戦後世代の戦争責任論―『敗戦後論』をめぐ...

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戦後世代の戦争責任論―『敗戦後論』をめぐって (岩波ブックレット (No.467))


岩波書店

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発売日: (1998-11) アマゾン売上ランキング: 351853 位
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隠された日本国民
ぼくは「敗戦後論」を読んでないけれど,李順愛はこれを高く評価し「朝鮮人が四つに組める戦後世代の日本人が現れた」とまで語った。ところで面白いのは「敗戦後論」によって加藤氏は,多くの日本の知識人からネオ・ナショナリストとして烙印を押されたことである。この辺の李の分析は面白い。現代の日本の知的階層が軽々と日本国民たることを観念的に否定しそれによって戦争責任を負うべき主体を日本国民のレベルから個人としての日本人のレベルに移し変えたと言う。そして李は自分が朝鮮人として責任を問うのは,国民としての日本人であって個人としての日本人ではないと明言する。加藤が辿り着いたのは,この戦争責任の問題が決して個人では引き受けられないこと,そして戦争責任を負う主体としての日本国民を立て上げなければ戦争責任の問題は永久に歴史的な解決を見ないとの認識である。ぼくは,加藤に反論する知識人の心情に実に日本人的なものを見る。彼らはイデオロギーとして日本国民を否定する一方で,心情的な部分では日本人的行動規範を共有している。それは論理によって覆い隠され,彼らのコンセンサスは目には見えないが,それを破る方向に議論は決して進まない。ここに日本人の全体主義的傾向が保持される。ここに「隠された日本国民」が存在する。その「隠された日本国民」を解体するために加藤は,目に見える形の「日本国民」を立ち上げなければならないと言ったのだ。この加藤のやり方が日本人的心情を逆なでする。それはご法度なのだ。隠された部分で日本人が「日本国民」を保持していることが暗黙のルールなのだ。心情的に彼を「掟破りの非国民」と感じる知識人たちが,イデオロギーによって彼をネオ・ナショナリストにしたのである。私は,この「隠された日本国民」を在日の人たちは肌で感じてきたと思うし,今でも恐れを感じていると思う。