ヨオロッパの世紀末 (岩波文庫)

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ヨオロッパの世紀末 (岩波文庫)


岩波書店

価格(new/used): 693 円 / 245 円 より
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[ユーザーによる評価] 平均評価: 4.0 / 総数: 3件

現在にも生きるかのごとき吉田の「世紀末」
ここでいう世紀末は、勿論、1800年代の世紀末であって1900年代の世紀末ではない。しかし、20世紀末こそ、ヨーロッパはアメリカに代わらんとして活気にあふれ、今でもそれは続いているようにみえる。そのような時にあたって、ヨーロッパとは何であったか、何であるか、何であろうとしているか、この本を通しそれらを吉田さんと議論してみようと思った。惜しむらくは、問いかけても応えてはくれず、19世紀末のことを繰り返し示して答えてくれるのみであったが−−−

まず最初に、吉田健一の文章は、独特の調子があって、慣れないとむずかしく感ずる。だからといって、ゆっくり読むとかえって分かりにくく、一文を一気に早く読む方が理解しやすい。そのうちに次第に読み方のコツが分かってくる、という文章である。

吉田のいうヨオロッパの世紀末は、嘆美、退廃といったいわゆる世紀末文化の常識とは全く異なる。吉田はまずヨオロッパとは何かを問う。つまり、ギリシャ、ローマ以来の歴史の中で、ルネサンスを経て18世紀に到達を見たヨーロッパとしての特性、即ち、優雅さ、人の気持ちを労うのを礼節とみる気風、快楽の追求などの特性にみられる成熟した文化を指摘する。ところが19世紀になるとそれらが愚劣、偽善、粗雑などへと転落し、生を見失い実利に徹した社会となった、とみる。(ついでに、日本が摂取したヨオロッパはそのようなヨオロッパであった。)そして、世紀末にいたり、それを否定しヨオロッパを取り返そうとする動きが現れ、それがヨオロッパの世紀末である、という。それは言葉に最も端的に表れており、ボードレールが、そのような健全な精神の持ち主の典型であるという。

そのような文脈をたどって本書を読んだとき、吉田の指摘は、ひょっとすると20世紀末から今に至るも姿を変えてではあるけれども、依然として生きるように思うのだが、如何であろうか?
さざ波立つドナウ河のような文体に視線をゆだねる快楽を満喫できる一冊
現在、吉田健一を知る人はどれだけゐるのか?文学好きは兎も角、文科系卒が多勢を占め
る私の職場でさえも彼の名を知るものは皆無。大勢の方が訪れる本サイトのやうな場では
「かの吉田茂首相の子息で、文学、絵画、音楽、食等々、幅広いジャンルに造詣が深い
通人。評論、エッセイ、小説と残した作品の形も様々。文学史上でひときわ異彩を放つ存
在」といふ紹介ともつかぬ紹介さえもなす意味があるのかも知れぬ。
『私の食物誌』など食に纏わる作品が好みだが、先日偶然に街の本屋で絶版となった本書
を見つけ購入した次第。論旨については先の方もレビュウされておられるゆえ割愛する。
長いコヨリのやうにコトバが紡がれていく独特の文体が好き嫌いを分かつだろう。読みづらさか
ららいへば、やはり晦渋な文体で知られる蓮実重彦風。ある程度の視線のスピードの中で
コトバがさざ波のように乱流をつくり、反転していく様が心地よくなってくる筈。思考の
うねり方が欧州風といふか、野暮ったい愚直な論理学とは無縁な作品。ふと、アナール派
やM・フーコーのやうなテイストさえ漂う瞬間がある。品のよい初老の男性が暖炉の前で
ロッキングチェアに揺られウイスキイやりながら手にしてそうな本(笑)。
明朗な晦渋さが導く逆説
 19世紀末のヨーロッパは、ヨーロッパ文化の爛熟、退廃の極みに
現れた不健康なもの、という通説は、世紀末文化に反感を抱く立場
のみならず、それを担っていた当事者の認識にも浸透していたものだ。

 著者の立場はこれと全く逆にある。観念と線形知の世界のみを世界
の全てと錯覚した19世紀のヨーロッパが不健康なのであり、絵や書を

観念から解き放ち、ただの絵や書として描きなおすようになったのが
世紀末だとする逆説を展開する。その導き方として、「ヨーロッパ」
とは何なのか、という事を古典古代から著者独自のリズム感を持った
文体から解き起こしている。立論に賛同するかしないかはさておき、
逆説の視点としては現在でも興味深い。巻末の辻邦雄の解説も面白い。