読書について 他二篇 (岩波文庫)

Arthur Schopenhauer - 岩波書店 価格 ¥ 525
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読書について 他二篇 (岩波文庫)

Arthur Schopenhauer
岩波書店

価格(new/used): 525 円 / 50 円 より
発売日: (1983-01) アマゾン売上ランキング: 40868 位
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[ユーザーによる評価] 平均評価: 4.5 / 総数: 26件

雑誌を作ってる人に読んでもらいたいなあ
購入して読みました。
「自分自身で考え抜いたことが、ある書物に整然と書かれていて
がっくりすることがあっても自分自身に根を下ろす」とか多くは
経験していませんが著者に断言してもらってスッキリしました。
確かに成功本などに書かれている内容は「参考になるようだ」
「これは良い方法そうだ」と感じてもなかなかピンと来ませんね
(むしろ手にとってそう感じてもらうために書き散らした著者の
「創作」かもしれませんが。)
しかし、著者が怒りで文章が散り散りですね。怒りで冷静ではない
文章では著者が一番伝えたい人には伝わりませんし。読みにくい。
もう少し皮肉ったユーモアや余裕が感じられると楽しめたと思います。
でも、電車の中吊り広告を見る限りバカを量産したいんだか?としか
思えない雑誌を編集している方々には是非読んで頂きたいですね。
そして、弱っている時についつい成功本を買ってしまう方にもお奨めです

がっかりの一言
才能がある人とか天才ならとかそういった前提が随所に目立ってシラけた。ソフィストを非難しながら、この著者が一番のソフィストに見えて仕方がなかった。確かに良い事も言っているのだけど、ただそれだけで、全体を通して見れば眉唾の書である。才能のある人に向けて書かれているけど、才能のある人は絶対にこんな本は読まない。僕は才能があまりないから読んでみてしまったけど、こんな本に感心するほどの馬鹿でもない。分かりやすいぶん視野の狭い本だった。これは一種の怒りの書であるが、その怒りの矛先もまたお粗末としか言えない。そんなものは放っておけばいい。怒りの矛先でその者の程度が分かる。文学はそんなにエラくはない。記号論や構造主義などの思想を通過してしまった現代では、あまり価値のある書とは言い難い。レビューの人気には唖然とした。
本は二度読む
悪書を避けろ。人生は短い。限られた時間を無駄に過ごすな。三文文筆家よ恥を知れ!多読は、思想を硬直化する。
素晴らしい警句ではないだろうか。この文章をみてまさにその通りと、膝を打つばかりである。改めて、本を読むことを考えさせられた。いい本です。
古典こそ読まれるべきでは
 現代は出版物濫発の時代である。読書経験の少ない者は、書店でただうろたえるだけである。そこで「読書に際しての心がけとしては、読まずにすます技術が非常に重要である」「良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである」という著者の主張は、出版物濫発の現代にこそピタリとあてはまる。

 では何が読むに値する書物なのだろうか。ヒントとなりうるのが次の箇所である。
「ある人の頭脳に正しい思想が浮かぶと、その人はただちにその明瞭化につとめ、やがてそれに成功する。だから一度考え抜いた明瞭な思想には、ぴたりとした表現辞句も容易に見つかる。人間の力で考えられることは、いついかなる時でも、明瞭平明な言葉、曖昧さをおよそ断ち切った言葉で表現される」

すなわち、考え抜かれた思想は曖昧さがなく簡潔であるということだ。すると逆に、難解な書物というのはその思想自体が難しい、という場合と著者自身も主張が曖昧なまま筆を執った可能性もあると考えられる。

 現在は出版物の濫発によって、玉石混交の状態だ。自分が良書だと思える本を読んでも、周りの人が読んでいるとは限らない。そこで、まず古典は敬遠される。そういった読書は、他人と共有されることなく極めて個人的な経験になってしまう。

 すると、これから読書を始めようと意気込んだ人はまず何に飛びつくか。周りの人が読んでいる「ベストセラー」だ。私は、出版物の濫発こそが日本の読書文化をおとしめた諸悪の根源ではないかと思う。やはり、良書の基準を満たし、目を養うには古典を読むのが一番ではないか。

 時代の淘汰の中で残された「古いもの」は、少なくとも「悪いもの」ではないはずである。まして、古典が到底時代遅れだとは思えない。100年前の書物の内容が現在の文脈にしっくりとくるのはなぜか。十年後、現代の書物が何冊残るだろうか非常に楽しみである。
書を捨てよ。
19世紀半ばに著されたものでありながら、現代にも通じる内容。
読書は自己思索力を失うものであるため、多読は避けるべきことである――とする主張は、必要以上に文献に拘泥する研究者に言って聞かせたい。
巷間に瀰漫する悪書の山を歎くのは、21世紀の今も、日々思われる所である。
それにしても、著者のドイツ語讃美・フランス語卑下は度が過ぎていて面白い。