処世術は世阿弥に学べ! (岩波アクティブ...

- 岩波書店 価格 ¥ 735
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処世術は世阿弥に学べ! (岩波アクティブ新書)


岩波書店

価格(new/used): 735 円 / 71 円 より
発売日: (2002-02) アマゾン売上ランキング: 78550 位
単行本 / 通常24時間以内に発送
[ユーザーによる評価] 平均評価: 4.5 / 総数: 5件

新たな処世術の提言
これまで西欧の受け売りであった処世のキーワードに、室町世阿弥による花伝書から光を当てた点に新奇性を感じる。世阿弥の生きてきた時代背景は現代と違うだろうが世阿弥の先見性に驚きを感じざるを得ない。個人的な感想を言えば、「初心」に関する一考を読むだけで購入するに値する。
世阿弥+著者の処世術
本書を読むと、意外な歴史的事実に驚かされます。能は、もとは舞台芸術と言うよりは、大衆芸能的な存在であったこと、従い、世阿弥には、芸術家としての取り澄ました態度はなく、ただ勝つこと、観客という存在を対象とした人気の争いにのみ関心があったのだと著者は言います。そういった観客との関係、人気との関係、組織との関係などの関係性の中で、世阿弥は、芸の道、更には生きる道を説いたのだと捉えられており、そうだとするならば、「処世術」というタイトルはまさにそれに相応しく、内面に沈潜する類いの人生論の趣きとはやや毛色を異にします。

実際に本書は三つの狙いに成功しています。先ずは、タイトル通り、世阿弥の残した数々の言葉から、「処世術」を学ぶことが一つ。また、著者も言うように、能あるいは世阿弥への理解を深めることが二つ目。そして、古典と言われるものを、あらためて読んでみたくなる気にさせることが三つ目。読みやすいように、さらりと書き流されていますが、ここでの処世術には著者ならではの洞察が溢れた、味わい深い一冊です。

この本を読む。きっと、『風姿花伝』が読みたくなる。
 読む前は、はっきり言って、期待してなかった。
 『処世術? 世阿弥? なんだか退屈そう……』と。
 読んでみて、いい意味で、裏切られた。
 全然退屈ではなかった。すいすい読めた。たくさんの発見があった。
 処世術。つまり、世の中で暮らしていくための術。

 現代の世の中で暮らしていくための術を、600年も前に生きた、世阿弥に学べというのだ。
 しかしそれは、あながちおかしなことではなかった。というより、実は知らず知らずのうちに、既に学んでいるのであった。
 例えば、『初心忘るべからず』。誰でも知っている言葉だろう。これが実は世阿弥の言葉なのだ。

 何か困難にぶつかったとき、心の中で『初心忘れるべからず』とつぶやいたことのある人も多いだろう。
 た!だし、世阿弥の言う『初心』とは、私もそうだと思っていた『最初の志』という意味とはちょっと違うそうだ。詳しくは、本書を読んで頂きたい。
 そして、著者が、『論語』に匹敵するという『風姿花伝(花伝書)』。世阿弥の書いた人生論である。

 世阿弥は、人生を、7歳頃から50歳以上までの7段階に分けて、それぞれの段階で、人が直面する課題と、その乗り越え方を書いている。
 本書の後半は、その内容を解説している。

世阿弥は人生の大先生
 処世とは時代を見極め、他者との関係の上に成り立つ自分自身を演出すること。勝手気ままでは誰も認めてくれないし、相手に迎合するだけでは呑まれるだけだ。そういうぎりぎりの戦いの中で世阿弥は芸能に花を咲かせた。やがて、能は四百年以上の継続を可能にして世界遺産にも認められる芸術になった。これこそ処世の真髄といえよう。

 また、この本は能楽の奥深さを知る手がかりとしても素晴らしい。時空を自在に越えられる演劇は能の他にはない。それほど能とは複雑なものであるが、それを理解しようとすることは、日本人の思想源流へと導いてくれる。

 改めて感じたが、日本の学校教育には古典に親しむということが欠けている。このような啓蒙書に出会うと嬉しくなってしまう!

励まされるよ、読書の「プロジェクトX」
古典を現代語訳したものは数々あれど、本書ほど、古典を現代人の心の持ち方に引き寄せて分かりやすく解説したものは、そうそうないのではないか。「源氏物語」や「平家物語」には、教科書で一部接したことはあるけれど、社会人になって古典に接することはあまりないのではないか。本書は、現代まで生き残ってきた世阿弥の普遍のメッセージを読み解く書である。ビジネスマン向けと銘打っているが、きっと、中学生や高校生にも、古典はこういう読み方ができるのだという良い参考になると思う。

とりわけ、「勝負の波を読む「男時・女時」」の項は印象的だ。背筋がピンとして、凛とした。会社などの組織の中にあって、自分の実力が正当に評価されていないと思っている人は、きっと多いと思う。そうした思いにとらわれて悶々としながらも、与えられた職場できちんと仕事をすることは、なかなか忍耐もいる。「いつか俺だって!」と心に秘めながら、毎日を過ごすことはなかなか大変だ。

「時の間にも、男時、女時とてあるべし。いかにすれども、能に、良き時あれば、必ず、また悪きことあり。これ力なき因果なり」(世阿弥の言葉)。「男時(おどき)」は自分に勢いがある時、「女時(めどき)」はそれが相手にある時をいう、世阿弥の造語だそうだ。人生はこの二つの繰り返しで、相手が男時の時に、自分がいたずらに勝負に出ても効果はない。むしろ、相手の男時が弱まるのを待って、いざ勝負に出る。

ただし、男時と女時の人生での循環をよくこころえ、”時の波を読み取る能力”が大切だそうだ。女時の時に、男時と同じ をしていては、エネルギーの消耗に終わる。女時の時にこそ、自分に欠落していること、必要なことを見直し、やがてくる飛躍へ結実させる。一時の敗北は、次にくる勝ちへ通らなければならない道だそうだ。そうなると、勝っても決して驕ることはできず、負けたとしても決して絶望する必要はなくなる。世阿弥が、人気に左右されがちな芸事の世界に身をおいて、心の安定をいかに得ていたか、また、いつでも勝負に打って出られるよう、常に自分の芸を磨いて怠りなく準備していたか、彼の真摯な人生哲学が伝わってくる。

著者の次の文章に励まされる人は多いと思う。「いちばん大事なことは、備えのない者には、どんな「男時」がきても、意味がないということである。「女時」には、じっと準備をして、「男時」を待ち。今までの人生はずっと「女時」だったなと思うのならば、実はそれは準備の時間であって、もうそこに「男時」はきている。その「男時」のための準備をしているのかと、自分にいい聞かせてみれば、世阿弥の言葉の深さもわかるだろう。」

本書は、読書の「プロジェクトX」版。心の支えになるし、励まされた。次は、原典の「風姿花伝」を読もう。(snowy)