「欲望」と資本主義―終りなき拡張の論理 ...

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「欲望」と資本主義―終りなき拡張の論理 (講談社現代新書)


講談社

価格(new/used): 756 円 / 50 円 より
発売日: (1993-06) アマゾン売上ランキング: 101507 位
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[ユーザーによる評価] 平均評価: 4.0 / 総数: 8件

資本主義という現実
文化のアメリカ化が促進され資本主義の只中に生まれた我ら日本人。
資本主義とはまさに欲望の追求であり、物質の追求である。
これに虚無を覚えずに生きている人が、果たしているのであろうか?
私はどうしても内的な空虚を今の社会に覚えざるを得ないタイプなので、
そういった疑問が心を過るが、どうも周りを見渡すと、八割方の人はみな、
かなり楽観的に快楽を求め続けているように見える。羨ましい限りだ。
どう足掻こうともこのシステムからは逃れられないようになっているらしい。
Lost Generationでの虚無は終わっていない、むしろ拡大している。
我々は無理矢理にでも求めて求めて求め続けて、枠だけ拡がって、
実は何もないまま死んでいくのだろう。これが現実だ。
フロンティアを探し続ける資本主義
資本主義というものを、斬新な視点から考察した本。
まあ佐伯啓思っぽいって言ったらそんな感じ。

「欲望」というものを、自分との「差異」に見出し、資本主義はこの「欲望」で成立していると指摘する。
そして、「差異」つまり「新しいもの」を求めて対外膨張を続け、その後は内側に需要を作り続けるしかなくなる。

93年というバブル直後に出された本なので、バブルを相当に意識して書かれている。
バブルも「欲望」が作り上げた、資本主義の必然でもあるのだろう。

ただ、少し言わせてもらうと、筆者の主張とも近いと思われ、筆者の博識さから見ても明らかに読んでいると思われる、ジャン・ボードリヤールの「消費社会の神話と構造」が参考文献に上がっていないのは疑問である。

資本主義を再考する上で、オススメできる本である。
名著
こういったテーマを扱う新書はそれこそ山のように出版されているが、タイトルに目を引かれて読んでみると興味深いことが書いてはあるものの内容が散文的で結局発散していることが非常に多い。しかし本書はそういった著作とは一線を画することを保証する。古本屋で300円は安すぎる買い物だった。資本主義ってアダム・スミスの「神の見えざる手」ってヤツでしょ?くらいに思ってる方(私もそうである)は、ぜひ読んでみることをお奨めする。損はしないと思う。
著者のintegrityへの疑問
1)労働価値説と価値法則の単純化(84p)

2)マズローの欲望段階説へのないものねだり(86p)

3)「資本主義という言葉は使わないできた」と、臆面もなく告白する
  御都合主義(3P)

知識の網羅性ではいいところも散見しますが、以上の3点で星ひとつ減とします。
資本主義の根っ子を考えるために
資本主義経済は、何æ•...成長ã-続ã'なã'ればいã'ないのか?あなたはã"のç-'問ã‚'持ったã"とはないでã-ょうか?本書は、そのå"¯ä¸€ã§ã¯ãªã„にã-ても一つのç­"えといえる。

ã"のç-'問に対するé-"接的なç­"えとã-て無è¦-できないのはむろã‚"マックス・ãƒ'ェーバーであるが、本書はãƒ'ェーバーのè«-争相手であったゾンバルトの系譜ã‚'引く資本主義è«-である。本書は、ãƒ'ェーバーにおいてè¿'代資本主義とは質的に異なるものとされた前期資本主義ã"そに資本主義の本質があるという立å 'ã‚'å-る。すなわち、前è€...の立å 'からは、合理性・合目的性とエトスã"そがè¿'代資本主義の精神であり、è¿'代以前ä¸-界中至るとã"ろに見出されたå†'険商人などの「前期的資本」とは質的なæ-­çµ¶ãŒã‚る。ã"れに対ã-、本書によれば、資本主義は「人ã€...の欲望ã‚'æ!‹¡å¼µã-、それに対ã-て物的なかたちã‚'たえずあたえてゆく運動」であって、å†'険商人と現代の消費資本主義とのé-"には質的な変容はない。あるのは、欲望のフロンティアの変容である。å†'険商人から帝国主義に至るまでは、å¤-のä¸-界やæ-‡æ˜ŽãŒæ¬²æœ›ã®å¯¾è±¡ã§ã‚った。植æ°'地åŒ-が完了ã-て本来の意å'³ã®ãƒ•ロンティアが消æ»...すると、アメリカがå...ˆé™£ã‚'切ってå†...なるä¸-界に欲望のフロンティアã‚'広ã'ていく。消費の主ä½"ã‚'è²'æ-ã‹ã‚‰ä¸€èˆ¬å¤§è¡†ã¸å¤‰ãˆã¤ã¤ã€è³‡æœ¬ä¸»ç¾©ã®è‡ªå·±é‹å‹•が続いたのである。現代では、もはやã"れも飽å'Œã-、消費è€...「個人」がフロンティアになってã-まっている。

両è€...の見æ-¹ã®é•いは、「市å '経済」ã‚'資本主義と不可分とみるか、区別ã-うるものとみるかにも表れているが、ã"れは突き詰めると定義の違いであるかも知れな!い。前è€...はè¿'代経済学の守備範囲と一è‡'するものã‚'資本主義とå'¼ã³ã€ä½ä¼¯ã¯çµŒæ¸ˆå­¦ã‚'含めて現代のä¸-界が否応なã-にä¹-っかってã-まっている自己運動ã‚'資本主義とå'¼ã‚"でいるのである。å¾"って、佐伯は最後には資本主義の根底にある「終わりなき発展」というè¿'代の強迫観念にまで辿りつかã-るã‚'å¾-ない。

本書は、å†'頭のç-'問に対するå-りあえずの解ç­"といってよいかもã-れないが、佐伯自身いうように、「終わりなき発展」という強迫観念から人類が「解æ"¾ã•れるã"とが良いã"とかどうかも、本å½"のとã"ろはわからない」という大問題が残る。