太平洋戦争と新聞 (講談社学術文庫)

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太平洋戦争と新聞 (講談社学術文庫)


講談社

価格(new/used): 1,313 円 / 996 円 より
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戦争にはしゃいだ官民一体は何故か?
■ 【何故 戦争を始めたか?】
1969年(昭和44年)に毎日新聞記者になった著者が、
「日本は何故、無謀の大戦争に突入して敗戦を体験す
ることになったのか?」と言う疑念と戦争体験者の多くが
鬼籍に入っていく昨近、その証言と資料の喪失を憂え
て、記者と言う立場を踏まえ、当時の二大全国誌『朝
日』、『毎日』を中心に背景にある官僚による検閲体制と
を「報道記事に沿って」明らかにしている。

■ 【満州事変からの15年戦争  】
本書の最後は、敗戦を迎え「朝日新聞」部長会議での村
山(長挙)社長と細川(隆元)編集部長の言葉で締め
括っている。著者は、太平洋戦争を15年戦争と位置付
け、15年遡った1931年(昭和6年)満州事変から世論形
成に寄与した新聞の役割から筆を起こしている。従っ
て、満州事変→国際連盟脱退→5・15事件→京大滝川
事件→2・26事件→日中戦争→大東亜戦争などなど一
連の太平洋戦争の新聞報道が描かれている。

■ 【従順な国民を育んだものは?  】
ハメルンの笛吹き男に従ったネズミや子供達の如く、見
事な『従順な国民性』を育んだものは何か?著書には、
如何に官僚の統制された検閲に『従順な新聞』により、
これまた、『従順な国民』が大多数であったかが描か
れ、衝撃であった。『従順な国民』を培ったシステムを徹
底的に洗い直すことが必要であるし、今日において、本
当に洗い直されているのか空恐ろしくなった。

■ 【軍部・世相に媚びるメディア 】
『自己の信ずる所を憚る所なく述べ、以て国に尽すの勇
気が650年前の日蓮の有したそれの百万分の一も存せ
ざることにありと考える。」と石橋湛山をして言わしめた
満州事変に対するジャーナリストを含めた識者一同の軍
部・世相に媚びる姿勢を批判している。(1931年)その先
見性・一貫性を著者は、高く評価、軸足としている。
戦前の凶暴なファナティシズムに脅迫されるメディアの姿を描く、高い資料価値あり
戦前の天皇機関説問題、滝川事件でこの時代の狂気は理解していたつもりであったが、想像以上である。

現代の我々の目から当時の新聞の腑甲斐なさを糾弾するのは簡単であるが、もし自分が大新聞の経営陣や社員であったらと考えると、慄然とする。右翼や暴力団まがいの人間が拳銃や日本刀を持って「天誅」と称して人を本当に殺しに来るのである。恐らく現代人の9割以上は、この時代に生まれていたら愛国を騙ったテロリストに屈するに相違いない(但し、だからと言って当時の新聞が免責される訳ではない)。戦後の朝日新聞や毎日新聞の政治的スタンスは、戦時下でのこの自らの報道姿勢への強烈な罪責感と贖罪の念に基づいたものではないかとさえ感じられる。

東洋経済の石橋湛山、信濃毎日の桐生悠々、時事新報の近藤操、福岡日日の菊竹編集局長、河北新報の一力社長(「外部から暴力あらば四百人の社員一丸となって言論の自由を死守する。大元帥陛下のご命令とあればいつ砲撃されても苦しからず」と陸軍に返答した。見事である)といった勇敢な言論人を賞賛するだけでは充分ではない。最大の問題は、当時の日本国民と世論がなぜ彼らを見捨てたか、である。

当書によれば、「新聞紙令」による言論統制と「軍民離間」を振りかざした軍の恫喝の2つが当時の新聞を息の根を止めた最大の要因であるようだ。

それにしても、当時の世論の愚昧と右寄り勢力の凶暴さには改めて驚かされる。軍部や右翼だけではなく、メディアを思いのままに操ろうとした在郷軍人会にも国政を誤らせた重大な政治責任があろう。当時も今も日本社会の最大の癌は、衆愚的な政治決定に他ならないことが分かる。

