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| - 講談社 価格 ¥ 735 | |
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<子ども>のための哲学 講談社現代新書―ジュネス講談社 価格(new/used): 735 円 / 114 円 より 発売日: (1996-05-20) アマゾン売上ランキング: 49162 位 新書 / 通常24時間以内に発送 [ユーザーによる評価] 平均評価: 4.5 / 総数: 18件 哲学は暇つぶし。この本を最初に読んだ時は、何か深いことを考えているように思いましたけど、僕なりの哲学もどきを持った今となっては「永井の言ってることっておかしくない?」と思うだけです。そして、それが正しい読み方であるということも、この本に書いてあったと思います。 この本に共感したなら、それはあなたが自分で哲学をしていないからです。まず入り口としてこの本を読んでみて、真剣に永井の与太話につきあい「そうじゃないだろ」とつっこむことが出来る方は、哲学者向きだと思います。しかし、哲学することが良いという考えは、哲学をする人々と、哲学をするあなた自身が決めた、(この本で言う)”道徳”に似た、勝手な価値観だということも忘れないほうが良いでしょう。 共感、知的興奮この本には星をいくつ付けても足りません。僕の今までの人生の中で(と言ってもまだ15年ですが)出会った本で、これほど共感し、感動し、知的興奮を覚えた本はありませんでした(大袈裟だと思われるかもしれませんが、本当です)。 この本では、哲学は、(大人になるにつれて忘れてしまうような)<子ども>の問いを持ち続けることで誰でもできることだと書かれています。 永井さんは「なぜぼくは存在するのか」「なぜ悪いことをしてはいけないのか」という問いを具体例とし、哲学する方法を示してくれています。 これらの問いは僕も考えたことがあり、長い間、こんなことを考えているのは自分だけだと思っていました。しかし、1人の哲学者がそれらの問題をずっと持ち続け、僕なんかよりも深く考えている、と知って感動しました。 僕は、第一の問いに対しては、自力では、認識論的独我論のところまでしか行けなかったし、第二の問いに対しては、「人間はみんな利己的だ」というところまでしか行けませんでした。 また、「なぜ学校に行くのか」という問いに対する「権力関係による」という考えには納得しました。 日本では「哲学」というと「青年の哲学」のことを思い浮かべる人が多いような気がします。この本は、僕のように<子ども>の問いを持った人の背中を押してくれる本として、<子ども>の問いを持ったすべての人に読んでほしいと思います。 探究心旺盛な<子ども>へ哲学者の永井均さんが書かれた本。 面白かった! はるか昔、 「なぜ、わたしは一人しかいないの?」 「なぜ、人は死ぬの?」 「わたしは、どこからきたの?」 などについて、 ただただ、「知りたい」と思ったことはないだろうか? この本の中には、永井先生が子どもの時に考えた 「なぜぼくは存在するのか」 「なぜ悪い事をしてはいけないのか」 という、2つの問いに対する考察が書かれている。 子どもの時の「知りたい」を、ずっーっと考え続ける事。 そこに、哲学の原点がある。 だから、人の哲学の本を読んで、「人の哲学のまね」をするのでは、本当に自分が知りたかったことに辿り着くことはできない。 自分にとっての重要な問いを考えつづける事、自分の哲学をする事が「哲学」なのである。 自分は、「何も知らないのだ」ということを知っている、<子ども>にしか出来ない哲学。 この本を読んで、それを知ることが出来た。 処刑されていくソクラテスの、自分だけが真実を知っているという快感に近い勝利感、そして、偽善の匂いに敏感だったニーチェの道徳的概念体系などの話は、特に印象に残った。 知りたいと願いつづける<子ども>へ、オススメの一冊♪ 哲学の入門書ではないですね本書の構成 <第一の問い>なぜぼくは存在するのか <第二の問い>なぜ悪いことをしてはいけないのか 私は書名から判断して哲学の入門書かと思っていましたが・・・甘かった・・・。 <第一の問い>は、著者の考察が深すぎてほとんど理解できませんでした。 「ぼくは存在するのか」なんていう問いは、正直私は人生において一度もしたことがありませんでしたし、 またこれこそが「哲学をする」ということなんだとまざまざと思い知らされました。 (この本はこの問いをまじめに何度かしたことがある方にはいいかもしれません) <第二の問い>では、 「道徳という まやかし がなければ世の中はよくならない」 「たとえ まやかし であっても みんながそれを信じているほうが世の中がよくなるような、そういう<うそ>というものがあるのだ!」 という著者の叫びは心に響きました。 著者は気づかぬ方が幸せなのに道徳の本質というものに気づいてしまったようです。 確かに人生には、真実を見てみぬフリをして幸福追求の道を選ぶのか、 それとも真理(真実)を追究して幸福追求をあきらめるのか・・・ この二者択一を迫られる場面がたくさんある。 哲学者という者はこのバランスがとれない、というより見てみぬフリは絶対できない、 共感ゲーム(中島義道氏の本に頻出)なんて嫌だ、 「ほんとうのこと」を知りたい、つまり真理追究の道を選ぶのであろうと思う。 ≪「生きづらい人へ」-憔悴した心を鷲掴みする本の紹介-≫ なるブログを書いてます。 興味のある方よかったらどうぞ覗いてみてください。 プロフのリンクからどうぞ。 「人」の恐ろしさを自分の舌で甞めて見る事はできない。 「君の恐ろしいというのは、恐ろしいという言葉を使っても差支えないという意味だろう。実際恐ろしいんじゃないだろう。つまり頭の恐ろしさに過ぎないんだろう。僕のは違う。僕のは心臓の恐ろしさだ。脈を打つ活きた恐ろしさだ」 私は兄さんの言葉に一毫も虚偽の分子の交っていない事を保証します。しかし兄さんの恐ろしさを自分の舌で甞めて見る事はとてもできません。 夏目漱石 「行人」より この本は漱石のこの記述を哲学で追及した労作である。 |