道徳の系譜 (岩波文庫)

Friedrich Nietzsche - 岩波書店 価格 ¥ 630
home書籍CDDVDゲームソフトウェア家電キッチンおもちゃ・趣味
道徳の系譜 (岩波文庫)

Friedrich Nietzsche
岩波書店

価格(new/used): 630 円 / 95 円 より
発売日: (1964-10) アマゾン売上ランキング: 4768 位
文庫 / 通常24時間以内に発送
[ユーザーによる評価] 平均評価: 4.0 / 総数: 10件

ヨーロッパ人としての悲劇
“道徳の系譜”は“ツァラトゥストラ”と並んでニーチェの最も重要な著書ではないかと思います。 この本を読むと、ニーチェという人が何と戦っていたのかがよく分かります。 彼は恐らく、ヨーロッパ人というものが、異人種の宗教に征服されたということに我慢がならなかったのでしょう。 これは分からないことではありません。 欧米人は今でも平気でジョンとか、ポールとかいう(もともとユダヤ人の)名前を子供につけますが、例えば日本人が子供にベトナム人やタイ人の名前をつけたら我々はどう感じるでしょうか? 彼らが日本人より優れていようが劣っていようが、私たちはそれに納得できるでしょうか? それと同じことが欧米では二千年にわたって続いているわけですが、ニーチェにいわせれば、これはユダヤ人の文化・思想に、ヨーロッパ人が屈服したことのあらわれなのでしょう。 彼の(キリスト教に犯されていない)ギリシア・ローマへの偏愛はちょっと尋常ならざるものがあります。

ただ、ルサンチマンというのは決してユダヤ人の専売特許ではなく、人類普遍のものだと私自身は思っています。 キリスト教以前の時代の、強者の部類に入る人にだってあったのではないでしょうか? ニーチェの著書は日本では大変な人気ですが、二千年近くにわたって、中華文明やヨーロッパ文明やアメリカ文化といった、自分たちより圧倒的に強大な存在たちとの対峙を余儀なくされてきた我々日本人も、常にルサンチマンに飲み込まれて自分を見失う危険と隣りあわせで生きていると私は思います。 ニーチェの本はそういった状況下の我々自身の存在に喝を入れるために読まれるべきなのではないでしょうか? 彼自身はキリスト教が完全に浸透しきったヨーロッパで孤立無援の悲惨な戦いを繰り広げました。 その悲壮な覚悟は時として、私たちにはもう理解不能なほど無茶苦茶な罵詈雑言の言葉となって彼の著書に散見されますが、彼の哲学の本質は人間の弱さを逃げずに見つめ、それを克服するための道標としての教えなのではないでしょうか。
ニーチェとヘーゲルはここでつながる
数々の刺激的な知的営為に対して強い影響を与えた著書。禁欲的理想についての分析は、マックス・
ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」についての分析に繋がるし、「起源」ではなく
「系譜」を問題にする手法はミシェル・フーコーのアルケオロジーへと繋がる。
また、コジェーヴによるヘーゲルの精神現象学解釈(主人と奴隷の弁証法)は、この本のルサンチマンやキリス
ト教道徳についての視点によるヘーゲル解釈と言ってよい。
値段で選ぶならこっち
内容の評価は他の方々が色々と書いているので、私は本書の翻訳の評価を少ししたいと思います。本書は1940年に初版発行らしく、文章のところどころに古さを感じ、日本語の翻訳をしばしば行わなければいけない感じでした。訳が悪いわけではないのでしょうが、あまりこういう本に慣れていない凡人の私にはほとほと読みづらく、同じく岩波出版の善悪の彼岸も読みづらかった印象です。少し高いですが筑摩学芸文庫の道徳の方が読みやすかったと私は思いました。筑摩の方は善悪の彼岸も一緒になっています。値段なら岩波、楽に読むなら筑摩かな?と思いました
人間に悩んでいる
人間存在について禁欲主義的理想の意味を追究しています。そして人間は自己存在の意味問題に苦悩するがゆえに何かを求めようとする生き物だと見なしています。
「一体人間は何のために存在するのか」と問うとき、人間は苦悩の意味を考えます。そして人間は禁欲主義的理想を掲げ到達することによって、意志を救うことができることを明らかにしています。それはキリスト教の概念が、現実世界に照らしてどのように働いているか、どこが問題なのか解明するものにもなっているように見受けます。
主眼は善悪についての考究です。善と悪における人間の志向も意志が救われることによって、善そのものも悪そのものももはや問題ではなくなってしまます。それは禁欲主義的理想と関連しているように思います。ニーチェはヴェーダンタの信仰者の言葉を借りて「所為も非所為も、彼を苦しめることはない。悟れるものたる彼は善をも悪をもわが身から振るい落とす。彼の住持する世界はもはやいかなる所行によっても害されることはない。善と悪、その二つともを彼は超克する」立場に至るのだと説いています。
彼が、このような問いにかかづらったのも、それは第一論文で最初に打ち出された言葉から理解できるように思います。それと同時に彼の考えの基本線をなしているとも私は考えています。

「今日〈人間〉にたいするわれわれの嫌悪をかきたてるのは何か?
―というのも、われわれは人間に悩んでいるからだ、これには疑いの余地がない」


感覚的にはこんな感じでした
道徳的であることがあなたをあなたの生から遠ざける
何者かによって課された正義は果たしてあなたにとって必要か?
あなた自身の内面から生じる正義ではなくて
あなたではない何者かの正義に身をゆだねることが
果たして生きているといえるのか?
あなたはまずあなたの正義を生きねばならない
そうすることによってこそ生の輝きを垣間見ることが出来るのだから