あえて、昨今取りざたされているグローバリゼーションに反対し、これまで日本が歩んできたことを痛烈に批判しています。元々は信濃毎日新聞で連載されていたものを収載したものです。ですから非常に読みやすく、一般の方にも読みやすい内容です。一つの話題が短く纏められているので適当な分量で良心的な価格で良いと思います。因みに辻井喬氏は(堤清二名義で)博士(経済学)の学位を持っています。 同じテーマの商品を探す
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