まだ見ぬ書き手へ

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まだ見ぬ書き手へ


朝日新聞

価格(new/used): -- 円 / 800 円 より
発売日: (1994-06) アマゾン売上ランキング: 310983 位
単行本 / 在庫切れ
[ユーザーによる評価] 平均評価: 4.0 / 総数: 18件

著者本人へのラブレター!
小説家本人がここまで書くという事はこれを実践してるという事だろう。この本を読んで刺激を受ける人は多いだろう。しかし実践できる人は皆無だ。弧高、小説完全芸術主義、超低空の生活水準維持。出家に似ている。1994年単行本初版だが今だに「まだ見ぬ書き手」は現れていない。そしてこれからも。これは丸山健二本人へのラブレターである。「逃げるな。隠れるな。弧高であれ。産み出せ、そして育てろ」 彼の心の声を、小説というオブラートに包まれず聴けた我々は幸運である。それは大衆のほとんどが文学の深淵を読み解くことができないからだ。しかももうひとつ朗報がある。「有史以来、日本の文学で未来永劫残したい、孫子の代まで読み継いで欲しい作品は今のところ見あたらない!」 丸山健二本人の作品も含めてだ! 究極の刺激が全身を貫いたなら最初の一行を書いてみるべきだ。この本は丸山本人へのラブレターであると同時に、あなたへのラブレターでもあるのだ。
史上最強の小説家になる為の本
この書の瑕瑾はただ1つ、「巻末エッセイ」なる後書き……
これが果てしなく不要だ。
もっとも、このページを裁断して当書を完全なるものにするか、
敢えて反面教師の見本として残存させるかは、購入者の判断に依る
(わたしの場合は後者を選択したが)。

「まだ見ぬ書き手へ」には、小説書きの心得るべき、ごくごく常識的な事が書かれている。
孤独に徹せ、文壇に背を向けろなど、これは言われるまでもなき当然の事ではあるけども、
21世紀に突入して久しき今となっても尚、その種のものに、あれこれと聞こえの良い理由をつけて恋々としている、
あるいはむしろ「それ」こそが小説を書く目的だ、と言わんばかりの書き手に対し、
「この本は、『お前達用の本』ではないから、ここらでさっさと立ち去れ」と警告しているのだ。

ただ単に小説家になりたい、という人間にとって、この本は全く意味がない。

この本は、「世界一の小説を書くことを目指す者」専用の『武器』だ。
それも、使う者を激しく選ぶ、世界一高飛車な魔剣である。
はっきり言って、万人には間違ってもお勧めできない。

ただ、自分の才能の限界を試す意味で、敢えて手に取る飽くなき挑戦心を、
わたしは歓迎する。
こんな本に出会えて良かった
三島由紀夫、谷崎潤一郎などの何冊かの文章読本を読んできたが、
この本ほど小説を書くことの意識を高め、もっと
上の次元に行ってみたいと望むようになる本は、
他にはないだろう。

ただ、ほとんどの人間関係を絶って孤独になることや、
一日二食の食生活などは、それをやったら逆にまずいのでは思った。
全体的に刺激的なことが書いてあり、
有意義な本だが、これを全部実行しても「まだ見ぬ書き手」に
なることは困難であると思われる。

私の読んだ文章読本では、ベスト1位に位置するに値する本である。
骨太すぎる
小説家として生きていくための人生読本である。特に、小説家としてデビューできた後に、潰されてしまわないためにはいかに過ごすべきかと言ったことが書かれている。文章のテクニック的なことはは一切書かれていないので、これを期待する人にはお勧めできない。

「小説家は、生活の全てを小説のために捧げねばならない」という主張が、骨太かつハードボイルドに綴られている。しかし、「TVには出るな」という主張はまだしも、「文壇には入るな」とか「編集者とは仲良くするな」に至っては、余りにも極端過ぎる気がした。

本書で語られていることは、真の小説家になるためには、人間関係や生活などの不用な要素を切り捨てて、全人格を賭けて小説に打ち込む必要があると言うことなのだと思う。恐らく、著者自身が理想とする小説家像(裏を返せば、著者自身も本書の主張通りには生きれていない)を書いたものなのだろう。
「心」ある作品
筆者は本著の中で「小説家は何よりもまず小説を優先し、小説に没頭すべき」
というメッセージを全編に亘り訴えている。
それはまた小説家に限らず、プロフェッショナリズムを求められる世のあらゆる
職業についても当てはまる、基本的かつ本質的な姿勢であろう。

ともすれば枝葉末節に拘り、その基本を忘れがちな我々に対し人生の先輩として
助言を発する形で本著は構成されており、本質的な向上心を持つ読者にとっては
イマドキ珍しい良薬となり得る著作である。
また自身の芥川賞受賞の経験を元にあげる現象の数々は、非常に具体的なリア
リティと示唆を有しており、文章で身をたてる志を持つ読者にとっては読んでおい
て損のないエッセイでもある。

上記の様な主張を導くための表現として、筆者の批判は出版業界の構造的欠陥
から家元制度や国家の在り方等この国の風土にまで及び、なかなかに痛烈であり、
確かに表現上、過激、偏見と捉えられかねない物言いは散見される。

だがそのような表現に囚われ本著が訴えている本質を見失うこと自体が、まさし
く筆者が批判する「眼力のない読み手」であることを自ら証明してると言えよう。
ジェンダーがどう、既存作家批判がどう、ということは結果論として
筆者が自身の中で価値観を構築しているに過ぎない事であり、
今の世を見渡せば、確かにそういわれて納得せざるを得ない部分も多かったり
するからだ。あくまで結果としてみる限り。

当の筆者自身も読者に対し、批判云々よりも「自分の作品を以って示す」ことを
求めており、表現などの枝葉に拒絶反応を示して唾棄するには惜しい作品といえる。