当時の右翼新聞「日本」に至っては、「我が国を滅ぼすものは軍閥」と予言した新渡戸稲造博士に対して「日本否認の常習犯新渡戸稲造博士は……日本国民として聞き捨てならぬ非国民的暴言を吐いた」と非礼かつ低劣な非難を行っている。(現代でも、ネット上でこの種の言説が散見されるような気がする。人間は進歩しないのだろうか)

日本経済が低成長期に突入し、国力(=経済力に裏付けされる)に翳りが見える現在、国際世界における日本の置かれた状況を直視せず、新興国の台頭すら認識できない人々が増える中、「愛国心が真実への目を曇らせる」という終章の警句は現代にも生きていると言えよう。
当時の国内の状況は良く伝わってくるが
 フィリップ・ナイトリー「戦争報道の内幕」の大東亜戦争日本版。新聞報道が国家統制の中、どう歪んでいくかを示す。満蒙権益拡大を目指す昭和初年から、戦争終結まで。
 冒頭ですでに抑圧されて消極的抵抗しかできない新聞が描かれる。抑圧される過程はもはや過程としての意味しかない。この意味で抑圧の過程を検証するかという当初の期待からは外れる。当時の言論界における威圧的な言語表現の例が豊富な点で参考になる。副読本としては良いかも。
新聞の宿命か
私たちはもっと近現代史を学習しなければならない。近現代とは日本の場合、満州事変に突入していく頃以降の時代である。学校で近現代史を教えないため、戦争を知らない国民が圧倒的多数者となりつつある。
この本は近現代史を新聞というメディアの側から教えてくれる貴重な資料となっている。社説を何よりも大切な主張とする新聞社にしては、実体は自社の存続に一番のウェイトを置いているためになんともだらしない。軍部を批判する主張は次々と後退していく。   新聞社の要職にある人は、いつも手にソロバンを持っている。全国の発行部数の推移や収支の計算に余念がない。なにしろ戦争ほど新聞発行に影響力の強いものはないからだ。新聞は自国民にとっての最大のニュースである。それがたとえ軍部による謀略によって作り上げられたものであっても無条件で即追認する結果となっていった。軍国主義、愛国心、排外的ナショナリズムをあおれば収入が上がり、社員の生活がうるおった。
このような状況の中で、あくまでもジャーナリストとしての信念を貫いた人もいた。本著の中では次のような事例が紹介されている。
菊竹六鼓『福岡日日新聞』は五・一五事件で軍部と正面から対決した、大新聞の商業主義優先を「新聞の魂を売った」としてきびしく批判した。菊竹は朝日と毎日が商業主義にはしり、「新聞は商品である」と唱えたことを皮肉っている。徹底した軍部批判をした。死を賭してでも、言論を守るという気概を秘めていた。
桐生悠々は信濃毎日の社説で「東京大空襲を嗤う」を書き退社に追い込まれる。その後『他山の石』を個人で創刊して最期まで戦った。
しかしあくまでも少数派である。新聞社は時代の趨勢に流されていく。現代にあっても、核兵器の廃絶や戦争非協力などの主張はもうすでに忘れられているのではないか。著者の主張が書かれていない気がする。
朝日と毎日のジャーナリスム(笑)宣言
左系メディアの勇として朝日、毎日は、ことあるごとに政治家の片言節句をとらえて、もっと反省をとか、戦前への回帰といわんばかりの社説、解説をよく載せているがこの本を読んだ後だとあまりの白々しさに泣けてきます。

戦前さんざんぱら軍部翼賛にへたれておいて、いやそうするしかなかったといって戦後ろくすっぽ責任も取らずのーのーと存続しているかれらにできることは、まさに反戦特集として自分たちの戦前の記事を毎日載せることではないでしょうか?

このマッチポンプ図式は現在も、さんざん治安悪化や青少年の凶悪化という事実に基づかない報道を繰り広げた結果が今回の教育三法の改正その他に繋がっているだけに看過することができません。今もこの本でアカヒ、毎ゴミと対比されている石橋湛山や桐生悠々とまではいかなくても地方紙や、きちんとした学識者は声をあげている人がいます。そのようなものを掬わずして何がジャーナリズムかと静かな怒りを覚える一冊です。

ジャーナリズムに対するメディアリテラシーを養う上でこの本は最高の一冊といえます。