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一神教の誕生―ユダヤ教からキリスト教へ ... |
| - 講談社 価格 ¥ 777 | |
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一神教の誕生―ユダヤ教からキリスト教へ (講談社現代新書)講談社 価格(new/used): 777 円 / 226 円 より 発売日: (2002-05) アマゾン売上ランキング: 115857 位 新書 / 通常24時間以内に発送 [ユーザーによる評価] 平均評価: 4.0 / 総数: 9件 新しい論争の書、近代的誤解を解く神の力の衰弱という認識は近世以降の宗教自身、神学の、そして著者自身も逃れない誤解に違いない。衰退したのは宗教界であって神ではない。近代化による人間の意識、神などに影響されないという自負の肥大化は神自身からすれば微笑ましく思える話だろう。 この宇宙の進行する時間を停止できない以上、遠い将来を数学者のように一瞬で一括して考えるとすれば自然は明らかに克服されねばならず、それができないという滅亡論だけが意味はなく、自然が克服される段階が如何なるものであるか、自然が克服された後が如何なるものになるか、という想像もできない未来を想定しても、神の力を克服できたという保証は、自意識の勝手な判断以外に得られてはいない。 従って、この問題についての根本解決がない上の正当な判断、状況認識は自然の限界が克服されるまでも克服される時も克服されてからも、問題が問題として、懸念事項として常に残り続けるということ、そういう意味でこの論争はエンドレスであるということが初めから前提とされていたということが一ということの意味であったということになろう。 素人の私には明快だったQ1.昔からユダヤは一神教だったのか? A1.昔のユダヤは、多神教だった。 Q2.ユダヤ教って、生贄とか割礼とか野蛮な気がするんだけど? A2.原始宗教なんで・・・。 Q3.なぜ、迫害・離散・放浪の歴史の中で、ユダヤが神を棄てなかったのか? A3.ユダヤ民族成立の歴史に関係あり。『出エジプト』という迫害・離散・放浪の末、『カナンの地』で建国したユダヤ民族にとって、その民族神ヤーウェは、迫害・離散・放浪からの開放の神だから。また、バビロン捕囚時代、バビロニア帝国に強制されて律法を成文化した。当時、土地(神殿も)持てなかったユダヤは神殿の代わりに礼拝所を持ち律法を遵守する事にした。礼拝所は募金、学校、医療など福祉機能があったことから組織を維持し易かった。 Q4.キリスト教とは? A4.上記の礼拝所の福祉機能を残しながら、原始性や民族性を切り捨てて、ユダヤ教を、ローマ帝国のコスモポリタンな雰囲気に適応させようとした。 Q5.イエスとキリスト教の普遍性との矛盾 A5.当時のユダヤ教の支配者層はローマ帝国の手先となっていた。イエスはユダヤ原理主義者でありユダヤ民族独立運動家であった。(か、そのように見なされていた。)イエスが真の普遍宗教を考えていたのであれば、ユダヤ教と対立する必要がない。イエスはユダヤの中で思想・活動していたに過ぎない。 一神教誕生の理由は明快 でもこれは本書の主題ではない●一神教誕生の説明は、第2章にさらっと明快に書かれています。●エジプトを脱出しカナンに侵入した人達がイスラエルを建国した。王国が南北に分裂した頃のユダヤ人の宗教は、神を拝めば御利益が得られる『御利益宗教』で、バアル神、アスタロトも祭っていた。●その後アッシリアが北王国を滅ぼした。残った南王国はヤーヴェが北王国を助けなかった理由を、ヤーヴェ以外の神を祭った事にあると考え、ヤーヴェのみを崇拝するようになった。●他にも律法が書かれた経緯、それが一字一句書き換えてはならないものになった歴史的都合なども明快に説明されています。●本書の主題は、一神教であるところのユダヤ教とキリスト教が誕生した経緯を神学的視点で説明する事で、ユダヤ教が一神教になった理由ではありません。●でもその答えを期待した人は、明快な回答が得られます。 論理的でわかりやすくこの世の不条理を教えてくれた本。なぜ今西欧列強が世界を牛耳っているのか、つまり勤勉で倹約家のプロ テスタント(旧教も同じでしょうが、アジア人などと比べれば結果的に は)が貯めた金で世界を植民地にして、まねした日本がこけたきっか け。ウェーバーを読んでも、なぜ彼らがこの世の宝と天国の宝を同一視 できたか、私の頭ではよくわかりません。この本読んでその無限ループ のなぞ、つまらない思い込みで、例の「自己正当化」を押しし進め、世 界方々でみんなを迷惑させた屁理屈をなんとなく理路整然と教えてくれ る本です。 独創性は非常に難あり、内容は無難そのものです他のレビュアーの方が既にご指摘のとおり、タイトルと内容の乖離は大きいです。本書の大部分を占める、原始キリスト教成立時のユダヤ教との相克に関する諸問題は、気のせいでしょうか(笑)、どこかで読んだようなお話が多いです。特に、第7章には問題があります。M.ウェーバー(と日本の亜流の故・大先生)の焼き直しとしか思えません。しかしながら、初学者(信徒さん)が、(日本の)プロテスタント「正統派」の信仰の弁証(方法)をざっくりと概観するためには、非常に「無難な」本だと思います。教職から怒られる・忌避される可能性は限りなく低いからです(笑)。また読み易いのも事実です。ただし、テーゼ(仮説、問題設定)を借用、あるいは先行研究が存在している場合、下衆の勘ぐりを避ける為には、その旨を明記するのが筋なのでは?と思いました。キリスト者を自認されておられるならば、なおさらです。 |